2020年11月28日(土) / 最終更新日時 : 2020年11月28日(土) 森下 辰衛 文学散歩 淋しくはない、キリストと話をしているから-三浦光世の父貞治 11月28日は三浦光世さんの父貞治(ていじ)さんの命日です。1927(昭和2)年32歳でした。貞治さんは1895年福島市に生まれ、20歳になるかならぬかで単身渡道、北見滝上に入植して開拓を始めました。十代のとき福島県の伊達でキリスト教に出会っていたようです。入植した滝上の滝西地区は両側から山が迫る狭い土地でした。
2020年11月23日(月) / 最終更新日時 : 2020年11月23日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 一番大事にされなければならないのは、弱い人です。-三浦光世の母シゲヨ 1978年11月23日三浦光世さんの母繁代(シゲヨ)さんが亡くなりました。死因は心臓喘息78歳でした。結婚の時期は正確には分かりませんが、おそらく1917年ごろ、シゲヨさんが福島の宍戸家から北海道北見滝上の三浦貞治さんに嫁いだときはほぼ17歳。貞治さんは数年前に福島から単身入植して開拓していました。
2020年11月13日(金) / 最終更新日時 : 2020年11月23日(月) 森下 辰衛 三浦光世 罪人の吾の手垢の垢染(そ)みにけり -光世さんの受洗記念日 窓の外をシャボン玉いくつも流れゆく十一月十三日吾が受洗記念日 20回目の受洗記念日だった1968年の短歌です。委ねることを覚えたあの日に与えられた不思議な平和が感じられます。1949(昭和24)年11月13日(日)、三浦光世さんは洗礼を受けてキリスト者となりました。光世さんは1941年中頓別の営林署に勤め始めてほどなく腎臓結核を発症し、北大病院で片方の腎臓を摘出する手術を受けました。
2020年10月30日(金) / 最終更新日時 : 2020年12月3日(木) 森下 辰衛 三浦光世 あなたの微笑みの意味-三浦光世の短歌⑦ 今日10月30日は、光世さんの7回目の召天記念日です。光世さんは、私たちに、微笑みというものの意味と力を教えてくれた人でした。あの微笑みの優しさと温かさを、私たちは忘れることが出来ません。 「着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば」を読みます。
2020年8月22日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月23日(日) 森下 辰衛 文学散歩 手を伸ばせば天井に届きたりき ー 三浦光世の短歌➅ 手を伸ばせば天井に届きたりきひと間なりき吾等がはじめて住みし家なりき 光世さんは三歳の時に父親を結核で亡くしています。父を殺した菌は光世少年の中にも侵入し十七歳のときには腎臓結核で腎臓を片 […]
2020年7月19日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月19日(日) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「最愛」― 開け放たれた庭にバラが咲いた― 三浦光世の短歌⑤ その日は、彼と初めて会った日のように、美しく晴れ渡っていた。わたしは、開け放たれた庭を、ベッドの上に起き上って眺めた。大輪のバラがほころび、わたしは何かいいことがあるような予感がした。忘れもしない七月十九日だった。三浦光世から部厚い封書が届いた。手紙には、あなたの死んだ夢を見て、涙のうちに一時間あまり神に祈った。役所に出勤しても、しばらく瞼が腫れていたとあり、わたしの名の上に「最愛なる」という字が冠してあった。
2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 三浦光世 君を想ふ夕べかなしくて ― 三浦光世の短歌④ 君を想ふ夕べかなしくて袖に来し白き蛾を鉢の菊に移しぬ 光世さんが綾子さんと出会って、一年後の夏の歌です。この歌に詠まれた夕べの「かなし」さは、「君」への愛しさでもあるけれども、ギプスベッドに捕われのその人の病状の深刻さを想い心配する「かなしさ」でもあるでしょう。日本語の「かなし」が「愛し」と「悲し」との二つの要素を持つこと、あるいは根源的には一つであって、分けがたい深みでの悶えと祈りの心であることが、よく分かる歌です。
2020年4月14日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 被造物の福音 黒き馬静かに蹄切られ居り ― 三浦光世の短歌 ③ 黒き馬静かに蹄切られ居り曲げし前足を人に抱かれて まだ馬が輸送や農耕に使われていた時代でした。でも、何千年も続いて来たその関係が終わろうとしていた時代でした。北海道でも馬橇や馬車は昭和三十年代から四十年代には急激に減って、自動車に代ってゆきました。
2020年3月25日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 三浦光世 祖父逝きし後の幾夜を平仮名を ― 三浦光世の短歌 ② 祖父逝きし後の幾夜を平仮名をたどりつつ聖書読みゐし祖母よ 父貞治さんが逝き母シゲヨさんが髪結い修行に出て、光世さんは母方の祖父宍戸吉太郎さんの家に預けられました。祖母モトは吉太郎の後添いでしたが、無類に優しい人で、血のつながらない子どもたち(光世さんの母の弟妹たち)も「実の母より優しかった」と言っていたほどだったようです。
2020年3月21日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月7日(火) 森下 辰衛 三浦光世 幼吾ら三人を置きわが母を置き ― 三浦光世の短歌 ① 幼吾ら三人を置きわが母を置き昭和二年父逝けり三十二才にて 1927(昭和二)年、三歳で父を喪った光世さんが、勿論そのときには何も分かる年齢ではなかったのですが、長い時間を経て、大人になり、わずか三十二歳で逝った父貞治さんのこころを思って詠んだ歌です。まだ二十代だった妻シゲヨさんと幼い三人の子ども(長女は既に親族の家に養子に出していました)を置いてゆかねばならなかった辛さを想いみると、きっと一人一人のこれからへの心配に、父は胸が絞られるようだっただろう。