オムニ・バス ①

 日本中を回って三浦綾子についてお話しする生活になって、いろいろな乗り物に乘るようになった。飛行機、新幹線、電車、高速バス、人の車、船、モノレール。飛行機に初めて乗ったのは三十歳をいくつか過ぎて、福岡から旭川に三浦綾子さんに会いに行ったときだったが、新幹線に初めて乗ったのは小学校四年生のとき。社会見学でその年開通したばかりの山陽新幹線の岡山駅に行って、停車中の車両に一秒乗って降りたときだった。バスとなると、幼い頃から乗っていたから、初めての時を憶えてはいない。でも、バスは一番いろんな思い出のある乗り物かも知れない。

   高校生になった頃から、牛乳に弱いお腹になった。給食で毎日飲むぐらいでないと簡単に酵素がなくなる体質らしい。
   数年前、襟裳岬に近い十勝の南端、広尾という町の読書会に行く日曜日の朝だった。読書会は午後だが、午前中は小さな教会の礼拝でお話をすることになっていた。前日読書会をした帯広の教会に泊まって、朝はその教会の牧師先生が用意してくださった。コーヒーが良い香りだったので、牛乳をちょっぴり入れて飲んだ。まあこれぐらいなら大丈夫だろう。コーヒーで温まってるし、と思ったのだ。先生にお礼を言って、バス停まで小走りに行って七時二十分の広尾行きバスに乗った。帯広から広尾までは二時間半ほどだ。途中、ナウマンゾウで有名な忠類というところで一度止まって、トイレ休憩がある。
   帯広市内を抜けて、かつて切符ブームを巻き起こしたという幸福駅近くまでバスが来た頃には、少しお腹が重くなって来た。不気味な感じだ。でも、これぐらいなら問題はない。このまま行けるかも知れないし持ち直すことだってある。しかし、希望的観測は裏切られた。それから十分ほどで急速に状況は悪化した。眠っていた龍が目覚めて来たのだ。これはまずい。カバンをお腹に当てて温める。気を紛らわそうと、少し大きめの音量にしてイヤホンで音楽を聴く。別のことを考える。でも、無視できなくなって来た。忠類は途方もなく遠い。やがて座っているのも難しくなり、立って座席の背を掴んで我慢した。高校生の男の子が不審がって見ているが、みっともないとか言ってられる状態じゃない。汗が額で球になる。こんなに長距離を走るバスにトイレがついてないなんて、ひどいじゃないか?これだから田舎の長距離バスは困る!と腹立たしく思ったが、ああ、だから中間地点でトイレ休憩があるんだとも気づいた。
   中札内の市街地あたりで少し小康状態が来た。このまま行けるかも知れない。しかし芸術村が近づいたころには、また悪くなった。まだ三分の一も来ていない。トイレ休憩の忠類は余りにも遥かに思われる。ここで降りようか?芸術村ならトイレもあるだろう。いや、まだ時刻が早すぎる。開いてる時間じゃない。バスは芸術村を通り過ぎた。もう当分トイレのあるところはない。
   更に状態は悪化した。もう、我慢できない。どこでもいいから降りて、草むらでしようかと思い始めた。でも、そうすると次のバスでは礼拝に間に合わないから、広尾の人に電話して車で迎えに来てもらわなければならなくなる。ならば、少しでも広尾に近いところまで行かなければならない。ここでは遠すぎる。
   バスの自動アナウンスが言う。
「次は更別三線」
   麦畑しかない田舎だ。
「次は更別五線」
   ジャガイモ畑もある。苦しい。
「次は更別七線」
   ずっとずっと一キロ以上ありそうな向こうまで、一つの畑だ。
「次は更別九線」
   まだ更別を抜けられないのか?
「次は更別十一線」
   まだあるのか?どこまであるんだ?
「次は更別十三線」
   もしかしてこの世は永遠に更別なのか?
「次は更別十五線」
   もう更別やめてくれ!
「次は更別十七線」「次は更別十九線」「次は更別二十一線」
   茫然となり始めた、そのとき、一人のおばあちゃんがボタンを押したので、バスは止まった。畑じゃない。家がある。降りるおばあちゃんの後に思い切ってついていった。動かないかもと思った足が動いた。足を踏み出すと我慢できなくなるかと思ったお尻も大丈夫だった。持てそうもないと思っていたカバンも不思議と持てた。お腹は苦しいが足は動いた。もう礼拝の説教なんかどうでもいい。誰か代わりにやるだろう。
   運転手に、トイレに行きたいので降りますと言うと、ぶっきらぼうに、本当はどこまで行きたいのか?と言うので、
「終点の広尾までです」
   と答えた。すると、運転手は、
「ここにトイレがあるから行って来てください」
   と言う。えっ、ここ? 驚いて、見ると目の前に銀行があった。が、日曜日、銀行が開いてるはずもない。
「この銀行ですか?日曜日ですけど」
   運転手は、
「多分、開いてるから」
   と言う。
「でも日曜日」
「多分、開いてるから」
   信じられないが、信じるしかない。しかも、運転手は、
「帰って来るまで待ってるから」
   と言うのだ。カバンを持ったまま、私はバスを降りた。そしてよたよたと、銀行に近づいた。すると、休業日なのに玄関の自動ドアが開いて、左側の店舗の方はシャッターが降りているが、ピカピカの明るい通路を行くとトイレがあり、灯りもついていた。しかもこんな田舎には不似合いな、と言うより、信じられないほどに清潔で新しいトイレだった。
   私はそれから、しばらくかかって用を済ませた。これは現実だろうか?そして、こんな幸せな気持ちを味わうことは、そうそうないと思うほどに、ほっとした。慌てず手を洗って銀行を出ると、バスはやはりそこで待ってくれていた。エンジンを止めて、静かにしている。
   私の心は落ち着いて、でもそうなると、ちょっぴり恥ずかしくて申し訳なくて、
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」
   と運転手に言い、バス車内全体に向かって一礼した。七、八人の乗客がいたが、特に関心もなさそうな風で、運転手も、他の誰も何も言わず、笑いもせず、バスはまた走り出した。それからバスは、時々スピードを上げて遅れを取り戻していった。そして、予定通りに、広尾に着いた。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。