おたより ⑰

   この日も森下先生は、敬愛する三浦光世さんのような語りかけだった。
   2014年4月 NHK アーカイヴス『北の大地に生きる』三浦綾子「苦難に立ち向かう希望の文学」(後編)を聴きました。

   私は、保育士資格取得後、三浦綾子文学から少し距離を置いていた。
   『氷点』の児童虐待、①ルリ子への暴力・殺人、②陽子への精神的虐待。これらを、私は防止しなければならない、保育士として登録された。保育士登録されると、普段の言動にも気をつけるようになった。日本文学科卒業の立場では自由に小説を読めたのに、三浦綾子読書会への参加も減った。今から思うと、残念。
   時は過ぎ、コロナ禍の2021年。北海道旭川市、極寒の1月、中学2年生の女子が、凍死する事件があった。自殺。原因は、中学校の同級生らによる『性的虐待』と思われる。児童ポルノに該当するであろう画像や動画の撮影を、自殺した女子に強要、それらをインターネット上で拡散したらしい。中学生のすることとは思えない、怒りの戦慄が走った。児童ポルノの拡散は、犯罪。違法行為。旭川市教育委員会は、第三者委員会による調査をしているらしい。自殺児童を尊重し、児童ポルノ拡散は犯罪とされるのか、加害児童の更生が重点措置とされるのか、今後を見守りたい。
   ひとつ確かなこと児童虐待は、悪質で酷くなっている。年々、件数も増加する。『氷点』が書かれた20世紀よりも、性的虐待が増え、「性的映像公開虐待」となっている。私の頭では、考えられない。まるで、本能のみで生きる動物のようだ。画像・動画撮影が簡単にできる、スマートフォン。カメラ機能付き携帯電話を児童が一人1台所有することの功罪、恐ろしい。いつでも、どこでも、誰でも、情報発信できる。日本語では多くの人々に伝わらないが、カメラによる映像は、わかりやすい。言葉よりも、目で見て感覚的にわかる情報、画像や動画を人々は求めるようになり、世の中の流れが変わった。
   しかしながら、『聖書』には、「 初めに言(ことば)があった」(ヨハネ福音書1章1節)とある。私は『言葉の力』を信じる。言葉によって、人は生きる。パンや映像だけで生きるのではない。三浦綾子文学のルネッサンス、文芸復興を祈る。北の大地、旭川から「 児童虐待防止 」の発信を期待する。三浦綾子文学館や、特別研究員の森下辰衛先生が、お働きくださるだろう。「児童虐待」、それは古くて新しい、いつの時代も見られる、罪深い人間の仕業。『氷点』『続氷点』を読み返して、「児童虐待防止」に、改めてとり組みたいと思った。「保育士資格取得者だからこそ、三浦綾子文学作品を読まねばならない」と、私は考えを改め、心を新たにした。いくら時が過ぎようが、行動が悪質下劣になろうが、人間の『心』は、二千年の昔から大して変わっていない。
   三浦綾子さんは「軍国主義~戦後の昭和の人」という認識の若い人もいるが、令和の今も、日本は隣国からミサイル発射されている。20世紀も21世紀も、人間の『心』は、大して変わっていない。旧約聖書には、そのような人間が描かれている。私は、三浦綾子さんの小説は、旧約聖書の世界のようだと、感じている。神を知らない作中人物の迎える結末は、死が多い。神を知り得た人物は、その死が描かれていない場合が多い。作中で生き続けている。「この世に生きる人間も、そうではないか?」神を信じる人間は、永遠の天の御国で生き続ける。
   新約聖書の人々のように、この世でも、主イエス・キリストと共に生きるクリスチャンは、本当に幸せだ。私は、日々、感謝です。私は、三浦綾子文学(文芸)を読むと、自分が若く信仰が純粋だった頃の生き方を思い出して、懐かしむだけではない。「今に通じる生き方を、改めて考える。」例えば、若かった頃、自分は相談する立場で読んでいたが、今は、問いかけに応える側の視点で読んでいる。このように応えたいと、私もそれなりに忍耐して生きてきた。そして、心が純粋だった頃を思い出し、新たに清められる気がするのも事実だ。信仰を持ち続けたいと願いながら。

 

   ラジオ番組のご案内ありがとうございます。「ことば」について思い起こされまして、大変励まされたことでございます。最後の「言葉は命であり、光であり、愛でもある」が、一番残りました。今まさに、言葉のことで困っていたところでしたので。ヨハネによる福音書の書き出しからも、言葉は神であり、恵みであり真理なのですね。周りに押されても、自分を変えることなく、職場ではなんとかやっていきたいと思います。介護施設に勤めている中で、一日中、お茶がわりにアルコールを飲んで性的なことや、身体的なことを言う人がいますが、とらわれずに、私が、気持ちを離すことが出来て、大変有り難く感謝致します。

 

   今日も関西地方でのご奉仕でいらっしゃいましょうか。コロナもですが暑さ厳しい中、どうか守られて、よきお働きをなさっていただけますように。昨日は、「語り手実践講座」に参加させていただき、とても嬉しく、感謝でした。そうだったのか〜〜〜!!森下先生も、のたうち回っておられたのか〜〜!!と。何だか、ホッとしました。どんなときもスラスラと原稿が進まないことを嘆いていた私は、「それでいいんだ!」「そこを通らなくちゃ書けないし、語ることもできないんだ!」と、ストンと納得いたしました。
   借りものの言葉では、どんなに一所懸命に喋っても聴き手には届かない。全存在を引っさげて、語ることしかできないんですよね。ガッテンです。そして、主催者は、どんなときも、私を召して居られる方だと。音楽で語ることも、おんなじだなと思いました。
   昨日の講座は、いろんな意味で、励まされたことです。ありがとうございます。
   ご紹介のありました前日の山野辺キリスト教会での「泥流地帯」のご講演も拝聴いたしました。
   苦難の中でこそ…。しんどい、しんどい道ですけれども…ね。「にもかかわらず」喜んで従ってゆきたいと。あらためて祈り願わされました。旭川にいらっしゃる兄弟のこと。確か、私もお目にかかったことのある方かしらと思いながら伺っておりました。「一緒に」「一緒に」「一緒に」そのことが深く胸に響いております。問われました。あなたは、そのように生きているのか?と。
   ありがとうございます。感謝をお伝えしたくて、とりとめもなく書かせていただきました。

 

森下辰衛先生

   昨日は話し方講座と読書会リーダー交流会、ありがとうございました。
   礼拝の準備も目処がついて、開催前日に申込みさせていただきました。参加してお話を聞くことができて本当に良かったと感じました。旭川の懐かしい方たちのお顔も拝見でき、嬉しかったです。
   私にとって語りの実践は早速、今日の教会学校でした。昨日お聞きした色々なポイントを考えると、とても恵まれた語り環境だと改めて感じました。聞いてくれる相手との関係があり、ある程度把握できていてしっかりと向き合うことができ、一応私の話を聞こうと来てくれるので。いつも祈っている相手であり、必要なことを、真実なことを、愛を込めて語る。いつもは何気なく行っている一つ一つのことも改めてこれは大事なことなのだな、と確認し、感じつつ行うことができました。いつものように、色々と脱線しつつも、子どもたちが興味を持ってくれるポイントに絞ったり、用意していたものとバサッと変えたりして、こういうのあるあると実感しつつ、伝えたいところはしっかり届けることができたな、という手応え感じることができました。
   実践のお二方の話し、ぜひフルバージョンを聞いてみたいと感じました。読書会会報の記事でお読みしていたこともあり、興味もありました。私もいずれは三浦綾子作品と自分の体験や思いと、構成させて語ることができたら良いな、と思います。まだ教会での読書会はできていませんが、教会内では文学館の賛助会員は増えました!作品をおすすめしたり、信徒の方も読んだ本の感想をさっと伝えてくださったりするので、コロナ禍でまだまだ限られた交わりの中ですが、少しずつ準備していけたらと思っています。それでは、またZoomでの読書会などでお世話になります。よろしくお願いいたします。

 

   文学館からの配信、氷点カレッジなどよく視聴しています。色々な方から興味深い話を聞けたり、作品を味わうことができたり、とても楽しいです。企画し取り組んでくださっている文学館の方たちに感謝です。
   土曜日の講演もおききしました。“苦難の中でこそ、人生は豊かなのです”。私自身はまだまだ通された苦難と向き合い、乗り越え、意味を見いだす途上なのだと感じました。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。