おたより⑲

森下先生

今日の旭川の景色はどんな様子でしょうか。春光台・塩狩峠・文学館・美瑛の丘などなど、伺わせていただいた場所場所の冬の景色はどんなになるのだろう、、、と思い浮かべながら過ごしています。
文学館でのななみさんの展示会などの準備などもあり、少しずついろいろな活動が再開され、皆様との温かい交流は最高にエコな『暖』ですね!その源を沢山作って下さる森下先生・皆様にいつも感謝しております。
あや講座のDVDを夫と共に拝見させていただきました。思った以上にボリュームがあり、内容どっさりで、とても勉強になりました。『泥流地帯』『続泥流地帯』も再読したいとうずうずしています。綾子さんの文学がどんな形であれ、若い方からご高齢の方まで学びの場となる事がとても嬉しいですし、ご当地で産まれ育った文学があるという事は、ふるさとの懐かしさとつながるものがあるのではないかと感じています。東京在住の私ですら、綾子さん・前川さん・光世さんの佇まいを感じられる旭川は大切なこころのふるさとのような存在です。再読したい綾子さんの本がどんどん積み上がり、これは相当長生きしないとなりません(笑)。
綾子さんと遠藤周作さんとの比較年表は拝見するほどに深いです。特に遠藤さんのエピソードは作品に大きく影響しているポイントが記されていると思いますし、綾子さんと共に歩んでいらしたのではないか?と思われるほど、人生が重なっているのに驚愕しています。『銃口』と『深い河』がこのおふたりの作家の集大成でもあり、遺言であるかのように感じられ、畏れすら抱いてしまいました。
今回の『銃口』のご講演は登場人物おひとりおひとりに丁寧に森下先生のあついまなざしとエールが伝わってきて、何度も目頭があつくなりました。綾子さんの歩んだ道、出会った方すべてが『銃□』という作品にぎゅっと紡がれ、織りなされていた事に、気づかされる事ばかりでした。気付きがあまりに沢山あって、書ききれませんが、綾子さんの作品は過去と現在と未来を支える天の梯子のような存在だという事を実感します。
次回の『天の梯子』の読書会に私は参加できなくなってしまったので(涙)録画を拝見しながら「死」について皆様と分かち合いをしたいと思います。このような読書会をご考案下さって、進行や司会の労をとっていただき本当に感謝しております。感謝や気付きを生活や人生の中で、いろいろな形で循環させていけるよう努めていく事を、恩返しとさせて下さい。寒さが増す折柄どうぞお身体を労わってお過ごし下さい。感謝と共に。

 

森下辰衛 先生

本日も、みなさまとご一緒に参加させていただきまして、心からうれしく、感謝でした。ありがとうございます。痰がひどくて、痰の吸引をしてもらったり…。こちらの舞台裏はなかなか慌ただしかったのですが。
今日の箇所も、誰にとっても容易に語りえないようなご体験があり、お話しを伺いながら胸が熱くなりました。ほんとうは、みなさまのお言葉をただじっと聴いて、黙していたいと思ったことでした。
11日(土)の森下先生のオンライン講演会、ほかのオンラインミーティングと重なってしましまして、どうしてもオンタイムでの参加が叶いません。残念!
「…御子を十字架につけてまで私たちを救い愛して下さる神様は、こんなにも深い交りの喜びを備えていて下さるのですね。…」数年前に三浦家で発見されたという光世さんのお便りの、この一文だけでも、激しく胸を打たれています。ぜひ、後ほどDVDを購入して視聴させていただきたいと思っております。
また、病棟の窓からの紅葉の様子を眺めながら、晩秋の美しさに、八木重吉さんの詩「素朴な琴」を思い巡らしておりましたとき、森下先生のブログにありました(2020.10.26)「神様の名を呼ばぬ時は お前の名を呼んでいるー茅ヶ崎の八木重吉」を拝読し、重吉さんの叫び、告白、嗚咽が伝わってくるようで、死を前にしたものの真実な祈りが頭から離れませんでした。真っ直ぐにインマヌエルの主を仰ぎつつ生き切られた、信仰の素晴らしい先達の歩みに励まされて、今日もまた新たな力をいただきました。
心より感謝申し上げます。

 

森下辰衛 先生

いつも先生がご講演や読書会で綾子さんの作品の解説をして下さり、沢山の感動と導きを頂き、感謝致しております。「道ありき」第3回講演、本当に感激いたしました。
1955年8月26日の光世さんの手紙を先生が丁寧にご説明下さり、その素晴らしさに感動しました。31歳の光世さんが、このような見事な手紙を書かれたことに強い感銘を受けました。心が洗われる思いで、手紙を何度も読み返しています。
「骨ずいからエゴイストであった」光世さんが、これほどまでに遜った、聖い信仰を持つようになられた神様の御業に驚きです。
「あなたが正さんのことを忘れないということが大事なのです。あの人のことを忘れてはいけません。..わたしたちは前川さんによって結ばれたのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」どうして、このようなことを言える人がいたのか、信じられません。私なら、そんな人とはさっさと「おさらば」です。
前川正さんといい、三浦光世さんといい、イエス・キリストの似姿ともいえるような30代の青年が同じ時期に二人も旭川にいたことに畏敬の念を覚えます。
最後の方で、先生がお話し下さった光世さんが綾子さんを介護をされたご様子、また釧路の方が長年奥様の介護をされているご様子に大変感動しました。心がしめつけられる思いで目頭が熱くなりました。私は疲れている時や家内が我儘を言った時など、いつまでこの状態が続くのだろうと思うことがしばしばありますが、夜の間に神様が私の疲れを癒して下さり、また朝から元気で主夫業に取り組めています。
光世さんの「介護するよりも介護される方が辛いに決まってるんだから我慢しないでいいんだよ。もっともっと我儘言ったらいいんだよ」、「人生は苦難に遭わないことはいいのではなく、苦難は試練であり、与えられた使命でもあるのです」の言葉に、打ちのめされました。先生のお話を聞いてからは、私とは比較にならないほどのお二人の愛情溢れる介護の様子を思い出し、励まされています。
お二人に近づきたいです。よいお話を有難うございます。この感動を他の方々にもお分かちしたく、ご講演DVDが出来上がるのを心待ちにしております。
生意気なことを申し上げますが、先生の深く掘り下げた解説と共に、その語り口調、間の取り方、所々でのジョーク、エピソード等に凄い賜物をお持ちだなあと敬服しています。神様の召命を受けて奉仕して下さってることに感謝致します。
これからも、先生の三浦作品のご講演を楽しみに致しております。これから益々寒さが厳しくなりますが、先生とご家族皆様のご健康をお祈り致します。

 

「旅の終りの今朝見たる夢淋し生きよと三度君に告げゐつ」
この短歌の背景に、夢の後に祈り続ける中で「愛するか」と問われた出来事があることを教えてくださり感謝します。森下先生は短歌の「生きよ」から、エゼキエル16章を説明されました。私は「三度」という言葉と「愛するか」という背景の言葉から、ヨハネ福音書21章に思いを馳せました。
ペテロには、主イエスを三度知らないと言ってしまう弱さがありました。しかし復活の主イエスは、そのペテロの弱い三度を覆い包むように、三度「愛するか」と問いかけ、愛する愛と新しい使命を与えられました。ヨハネにはヨハネの生き方があり、ペテロは行きたくないところへ行き、人が望まないような生き方、召しになるけれども、愛するという新しい歩みにペテロが招かれているところと被りました。私の思い違いかもしれませんが・・・^^;

 

かつて光世さんがみた綾子さんが亡くなるという夢のことで思わされたことがあります。
この綾子さんが亡くなった夢が意味するものは、これまでの堀田綾子は死ぬ、つまり、肺結核での闘病に終止符が打たれ、これから先は全く違う大きな働きのために私は用いようとしているという意味だったのかもしれないと。そのために三浦光世、お前を綾子の伴侶として必要としているのだ。だから、お前は堀田綾子を愛し、伴侶になることを決断できるかという問いであったのかもしれないと。
勿論、当時の光世さんも綾子さんも、まさか自分たちがこれほど大きく用いられようとは夢にも思っていなかったと思いますが、お二人の働きの大きさを知っている現在からこの光世さんの夢と神とのやりとりを顧みたとき、そう思わされました。

 

光世さんの手紙が発見されて、こうして読むことができたことに感謝です。光世さんにとっても、綾子さんとの出会いがどれほど大きなことだったのか、よくよくわかりました。今までは綾子さんの側に立って、「前川さんによく似た光世さん」「なおらなければ一生独身で過ごしますとまで言ってくれた光世さん」すごいなあと思っていました。でも光世さんにとっても、綾子さんとの出会いは本当に救いであり、神様の備えであったのですね。

 

森下辰衛先生

クリスマスおめでとうございます!
今年は森下先生に励まされっぱなしの一年となりました。一年を振り返ると、森下先生のお顔やお声や想いが蘇って参ります。特に、旭川でご一緒させていただいた時間の尊さを思う時、先日の『道ありき』のご講演とぴったりとつながり、心が温かく、希望の灯が灯るような気持ちがいたします。
『甘き喜びのうちに』というCDを贈っていただいてから職場でBGMにしています。特に夕方の疲れがたまっている時間帯に松原葉子さんの演奏を聞くと、静かに疲れが癒されていくのを感じます。夫もこのCDが大好きで、他のCDの出番がありません。どの時節にもぴったりで、いったいどんな方なのだろう?と考えながら聴いていました。
そんな折、『天の梯子』読書会で、ご一緒させていただく機会を戴き、びっくり&感激! 毎回のメッセージに心をいたくゆさぶられ続けています。前回の『天の梯子』でご葬儀の時の葬送曲を選ぶというお話しを伺って、ようやくこのCDと『天の梯子』の葉子さんとつながったというわけです。こういう事が、ひとつひとつ神様からのギフトなんだなあ、、、と思います。末席であろうとも、『天の梯子』にぶら下がり、しがみつきながらこれからも「約束」「にもかかわらず」「希望」「道ありき」などのキーワードを自分達の人生や心に響かせて、歩んでいけたらと切望します。
前回の「死」についての章に関しては、長く「死」と深く関わる仕事を続けているという驕り故に、盲目になっている自分白身を猛省いたしました。「死」に対するみずみずしい感性を失っている自分とでも言いましょうか。「その方の人生に寄り添っておられるのは神様である」という大前提を今一度見直す機会となりました。
松原葉子さんの風琴の音色に癒されながら『久しく待ちにし』(葉子様作曲)の気持ちで、クリスマスを迎えられる事に感謝です。
森下先生・御家族の皆様のお身体が護られ、クリスマスと佳き新年をお迎えになれますようお祈り申し上げます。  感謝と共に

※松原葉子さんのリードオルガンCD『甘き喜びのうちに』(ワオンレコード)には、バッハや讃美歌、松原さん自身の作曲の作品など、アドヴェント、クリスマスの25曲が収められています。

 

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。