おたより ①

  今日は最近いただいた感想のおたよりから、二つを紹介したいと思います。お問い合わせのところや販売のところにメールアドレスがありますので、感想などのおたよりいただけると嬉しいです。掲載許可いただいたお二人に感謝します。

 

    綾子さんのお父さまの記事を読んで                  松浦みち子

   綾子さんのお父さまの記事を読んで、私の父のことを思い出しました。父は結核を通して信仰を持った人でした。それは大変な時代によく生きのびたものだと思います。昭和19年に受洗しています。結核患者の“午後三時 祈りの友”に属し(これには綾子さんも後に加わりますが)、信仰を養い保ってきました。教会で、小学校教師をしていた母と出会い結婚し、私と弟が生まれました。しかし、何度も結核がぶりかえし、入退院を繰り返すことが多くありました。父の口癖は「お父ちゃんが弱くてすまんなあ。みんなに迷惑かけて……」というものでした。子どもの頃は反発を感じ、不満もあって、他の子のように旅行にも遊びにも連れていってくれない!と思っていました。そんな私ですが、綾子さんの書物(特に結核患者を中心とした話題の多いもの)に出会って、父の痛み、心の傷を理解できるようになりました。綾子さん、光世さんに感謝しています。               

 

    「母の日」に寄せて                              山舖智恵

   森下先生、おはようございます。ブログいつも楽しみにお邪魔しています。
   昨日の5月10日の「母の日」に寄せて、小林多喜二氏のお母さまのセキさんの命日ということでお語り下さり感謝します。1961年は私が小学校一年生の時で、すでに小樽カトリック教会に遊びにいっていた頃の話なのだと思うと感慨深いものがあります。
   2011年9月に三浦綾子読書会の全国大会が小樽であった時、Sさんにお誘いを受けて「ひとり芝居」を観たのをきっかけに、次の日に読書会に正式に入会しました。その時受付してくださった方が、今思えば長谷川先生だったような気がします。
   いつの時代も子を思う母の思いは変わることなく、母の日の昨日もたくさんの思いと笑いや、そして涙があったのだろうなと思いを馳せます。ちなみにミーハーの私は「オンライン帰省」なるものを経験してみたいとお願いして、なんとか実現し、感謝で楽しいひとときでした。なんともすごい時代になったものだと思いつつ、その反面、目にみえないウイルスにはどうすることも出来ないこの現実に、神の存在を思わずにはいられない日々です。
   旭展望台の小林多喜二記念碑は何度か訪ねたので、写真の景色はとてもなつかしいです。多喜二のお墓は小樽奥沢5丁目。私が幼い頃から20歳まで住んでいたのは奥沢2丁目ですが、一度も訪ねたことがなく、道順を今回ネット検索したらお墓までの動画があり、思わず見入ってしまいました。そこは3年間通った中学校の通学路で、西森商店という友人のお店だった看板や景色があり、しばしタイムスリップした感じとなつかしさでいっぱいになりました。なんとお墓は友人のHさんの住む家からすぐ近くにありました。あんな近くにお墓があることをあらためて知り、感謝します。次回の小樽での三浦綾子読書会の時にぜひHさんと訪ねたいと思いました。
   まだまだ世界中たいへんなことは続くようですが、ただ主のあわれみがありますようにと祈りつつ……。

         ※写真は融雪作業も終盤の石狩川河川敷から旭川市街地を望む風景。

    

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。