2021年4月21日(水) / 最終更新日時 : 2021年4月21日(水) 森下 辰衛 プライベート すこし春~近況 皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか?長らくブログはお休みしておりますが、春になった旭川で元気にしております。先週の10日土曜日は、三浦綾子読書会のオンライン委員会の皆さんが多くの労をとって準備して下さった初めてのオンライン講演会でした。これからの読書会の一つの柱にもなるかも知れない活動、その第一回ですから、久しぶりに少し緊張して準備しました。
2021年1月12日(火) / 最終更新日時 : 2021年3月23日(火) 森下 辰衛 試作的思索 どうしてこの私ではなくてあなたが ― 神谷美恵子 1月12日は、神谷美恵子(かみやみえこ)さんの誕生日です。1914(大正3)年東京府に生まれました。父の前田多門さんは新渡戸稲造の弟子で文部大臣を務めました。津田英学塾卒、コロンビア大学留学、東京女子医専卒。東大医学部精神科、ハンセン病療養所長島愛生園等で勤務し、1979(昭和54)年に亡くなりました。三浦綾子は感動をもって彼女の詩を何度も引用しています。
2021年1月10日(日) / 最終更新日時 : 2021年3月20日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 伝えられなかった「最後のメッセージ」 弾圧の時代を生きた元教員が遺した原稿 北海道新聞の佐竹直子さんからおたよりいただきました。佐竹さんは『銃口』の北海道生活綴方事件の先生たちが残した資料を丹念に後づけ事件の実像に迫った『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代 』(道新選書)で日本ジャーナリスト会議賞他を受けられました。最近また、すばらしい記事を書かれました。数か月前に紹介した生活図画事件の松本五郎さんについてのものです。ぜひお読みいただければと思います。
2020年12月1日(火) / 最終更新日時 : 2020年12月1日(火) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 小林多喜二、いのちと家族の記憶-三浦綾子、守分寿男の仕事から 1903(明治36)年12月1日、小林多喜二は秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)に小作農家の次男として生まれました。少し古い資料では「10月13日」となっているものが多いようですが、それは旧暦の日付のようです。さて、小林多喜二と三浦綾子との関わりですが、1977年と言いますから綾子さんが『泥流地帯』を書いていた頃だったようですが、光世さんが綾子さんに小林多喜二の母を書いて欲しいと頼みました。
2020年11月23日(月) / 最終更新日時 : 2020年11月23日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 一番大事にされなければならないのは、弱い人です。-三浦光世の母シゲヨ 1978年11月23日三浦光世さんの母繁代(シゲヨ)さんが亡くなりました。死因は心臓喘息78歳でした。結婚の時期は正確には分かりませんが、おそらく1917年ごろ、シゲヨさんが福島の宍戸家から北海道北見滝上の三浦貞治さんに嫁いだときはほぼ17歳。貞治さんは数年前に福島から単身入植して開拓していました。
2020年11月18日(水) / 最終更新日時 : 2020年11月18日(水) 森下 辰衛 文学散歩 「枯木に花も咲くからなあっ!」-大正15・11・18復興反対集会の拓一 1926(大正15)年11月18日、「十勝岳爆発による泥流罹災地は絶対復興の見込なく、多額の費用を投ずるは無意味に国費を放棄するものである」と主張する復興反対期成会(会員約15名)によって、上富良野村市街地で村民大会が開かれました。会場となった三共座は大正時代に栄えた共楽座が経営不振になった後を引き継いだもので、後に新築されて永楽座、更に上富良野劇場と名前を変えてゆきます。
2020年11月7日(土) / 最終更新日時 : 2020年11月7日(土) 森下 辰衛 榎本保郎 いのり-阿南慈子さんと子どもたち 阿南慈子(旧姓奥村)さんは1954年11月7日、京都のクリスチャンの家に生まれました。父の名は奥村光琳。『ちいろば先生物語』で榎本保郎の信仰の導き手となる戦友して登場してきます。綾子さんと光世さんは、『ちいろば先生物語』の取材で慈子さんと出会ったでしょう。26歳で阿南孝也さんと結婚。二年後長男時也君、更に二年後長女七星ちゃんが生まれましたが、31歳で慈子さんは多発性硬化症(MS)を発病します。
2020年10月30日(金) / 最終更新日時 : 2020年10月30日(金) 森下 辰衛 三浦綾子を読む もう一つの『銃口』-『松本五郎・菱谷良一「無二の親友展」図録』(増補版)紹介 昭和15~16年、北海道生活綴方連盟事件と共に起きた生活図画事件をご存知でしょうか。この「生活図画事件」で、当時逮捕・投獄された旭川師範学校の同級生2人が、一年前の2019年11月、共同絵画展「無二の親友展」を札幌市西区の「ギャラリー 北のモンパルナス」(企画:田中みずきさん)で開催しました。その時の図録(増補版)を、企画された田中みずきさんから最近頂きました。
2020年10月29日(木) / 最終更新日時 : 2020年11月8日(日) 森下 辰衛 文学散歩 紅葉の観音台でお墓デートしましょう 「いつきても、ここは公園みたいだね」(略)どの墓の敷地も一律に二坪で、御影石の墓石も和洋のちがいこそあれ一定している。“藤戸家の墓”と書いた墓の前にくると、ツネが言った。 「おじいさん、またデートにきましたよ」(『果て遠き丘』) 観音台は三浦夫妻のお墓のある丘です。
2020年10月26日(月) / 最終更新日時 : 2020年10月26日(月) 森下 辰衛 前川正 前川正から贈られた『きけわだつみのこえ』 1949(昭和24)年10月26日(水)、堀田綾子は前川正から『きけわだつみのこえ』を贈られました。正は扉裏に以下のように書いていました。 これは全く私達と同じ世代の友達の声 而も彼等は死に 私達は生きた 私達の生は 彼らに負ってゐる さあ、更めて かつての自分たちの声を聴かう― 一九四九・一〇・二六 正 綾子様