黒き馬静かに蹄切られ居り ― 三浦光世の短歌 ③

黒き馬静かに蹄切られ居り曲げし前足を人に抱かれて

   まだ馬が輸送や農耕に使われていた時代でした。でも、何千年も続いて来たその関係が終わろうとしていた時代でした。北海道でも馬橇や馬車は昭和三十年代から四十年代には急激に減って、自動車に代ってゆきました。世話のいらない、手間のかからない、愛する必要のない、命のないものの方を人はいつも選んで文明を進めてきました。糧秣よりガソリンや軽油を食べ、糞よりも排気ガスを排出する物に人は取り替えたのです。最近「戦火の馬」という映画(2011年・監督スピルバーグ)を観ましたが、第一次大戦の数年間のうちにも騎兵から機関銃へ、そして大砲や毒ガスへと戦法や兵器が変化して、馬が使われなくなってゆく様子も描かれていました。
   かつて馬は人の同労者であり友でもありました。『泥流地帯』では馬は石村耕作のこころの悩みをうなずきながら聞いてくれる友であり家族でした。『続泥流地帯』では拓一と共に泥流に埋め尽くされた水田から流木を引き上げ、客土する土を運ぶ同志でもありました。また、今はもう普通には見ることはできなくなりましたが、『氷点』の物語の前半には啓造と由香子が神楽の大通りにあった蹄鉄屋を見る場面も描かれています。耕作のモデルが光世さんであるのは周知のことですが、昭和の初めから開拓農家に育ち、後には営林署の現場で、そして神楽の営林局でも働いた光世さんは、馬や蹄鉄屋をよく知っていたのです。
   蹄を切られる馬の感触を人間がリアルに理解することはできませんが、きっと本能的な恐れもあるはずなのに、それゆえ暴れても不思議はないのに、人に信頼して前足を揃えて曲げて抱かれて蹄を切られている馬なのでした。従順と信頼がそこにありました。そして人もまた、馬の両足を抱いていました。強い強い馬の脚、その力は一瞬にして人の胸の骨を蹴り砕くことができるものであることを重々知りながら、その胸に抱いて、怖くないよ、大丈夫だよ、きれいになるよ、走りやすくなるよと語りかけてもいるのでしょう。それゆえにでしょうか、馬は人を蹴り傷つけることがないように前足を曲げて差し出しているのです。馬を限りなく愛おしむ人のこころと、人にゆだねて平安な馬のこころとが、互いの信頼の中に「静かに」「抱かれて」いる様子を誤りなく捉えています。動物を労友としてはもう失ってしまったこの時代の私たちから見ると、それはなんと幸せな時代だったのでしょう。光世さんにはこのほかにもいくつかの馬の短歌がありますが、どれも優しいまなざしによって的確に捉えられた良い歌です。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。