おたより ⑯

森下先生
ご体調などお変わりないでしょうか。
先日のZOOMのご講演の余韻が温かく残っています。久しぶりでブログもご更新下さって、とても嬉しくお顔を思い浮かべながら拝見いたしました。これからは新しいツールに馴れながら、心と心がつながる体感を育てていきたいなあ、と思いました。実際に、動けない方で、ベッドサイドにiPadを設置して御家族と会話ができるようになったら笑顔が増えてきた方がおられます。苦手意識を払拭して、文明の利器と上手に共存していきたいと思います。
森下先生のご講演を待つ、という受け身の姿勢から、森下先生に質問をぶつけてみる企画、というのも楽しいのではないかと感じました。新しいツールを使っての活動の可能性は未知数ですし、発想の豊かな若い方たちに力や、年の功のお知恵を拝借したりながら森下先生の想いが拡散されますよう私も知恵をしぼってみたいと思います。毎日、私自身も変化しているので、森下先生のお話しは毎回新たです。たとえ先生が何度同じ内容のお話しをして下さったとしても、違う響きを私の心が感じとるのではないかと思います。次回のご講演もどんな出会い直しできるのかと思うと胸が高鳴ります。
ところで今、あらためて東日本大震災に向き合っています。同時に『泥流地帯』『続 泥流地帯』が深まっている事に気付きます。何かに向き合う→綾子さんの作品と重なる→新たな目覚め→幸せこんな構図になるのです。楽天的すぎるでしょうか???綾子さんの作品の持つ、普遍性や希望は、こんな時代だからこそひろく読んでいただきたいと強く強く感じています。    感謝と共に

 

 

森下先生、お元気でいらっしゃいましたか。4月10日のオンライン講演会を、無事に視聴することができました。 Zoom でありながら、目の前でじかに森下先生がお話してくださっているような気持ちになり、非常に臨場感がありました。私はメモすることに集中したかったため、申し訳ないと思いながらも画面を消させていただいていましたが、全国各地で視聴されている皆さんの存在を感じることができました。それもご講演中、終始エキサイトした要素だと思います。しかし何よりも、お一言お一言に込められた森下先生の想いが画面を隔てていても私にしっかりと伝わり、それを受け止めながらあの時間が進行していきました。
以下は、特に印象的だった内容です。
①4月13日の意味
『銃口』で竜太が坂部先生と10分間だけ面会したあの日が、4月13日だったことは盲点でした!三浦綾子自身が、ふるさと・楽園から追放された存在だった点が啄木と繋かっていたのか!と、初めて気付きました。
②history=his story 
これまでは、本文に何度も出てくる「自分の心の歴史」「私の心の歴史」を、「三浦綾子の歴史」としか読んできませんでした。しかし、「私の心の中の『彼の』物語」ととらえることができること。彼とは、前川氏・三浦氏・西中氏・西村氏、そして彼らのおおもとである神様、と読むことで、『道ありき』がまるで違った作品に思えてきました。衝撃でした。
③前川正の非凡さ 
三浦綾子の中に「本当の求め」を見つけた前川正。『氷点』を佐石土雄の視点から解説されたDVDもそうでしたが、森下先生の、三浦綾子や主人公以外の人物の側に立つ読み方が新鮮です。「ただの工リートにすぎなかった前川正」を、本気で鍬をおろして大地を耕す者にしていった三浦綾子の非凡さも際立ちました。
④西中一郎の背中
あの夜、あの海に道は訪れ始めていた、「愛そのものである方」が、もう「私」をとらえてくれていた、と気付いて『道ありき』を書いた。これまで全く意識してこなかった、登場人物の背後にある「愛そのものである方」を考えました。
⑤妹の陽子の死が、三浦綾子の人生に与えた影響
単なる悲しみではなく、超えられない死を感じ取ってしまった絶望感に対し、「どうしてあげたらいいのだろう」と、それを抱きしめずにはいられない体験となった。以後の、「悲しみに寄り添っていかずにはいられない三浦綾子」を形成した最初の体験となった。これが、今回最も納得した箇所でした。

追伸)
「すこし春~近況」のブログを拝見しました。ふきが芽を出しているお写真が、北国の春を彷彿とさせていてよいですね。ここにレンズを向けられた時の森下先生のお気持ちが伝わってきました。 
このブログを拝見した後、すぐに「燃える流氷」の章を開いてみました。実にダイナミックな自然の営みです。その前にたたずむ人間の存在を考えさせられます。しかも荘厳にして美しい描写です。ここに託された意味を私ももっと知りたいと思います。ぜひ一回ずつの読解の記録をお願いしたいです。
『天北原野』にしてもそうですが、「綾子さんが自然と人類の営みの関係をどう見ていたかが分かる」、「さらにひと回り大きなテーマがここにはあります」、「自然災害を苦難の問題として捉えた『泥流地帯』を超えるスケールの主題」というものに、森下先生の今回のブログのおかげで、私は今、非常に惹きつけられています。
お父様が描かれた薔薇の絵は、まるでキャンバス中で生きているようですね!花びらの一枚一枚に命があるようで、こちらに追ってくるような命を感じます。背景の青は大胆なようにも思われますが、不思議と、花と花瓶とテーブルと調和し、薔薇が語りかけてくれるので、いつまでも見ていたくなる絵ですね。これは、静物画などではなく、いのちそのものです!

 

 

先生のブログの「シオンガーデン」衝撃でした。感動しましたし、親不孝その他を反省しながら、何度も読んでます。このお話をアップしてくださり、本当に感謝してます。

 

 

森下辰衛先生
ご無沙汰しておりました。が、あまりそのような感じがしないのは、森下先生のご講演CDを毎日拝聴し、「うん!」「そう!」「なるほど!」と先生と対話する日々があり、先日も5月7日の氷点カレッジで森下先生とお会いできているような心持ちになり、先生のこと、文学館の皆さんのこと、綾子さんと光世さんのことを想いながら、皆さんと一緒に過ごさせていただいているお陰だとつくづく思います。

「『道ありき』~彷徨い、出逢い、約束」で、特に心打たれたお話は、
①「慟哭することは人間にとって大切なこと。その中で何を見出すのかが大切」-前川正を悼み短歌を詠み、愛を深め掘ってゆく。そこに部屋ができていった。本当にそうですね。慟哭が文学に変わっていくその「短歌」を、もっとじっくり読みこんでみたいと思いました。
②前川秀子さんの祝辞-前川正の母、と知ってはいたつもりでしたが、「命懸けで書いた最後の誕生祝い」の森下先生のお話を伺い、「全てを見ていた母」「息子の祈りが一番わかっている母」として改めて捉えなおすことができました。この、秀子さんの母像と、『母』の母像が重なってみえました。「母」「ふるさと」、今特に惹かれているテーマです。
③「三浦文学のすごいところは『道ありき』の物語が、ずっと続いていること」-まさにその通りです!!私自身も身をもってそれを実感しています!!気が付くと、例えば今も、昨日も先週も1か月前も昨年も…、ずっとずっと三浦文学の中で生きている感覚になっているのです。
今、帰宅して真っ先にすることが、込堂一博氏の『三浦綾子100の希望』を一日1話ずつ読み、そこで紹介されている聖書の箇所に線を引き読んでいくのです。実に、スーッと入ってきて、「うん!」「そう!」「たしかに!」とつぶやく自分がいます。これはまるで、森下先生のお話を聴いている時の心持ちであり、綾子さんの作品を読んでいる時の心持ちと同じなのです!「神様の心を伝えたくて」小説を書く、と言っていた綾子さんの姿勢がわかったように感じられ、何と言ってよいのかわかりませんが、一つに重なります。これが今、私が毎日ひそかにワクワクしながら大切にしている時間です。
6月10日の氷点カレッジ『この土の器をも』も楽しみにしております!5月も終わろうとしています。旭川の初夏に想いを馳せています。森下先生、どうぞお元気でお過ごしくださいませ。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。