2021年1月1日(金) / 最終更新日時 : 2021年1月12日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「お前の手に負える額ではない」―“馬鹿正直”な人の普通のお正月 昭和三十八年元日の夕べ、棚卸しでくたびれたわたしは、わたしの父母の所に年始に行った。父母は、わたしの住むすぐ近所に越して来ていた。わたしが長年療養したことも、祟ったのだろう。家も土地も売り払い、五軒長屋のような、小さなアパートに移り住んでいたのだ。年も七十を過ぎてから、長年住み馴れた家屋敷を手放すことは、どんなにつらかったことだろう。
2020年11月25日(水) / 最終更新日時 : 2020年11月25日(水) 森下 辰衛 三浦綾子 あんたはわしの同労者や!-川谷威郎先生の思い出 11月25日は川谷威郎(かわたにたけお)先生の命日です。2009年80歳でした。旭川六条教会の牧師を務めたのは1961~76年の15年で、『この土の器をも』などによれば、綾子さんは1963年『氷点』を執筆中、人間の社会はなぜこんなにも幸福になりにくいのかと考え、罪の問題につき当たりました。そのとき、彼女の思索の支えとなり、多くの示唆を与えたのが、旭川六条教会の川谷威郎牧師の説教でした。
2020年11月16日(月) / 最終更新日時 : 2020年11月16日(月) 森下 辰衛 前川正 李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄 2 珍しく雪の遅い年でした。胸を病む人のいる家にはありがたいことでしたが、でも季節はいつまでも猶予してはくれません。その日、昭和二十八年の十一月十六日、お昼から旭川に初雪が降り始めました。気温も下がって初雪がそのまま根雪になりそうな気配でした。雪を見た正は、あなたの家に行くと言いだして、着替えを始めたので、驚きました。
2020年11月10日(火) / 最終更新日時 : 2020年11月11日(水) 森下 辰衛 文学散歩 「あなた、ご飯を食べましたか?」-弟昭夫さんと母キサさん 11月10日は綾子さんの二番目の弟堀田昭夫さんの命日です。1971年 45歳でした。三日前の7日の夜、旭川市永山の見通しのよい横断歩道を横断中、猛スピードの車に撥ねられました。昭夫さんは綾子さんが札幌医大病院を退院するときには、都志夫さんらと一緒に迎えに来て列車の中では寝たきりで外を見ることの出来ない綾子さんのために、今どこを走っているか、時々教えてくれる優しい弟でした。
2020年11月10日(火) / 最終更新日時 : 2020年11月10日(火) 森下 辰衛 文学散歩 秋の春光台公園文学散歩 春光台公園は、旭川市中心部から北へ約5 kmに位置し、なだらかな丘陵地に帯状にある面積52.42ヘクタールの公園です。国道12号(旭川新道)が公園南側を通り、北海道道72号旭川幌加内線が縦断して公園を東西に分けています。園内東側の沢筋には約750mに渡ってミズバショウが自生しています。三浦綾子の自伝小説『道ありき』の舞台です。
2020年10月29日(木) / 最終更新日時 : 2020年11月8日(日) 森下 辰衛 文学散歩 紅葉の観音台でお墓デートしましょう 「いつきても、ここは公園みたいだね」(略)どの墓の敷地も一律に二坪で、御影石の墓石も和洋のちがいこそあれ一定している。“藤戸家の墓”と書いた墓の前にくると、ツネが言った。 「おじいさん、またデートにきましたよ」(『果て遠き丘』) 観音台は三浦夫妻のお墓のある丘です。
2020年10月12日(月) / 最終更新日時 : 2020年10月12日(月) 森下 辰衛 プライベート 綾子さんからのお知らせ ー 10月12日の思い出 その日、綾子さんのことも旭川のことも何も知らないで、福岡の自宅で夕食を終えた私は、自室で、少し古い日本の歌をCDで聴きながら軽い仕事をしていました。かぐや姫というグループのベスト盤CDで、何曲か目に「あの人の手紙」という歌が流れました。歌は南こうせつさん、詞は伊勢正三さんで勿論よく知っている曲です。
2020年9月25日(金) / 最終更新日時 : 2020年9月25日(金) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 『塩狩峠』刊行52年 ― 生き続ける馬鹿力 1968年9月25日、新潮社から『塩狩峠』が刊行されました。新潮文庫として刊行されたのは1973年5月29日。※単行本は9・2・5、文庫本は5・2・9と逆並びになっていて、今日はちょうど52年経った9月25日です。3年後の1976年、新潮社は文庫フェア「新潮文庫の100冊」を始めました。
2020年9月22日(火) / 最終更新日時 : 2020年11月9日(月) 森下 辰衛 星野富弘 いつも前を歩いてくださっている方 ― 富弘さんとの対談の思い出 2012年9月22日土曜日は生涯忘れられない素晴らしい日でした。この日の午後、群馬県みどり市の富弘美術館で、星野富弘さんと共に講演と対談をさせていただきました。2012年は東日本大震災の翌年で、年の前半は被災地に綾子さんの本を贈ろうという活動をしましたが、もう一つの大きな行事が、三浦綾子記念文学館と富弘美術館が交換展、という年でした。
2020年9月17日(木) / 最終更新日時 : 2020年9月22日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「あ、男だった!」ー 初めて綾子さんに会った日 一九九五年九月一七日日曜日。その日は私にとって生涯忘れ得ない日になりました。旭川六条教会で三浦綾子さんと光世さんに初めてお会いした日だからです。この年春から福岡女学院短期大学のゼミの授業で三浦綾子を取り上げて読み始め、前期が終わった夏休みに、ゼミの研修旅行で13人の学生を連れて、初めて飛行機に乗り、初めて北海道に来たのでした。