君を想ふ夕べかなしくて ― 三浦光世の短歌④
君を想ふ夕べかなしくて袖に来し白き蛾を鉢の菊に移しぬ
光世さんが綾子さんと出会って、一年後の夏の歌です。この歌に詠まれた夕べの「かなし」さは、「君」への愛しさでもあるけれども、ギプスベッドに捕われのその人の病状の深刻さを想い心配する「かなしさ」でもあるでしょう。日本語の「かなし」が「愛し」と「悲し」との二つの要素を持つこと、あるいは根源的には一つであって、分けがたい深みでの悶えと祈りの心であることが、よく分かる歌です。
夕刻。昼間の世界のざわめきが静まって、動きではなく、こころが次第に漂いつつ現れてくる時間が始まります。離れてある人を想うに、その人はいつも寝たきりで弱々しく、いつ命の灯が消えても不思議ではないような気がするのです。幼い頃に亡くなった父も同じ病でしたから。
その人の〈いのち〉への想いと祈りから始まって、すべての〈いのち〉なるものが余りに弱くはかないものに思えてくるとき、不意に白い蛾が見出だされます。この「袖に来し」というまなざしは、忙しく動き回っていたのでは、あり得ないもので、袖が静止しているから見えてくるものです。おそらくは机の前に手を動かさない姿勢でじっとしているのでしょう。それは古今東西、変わらない祈りの姿勢です。手を組み、指を組むのは、最も活動的で最も道具的に世界に働く〈手〉という器官を静止させ、自分の力を行使することをひと時やめた、委ねの姿勢です。あるいは彼が瞑目して祈っているうちに、蛾は袖に取りついたのでもあるでしょう。そのときには、いつもは嫌悪しがちな蛾であっても、そのいのちを慈しむ眼差しと気持ちになるのです。すべてのいのちが愛おしいものに感じられるからです。蛾の方もそれを察知するのかも知れません。祈り終えた(あるいはまだ祈りの内にあった)人の目に、その白い蛾は白い病衣を纏うあの人、そのいのちのようにも見えたのかも知れません。袖に来たもの、それは助けを乞うものです。人はそれを拒むことはできないし、決して邪険になどできないのです。だから両手でそっと、傷つけないように大事に包んで、鉢の菊に移してやるのです。菊という植物は、日本人の文化の中で、なにかいのちの営みの厳粛さを思わせ、居住まいを正させるものがあるように感じます。
人が人を「君」として想うこと。「かなし」むほどに、悶え祈るしかないほどに、想うこと。それはこうして、人のなかに、いのちを両手で守ろうとする心と手を育てるようです。結婚して後の四十年、パーキンソン病の妻を介護した手も、この白い蛾を両手で鉢の菊に移したのと同じ手であったことを思います。光世さんのその手が、「君を想う」ことの養いの力を証ししています。
「蛾」と「蝶」と合わせて数千種類の内「蛾」の種類数が「蝶」の20~30倍で、実は生物学的には区別がないのだそうです。「蛾」は「虫」と「我」を合わせた字です。「我」は刃物のギザギザを表す象形文字でした。「我欲」という言葉を思うと、なるほどと思わされます。「蛾」は意味でなく、「我」の音と、昆虫のガを表す言葉の音が同じだったので「虫」と合成されたようですが、この歌では、光世さんは「我」も含意しつつ旧約聖書イザヤ書の「恐れるな。虫けらのヤコブ」(41章14節)という言葉あたりを裏側では考えているのかも知れません。我欲の強い、他を押しのけるような性質を持った人間も、時として弱ってしまうことがある。でも、自分を小さな虫けらのように思う者を、神は放っておかれないという箇所です。そう思うと、この蛾は光世さん自身であり、それを大事に包んでくださった方の手の経験の記憶でもあるのかも知れません。
※写真は菊でなくて葵。今ちょうど旭川に咲いています。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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