オムニ・バス ④

   幼稚園のころ、虫歯がたくさんあって、私は町の歯医者に通っていた。アルマイトのデコボコのお椀で脱脂粉乳のミルクが出る給食のあと、幼稚園が終わると、祖母が迎えに来て、町へ行くバスに乗せてくれた。バスは川の流れに沿って下るくねくねとした五キロほどの道を走る。一人でバス窓から見る風景は、いつも走り回っている山や畑や友だちの家も少し違って見えた。校区を外れると、急に不安な気持ちになる。ひとりだということが、しんと感じられる。
   町の商店街のバス停で降りて、すぐ前の「中西歯科」と白いペンキで書かれたドアを押して入る。待合室の窓は縦長い短冊状の厚いガラスを並べたようになっていて、そこから外を見ると、表を通る人や車がピラピラピラピラと幾つかに分身しながら移動してゆくようで、面白かった。治療が終わると、数百メートル歩いて、同じ商店街の反対側の端にある父母が勤める印刷所に行く。往来も激しいし、商店は軒先にいろんな物を並べているので歩きにくかったが、珍しいものも見えて楽しかった。大きな房のぶどうや、金柑の山。おもちゃ屋さんを少し覗くとプラモデルの箱がぎっしりと詰った棚があった。
   父母の働いているあさひ印刷所の前には、井上菓子店があって、美味しいお饅頭や最中を作っていた。作るところを見せてもらったこともある。そこのお菓子の包装はあさひ印刷所で作っていたから、ほとんどが父のデザインだった。印刷所の中には暗い土間があって、巨大な鉄のカバかサイのような印刷機が大きな音を立てていた。少し段を上がったところには図書館のように活字が棚に並んでいて、母はそこで活字を拾って製版をしていた。しばらく待って、母にバスに乗せてもらう。そのとき、何か持たせられることがしばしばあった。あるときは蜜柑だったり、おせんべいだったり、何か分からない袋だったり。
   ある日のこと、ひと房のバナナを持たされた。新聞紙に包まれたその心地よい硬さと重さに、ちょっとウキウキした。
   バスは町外れの小さな峠を越えるとき、私が生まれた病院の横を通る。川沿いをさかのぼる田舎道を走って、小学校の前のいつものバス停で降りたら、そこで同級生のひでとし君とけんちゃんに会った。二人は今から、すぐ前の川で遊ぶのだと言う。荷物があるのでやめようかと思ったが、ちょっとだけ一緒に行きたいと思った。しばらく遊んでいるうちにお腹がすいた。それで、三人でバナナを一本ずつ食べた。美味しかった。それで、もう一本ずつ食べた。バナナは全部なくなった。しまったと思った。持たされた物は、手をつけずに家まで大事に持って帰る決まりだったのだ。
   家に帰り、夕方には両親も帰ってきた。母が聞いた。
  「バナナはどうしたん?」
   すると口が、
  「バスの中に忘れた」
   と言ったのだ。
   私は青くなった。嘘をついたのだ。嘘をついてはいけない。それも大事な決まりだった。嘘は泥棒の始まりだと何度聞かされただろう。考えてみると、嘘を言った私は、確かにもう、家のバナナを盗んでいたのだ。嘘をついたことで青くなっていたのだが、忘れたことで青くなっていると親は思ったようだった。しばらく叱られた後でその日は解放された。
   しかし、私の心は解放されなかった。むしろ恐れに囚われていった。嘘をついた。いつかきっとばれる。けんちゃんのお母さんが、母にお礼を言うかも知れない。
   一週間ほどたって、歯医者の後で私に紙袋を持たせた母は、
  「バスを降りるとき、忘れないようにするんよ」
   と言った。胸がどきんとした。
   一か月、二か月、嘘はばれなかった。でも、しばらくは、「バナナ」という言葉を聴くとぎくりとし、バナナを見るのも嫌だった。
   一年、三年。私は、大人でも何もかもは分からないのだということを知った。が、それでも、心には恐れがあった。それから二十年ほどの間、その嘘と秘密を、私は心に持ち続けた。叱られることも責められることも、もうないと分かっていても、誰にも言わなかった。
   三十歳が近くなったころ、ふるさとから遠くはなれていた私は、自分の罪を認めることが一番良いことだという、それまで聴いたこともない教えに出会った。それから何年か後に故郷に帰ったとき、幼稚園のときのバナナの秘密を、とうとう私は母に話した。すると、母は言った。
  「ふーん。そんなことがあったんか。よう憶えとるなあ。でも、みんなで仲良くバナナを食べられて、良かったなあ」
   このバス路線も今から数年前、廃止になったと聞いた。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。