オムニ・バス ②

   福岡時代、春日原という駅の近くに住んでいたころのこと、家の近くから勤めていた学校の近くまで一本で行けるバス路線ができた。春日原の駅近くから出て、ぐるっと回ってまた春日原に帰って来る循環式のバスだった。
   バスの運行が始まってほど経たないころ、はじめてそのバスに乗った。私が降りるバス停は中間地点を過ぎた所にあった。つまり最短の方ではない、逆回りのバスに乗ったのだ。整理券番号1番だったと思うが、乗っていると段々運賃が上がっていったのだが、途中から下がって行った。そして、降りるバス停で、車内の電光表示通りに運賃を払おうとしたところが、運転手はそんな金額じゃない、もっと高いのだと言う。でもここに書いてあるじゃないですかと言ったが、それは違う、長く乗っていて安くなるなんてことはない、と言い、いくらいくら払えと言う。
   釈然としなかったが、向こうの方がプロだし、言われてみるとそんな気もしてきて、とうとう私は言われる額を払ってバスを降りた。それでも、歩きながら考えていると、だんだんおかしいような気がして来たので、学校に着いてから営業所に電話してみた。すると、やはり車内の表示が正しかったのだと分かった。循環だけれど一律料金ではないので、一番遠い中間点までは値段が上がってゆくが、中間点を過ぎると運賃が安くなってゆくという仕組みだった。営業所の人は、
「申し訳ありません。今度乗ったときに乗務員に言って返金してもらってください」
   と言う。
   夕方家に帰って、このことを妻に話した。車内の表示がおかしいのだと言い張った運転手の方がおかしいと思うと、私は言った。妻はまだ乳飲み子の長女を抱いて、静かに聴いていた。
   数日後、また同じ循環バスに乗った。降りるバス停が近くなってきた。返金してもらうべきか?もらうのが当然だけど、でも、もういいや、説明するのも面倒だし、大した金額じゃないし、何が正しいか分かればそれで充分。そう思った。
   ところが、バス停で、前の降り口まで行くと、運転手が、
「この間は申し訳ありませんでした」
   と言った。見ると、あの時の運転手だった。
「私が間違っていました。私も気になって、あれから営業所に帰って聞いてみると、お客さんのおっしゃる通りでした。失礼しました。あの時余分にいただいた分を引いた額、○○円を今日はいただきます」
   運転手も私を憶えて準備していたのだ。それにしても、たくさんのバスが走っていて運転手もたくさんいるのに、次に乗ったときに、同じ人に当たったのはなぜだろう?と不思議に思った。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。