おたより ⑦

森下先生

   天気予報を見る時にいつの頃からか旭川の予報を必ず見てしまうようになっています。森下先生が道内のことりっぷをブログに載せて下さるので、私まで北海道を旅している楽しみを共有させていただいております。・・・
   毎日ブログに泣かされてばかりです。「カバゴジラ」は涙がとめどもなく溢れてしまいました。「ありがとう」のCDにも登場される叔母さまのお話しは、何度伺っても自分自身の省察と共に、いのちの輝きの尊さを感じます。「私を思い出して下さい」と叔母さまは森下先生に託されたのかも知れません。折に触れて先生の叔母さまは私の心に思い出され、実に沢山の事を教えて下さっています。叔母さまが人生のすべてを通して示された大切な事を森下先生が講演で話されたり、こうして作品として世に出されることで、叔母さまは誰よりも雄弁に私たちに語りかけて下さっているのだと思います。先生は出会った方や逝かれた方を輝かせてしまう魔法をお持ちです。・・・「カバゴジラ」のブログの最後はミヤコワスレの写真でした。花言葉は「また逢う日まで」。先生が叔母さまと天国で再会するまで叔母さまのことを語りつづけて差し上げてほしいです。
 中浜小学校のご訪問のブログも忘れられません。柱に巻きついた鉄骨や波を受けた壁側の階段のクロスが示しているものを心に刻みます。悲劇と奇跡は表裏一体なのかも知れません。私は恥ずかしながら被災地は南相馬にしか行ったことがありません。あまりの光景に言葉がありませんでした。南相馬の学生さんたちに「大丈夫ですから」と慰めていただくような情けない経験をしました。中浜小学校に三浦綾子さんの本を送っていただけないでしょうか。自分の情けなさを少しでも帳消しにするために、森下先生を利用するみたいで大変心苦しいのですが、どうぞどうぞ宜しくお願いいたします。本の選別、本を贈る時期などは先生にすべてお任せいたします。

 

森下先生

   お父様の事、お悔やみ申し上げます。9月14日のブログを拝見して、お目に掛った事のないお父様ですが、情景が、何だか目に浮かぶようでした。
   今はコロナ感染予防の為、病気の方に触る事も出来ない、それどころか、会う事さえ出来ない状況ですが、先生は最後に電気髭剃り機で、毛の剃りやっこが出来て、貴重で素敵なひと時でしたね。月並みな言葉ですが、今頃は自由自在に歩き回っている事でしょうね。出来る事でしたら、私の所にも来ていただいて、ご挨拶がしたいです。
   「初めまして、森下先生には大変お世話になっております。森下先生のお父様になって下さり、ありがとうございます」
   とお礼がしたいです。
   何だか、おこがましい事を考えてしまいました。これからもブログの更新を楽しみにしています。
   ありがとうございました。

 

森下先生

   長野ではよい時間を過ごされたようで良かったです。CD届きました。戻られてお忙しいところ、心のこもったお手紙とともに、どうもありがとうございました。ゆっくり聞かせていただきます。
   お父様、素晴らしい方だったのですね。ずーっと昔、お茶の水のクリスチャンセンターで初めてお話を伺った時、電車で席を譲ろうにも譲れなかった少女の心の揺れを書いた詩についてでした。優しい弱いものの視点でじんわり心にしみいる温かさ・・・、自分が肯定されたかのようでした。その後の先生のお話、創作、ブログで、あっ同じ感覚!と心が「ぬくっ」とすることがあったのですが、お父様に通じていたのだなぁと感じいりました。気温の変化に体がなれませんが、どうぞお気を付けておすごしくださいね。
   どうもありがとうございました。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。