おたより ⑩

   古里の地方新聞にみんなのVOICEという欄があり、10月25日(日)のテーマが「記憶に残る本」でした。字数制限内(60字)にまとめた私の次の投稿も掲載されました。
    「きけ わだつみのこえ」である。戦没学生が残した「本が読みたい。薬の効能書きを何度も読んでいる」という手記に衝撃 を受けた。
   本日(10月27日)の先生のブログを拝見し、偶然の一致に驚きました。感謝をもって前川正さんの言葉を心に刻みたいと思います。ありがとうございました。 また、ゆっくりお便りさせていただきます。

 

先生、こんばんは
   今日のブログを読ませていただきました。奥様と観音台へ行ってこられたんですね。天気が良くてよかったです。
   我が家のお墓も3年前まではあそこにありましたが、父が亡くなってからは大休寺にお骨を移しました。三浦ご夫妻のお墓には一昨年の綾子さんの命日にお参りしてきました。その時に札幌のSさんとお会いしたのですが、最近はご無沙汰しています。
   先生のブログではまだ知らなかった旭川に気づかされることばかりで、お恥ずかしい限りです。先日は『雪のアルバム』のお話を聞かせてくださってありがとうございました。12月の難波さんの『果て遠き丘』も楽しみにしています。

 

宙がえりするって
どんな気持ちなのかしら
宙がえりが得意だったあなたに
聞いてみたい

トン、クルリ

あなたが蹴ったのは
磨かれてしなる木の舞台
硬いコンクリートの床
時には緑の草はらだったかしら
一瞬 息がとまる静けさー

回っている時は
目を閉じていたの
暗闇のなかから
元の場所に戻れるの
それとも目を見開いて
一瞬 逆さまになった世界を
見ていたの

着地に失敗したら痛いでしょう
恥ずかしくもあるでしょう
痛い思いをたくさんして
時には怪我をして痣をこさえて
苦笑いしながら
あなたは上手になられたのだ

そして今
天に召されたあなたは
わたしたちの隣で
回り続けるあなたになった

やさしく頬をなでてゆく風
咲き香る野の花
突然枝から離れる胡桃の実
もの言いたげにきらめく星ぼし
そして
わたしたちの唇にうかぶ微笑みと
涙と仲なおりの握手
それがあなたの宙がえり

ああ
あなたは今こそ
重力のすべての重荷から自由になって
あまたの光の粒子のひとつぶ

クルリ、クルリ、クルリ

わたしたちを見つめている

※事情も知らない私がこんな詩を送りつけて、又、面識もないお父様を「あなた」とお呼びし、友達口調を使ったりして、お気を悪くされませんように祈ります。先生の詩を遅まきながら読ませていただき、作りました。

 

   こんばんは。いつも有難うございます。森下先生のブログも毎回本当に楽しく拝見させて頂いています。旭川の落ち葉図鑑、市内の各所を辿って撮影なさりお疲れだったことでしょう。
   木々の名前は殆ど知らず、と言うのは覚える気がないからで反省しています。色鮮やかな落ち葉も大地に身を委ねるのですね~。退職後の大切な連れ合いを濡れ落ち葉なんて言ってゴメンナサイと又々反省。旭川も数日中に初雪とか!?コロナ感染者も増加中、皆さまもご自愛なさって下さい。

 

森下先生
   一昨日、富弘美術館へ行ってきたばかりです。夏にも行ったのですが、今回は、夫を連れて行きました。来週から抗がん剤治療が始まるので暫くは、遠出も出来ないかと思いまして。。。
 島崎光正さんの詩は、奥深いです。信州の塩尻出身とは、驚きました。辰野の隣ですね。早苗さんのことをリアルに想像しながら拝読しました。

 

   ブログの精力的な更新をありがとうございます。
   タイムリーに追いつけておりませんが、10月24日の記事で気づいたことなど以下に記します。まず気づいたところですが、扇松園の開業の和暦が昭和18年となっておりますが、これは昭和13年かと思います。
   記事に記載されていた2011年2月末の塩狩峠アシュラム、懐かしいですね。
   家長に指名され、私のファミリーに榎本恵先生がおられたことに驚き、恐縮してしまった記憶がよみがえりました。ファミリーの祈り課題は1年間祈るとされていましたので、それを実行したこともまた懐かしく思い出しました。
   また、二日目の朝食時にMさんに食堂の裏側に呼び出され、「離婚するって聞いたけど・・・」と真顔で聞かれた時は、榎本恵先生がファミリーにおられることを聞いた時とは異次元の驚きで、思わず吹き出してしまいました。結婚して1年強の時。どこからそんな噂が流れたのやらという感じでした。
   最も記憶に残っているのが光世さんの言葉です。初日だったと思いますが、光世さんが私の所に挨拶にいらして下さいました。その時「旭川はいいですよ。地震もほとんどないですし」と仰せになったのです。その時はさして気にもとめず、私の住まいが東京だからそのように仰せになったのだろう程度に思っていました。ところがその2週間後にあの東日本大震災が起こりました。その時、咄嗟に光世さんのアシュラムの時の言葉を思い出しました。光世さんは「預言者」とも言われていましたが、それを実感した出来事でした。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。