手を伸ばせば天井に届きたりき ー 三浦光世の短歌➅
手を伸ばせば天井に届きたりきひと間なりき吾等がはじめて住みし家なりき
光世さんは三歳の時に父親を結核で亡くしています。父を殺した菌は光世少年の中にも侵入し十七歳のときには腎臓結核で腎臓を片方切除手術しました。二十代では膀胱結核の烈しい痛みで苦しみました。下腹部を釘抜きで締め上げられているかのような激痛のために、横になることもできず、ぐるぐる巻きの布団を立てて置いて、それにそっと寄り掛かるようにしてうとうとするだけという毎夜を過ごしました。一晩でいいからぐっすり眠りたいというのがその頃の一番の願いであったとも言います。さすがの光世さんも死んでしまいたい程辛かったのです。そんなある夜のこと、巻いて立てた布団の横の棚にあった母の聖書に、苦し紛れに手を伸ばして、三浦光世は読み始めたのです。それを見つけた兄健悦は「光世、聖書を読んでいるのか?しかしそれは一人で読んでも難しいだろう」と言って、弟のために教会の牧師を連れて来て、月2回の家庭集会が始まりました。そして一年ほどのち、光世さんも健悦さんも洗礼を受けてキリスト者となりました。「苦しみに遭ひたるはよし腎一つ摘られてキリストを知りて今日あり」という短歌も詠んでいますが、まさに三浦光世は救いを求めて上にあった聖書に手を伸ばしたのです。
堀田綾子も、その仰臥するベッドで、天に向かって祈りの手を伸ばしつづけていました。恋人も健康も失った彼女には、他にもはや希望がなかったのです。しかし彼らが天に向かって伸ばした祈り求めの手は天に届いた。応えられたのです。だからこそ、ひと間だけの、小さい家だったけれど、二人の祈りが一つになったその家、一つの器として、一つの心になって棲んだ家、〈吾等〉として住んだはじめての家、そこで夫婦として歩み始めることが出来たんだね。綾子、感謝だね。と光世さんは詠んでいるのです。
この短歌が紹介されている自伝小説『この土の器をも』には、旭川市9条14丁目にあった新婚当時の夫妻の家の様子が書かれています。そこには天井が低かったことも勿論書かれていますが、台所の様子も出てきます。そこには井戸があってポンプがついていました。新婚式の翌日の朝、綾子さんはこの水を汲んで、乾いた流しに流しました。その水がきらめきながら流れ広がって、その木製の流しを濡らしてゆくのを、綾子さんは感動をもって見ました。それを読むと、この歌の「天井」とは「天」の「井戸」の意であるのだと思えて来ます。夫妻がそこに戻りさえすれば、いつでも汲めども尽きない水が湧き出る“はじめの愛”。それが結婚という奇跡とその背後にある神の憐みなのでした。こうして乾ききっていた彼女の人生が潤されてゆき、そしてその豊かさの中で何かがそこから産み出されてゆく時代が来ようとしていました。
※写真は三浦夫妻の新婚時代の家があった場所。ガイドをする私が指さしている隣家が綾子さんの弟昭夫さんの家。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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