おたより ➅
最近いただきました感想のお便りの中からいくつかを紹介させていただきました。三浦綾子の物語や私の語る物語を何らかの光として受け取ってくださって、ご自分の物語をもう一度照らして、語り直してゆくきっかけにしていただけたら、本当にうれしいです。
森下先生
いつもブログありがとうございます。今、なんだか北海道へ避暑に行きたい気分です。またラジオドラマのシナリオで、今ちょっと北海道のことも触れてみて アイヌのことや開拓使のことなど調べてみて、ますます行きたくなりました。
三浦綾子文学の深い貴重な情報ありがとうございます。岡藤丑彦さんのお話、興味そそられました。毎年この8月は終戦の話題も多いのですが、あの時代に翻弄されている人たち、信仰を持っている人の逞しさと痛々しさとあんな状況の中でユーモアも感じます。理不尽なことで死ぬほど殴られた岡藤丑彦さん。その最中にキリストを思い、なぜが平安。キリストを習う姿勢は、どんな場合でも怒りを鎮める癒しです。また 胴から首が離れていないだろうかと心配することで、心の中は相手を憎しみでいっぱいにしていません。「首が離れてたら生きてないでしょう!」と突っ込みたくなりました!
夢と希望を育てられて行くべき若者たちが追い詰められていくことは、胸が痛みます。
ところで 岡藤丑彦のお名前はおかふじ何とお読みするのでしょうか?
コロナ禍の中でも、森下先生の惜しみなく 解説されブログに かえって 多く学べて 感謝です!
子どもと別れる離任式は、辛いです。
私も、4年前の前前任校の離任式は遠い京都で瀕死の状況だった夫を置き去りにして出ました。今、私も我が家の隣の病院に入院中の夫に面会が出来ません。祈るのみです。
岡山のお父様のこと、お祈りしています。
森下先生
いかがお過ごしでしょうか。読書会の働きがこれからも守られ、このような不安な時、渇いているときにこそ、救いに導かれる方々が多く起こされますようにお祈りいたします。
CDから本当に励まされています。ほぼ毎日、聞いています。時々夫も、頷いて聞いています。でも「辛い時に奥さんが一番痛いところをついてくる」の個所が気に入ったようでした。困ったものです。また、注文させてくださいね。その前に、ファンレターと証を書かせていただきます。
先生には、2015年に前橋にお越しいただきましたが、その時の先生のお証がとても印象的でした。まずはじめに、目の見えない女性と結婚なさった男性のお話に、「ここにもバカがおると思い、嬉しかった」と。大胆な表現に驚きました。
それから旭川に導かれた証をお話くださいました。ちょうど、私たちも、神様から新しい道を示され、踏み出し歩き出した時期でした。最初お話を受けた時は、こんな畑違いの仕事は絶対無理だから、他の方にこのお話が行くようにと、聞かなかったことにしていましたが、主の導きで、私は、だんだんと夫を十字架に押し上げていくことになるのでした。
当時の夫の職場はいわゆる大企業で、安定した生活を過ごしていましたが、「正しいことができない」とよく言っていました。クリスチャンとして実りある仕事を求めていたのだと思います。そんな中、今の道に導かれ、何故か夫の職場に、私も働かせていただくという、不思議な導きをいただきました。夫の健康上の問題で、「神様、これだけは勘弁してください」という、願いとは真逆の出来事もあり、信仰を試されました。でも、叫ぶように祈った後に、不思議な平安を与られ、脱出の道がありました。今も弱さがあり、難病を複数かかえています。でも、共に働かせていただくことを許された今は、主人に命を分けてあげるつもりで、いろいろゆだねようと思えるようになりました。CDを聴くたびに、弱さの中で神様をまっすぐに信じた人々の生き方に触れ、それでいいから信じてがんばれ、と言ってもらっているように感じます。
実はそんな中、時折、森下先生の証を思い出しては、その後どうなられたか…気になっておりました。守られているといいなあ、祝されているといいなあと。それが、CDを聴いて、驚きました。本当に、神様は生きておられますね。私自身は目の前のことで精いっぱいで、思い起こすしかできませんでしたが、今年に入り、コロナ禍の中で「よいものを食べよ」という声が聞こえた気がしてまもなく、思いがけず三浦綾子さんや森下先生の動画やホームページに出会い、神様のなさった様々な奇跡をお証の中で受け、励まされたのです。
この者だけでなく、きっとたくさんの方々が、森下先生の開かれる読書会の中で、三浦文学を通して福音を聴くことができ、励まされたことでしょう。先生ご一家の献身を、大きな方向転換を、本当に感謝します。奥様の、旭川に導かれた時の証には、本当に驚きました。慣れない地で暮らすことは、大変だったことだろうと思います。続けて、祈らせていただきます。
「雪柳」も、読み進めています。先日は久々に行ったレストランの待ち時間で読んで、何度か涙をこらえました(マスクがあってよかったです)。とても切なくて…。でもその後を強くたくましく生きているふじ子さん、また、神様に正直に怒りや悲しみをぶつけつつも、こらえて信仰を持ち続ける信夫のお母さんのけなげな姿、それぞれの登場人物の、新たにされた人生…。森下先生が講演で語っておられることが、ここにあらわされているなあと、時々思いながら読んでいます。とても励まされる本です。15年ほど前に読んだ「塩狩峠」では、私は峰吉が改心したところで号泣しました。当時、大きな劣等感を抱いていた自分と、重ねたのだと思います。救われているはずなのに、人も自分も本当の意味では愛せない、どうしようもない状態でしたが、峰吉に心から「よかったですね」と言っていました。
三浦綾子さんが「みこころに叶わないなら、入選させないでください」と、祈ったところ、『氷点』が入選した。それで、あとは神様が責任を取ってくださると信じた、というエピソードを伺ったことがあります。私も同じような祈りから始まり、それでも導かれました。不安と自信のなさでいっぱいでしたが、三浦夫妻の生き方に触れ、先生の講演を聞きながら、ただ神様を信じて感謝し進もうと思えるようになりました。ありがとうございました。
今日のブログ、読ませて頂きました。
実は、私も同じ事を経験していました。
私の母の姉が統合失調症でした。思春期になり、大人になるにつれ、私は辛く当たっていました。普段は入院していましたが、月に数日、うちに帰って来ていました。晩年は、同じように癌で入院しましたが、私は、最後までごめんねが言えなかったのが今でも心残りです。折に触れ、叔母の事を思い出しては、叔母の人生って何だったのだろうと思います。
20代からずっと、精神病院暮らし。姪からも疎まれて(これは私が悪い)。そんな人生を送った叔母の事を、ごめんね。と、また今日、思い出す事が出来ました。ありがとうございました。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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