李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄

   薄い封筒がポストに落ちた音。あの音は今も忘れることが出来ません。それはあの子が翌日のあなたの誕生日のお祝いのために書いた手紙。最後になった手紙でした。闇の中に墜ちるような一抹の不安と、でもそれも委ねるようにと促す何か、ポストの底にすべて受け取ってくださる手のひらがあるような……。
   それから数日のち、あの子は血を吐きました。たくさんの血でした。それまでも背中をさすってやるとき、背中の肉が薄くなってきているのは分かっていましたが、一月三日に大きな喀血をしてから、次が来たらもう危ないと思っていたのです。とうとう来た。とうとう来た。恐れていたものが。見ていられないほどに、あの子はたくさん吐いて、ぐったりとなって、わたしは、悲鳴も出ませんでした。なんて、かわいそうな子。血の中から、悪いものが笑うのが聞こえました。

もうおわり、もうおわり、もうおわり、こうなったら、もうおわり。ごくろうさん。良かったね。もう心配しなくてよくなるよ。もうすぐ、おしまいになる。もどらない。もどらない。絶対に。はははは。

   それから何日も経ない五月一日、夕方の七時半ごろでした。食事中、急に動きが止まったので、どうしたのかしら食欲がないのかしらと見ると、苦しそうにしていて、と思うと、もう意識がなくなっていたのです。
   「ただし、ただし」
   いくら呼んでも、もう、あの子は目をあけませんでした。
   「意識不明」って何でしょう。もう何も分からない死んだも同然の状態なのだと人は思いやすいようです。でも、「不明」なのは、分かっていないのは、外にいる私たちで、本人の心は最後の力を振り絞って、働いているのです。きっと。あのとき、あの子は一番大事なあなたのところを訪ねていたのですね。あなたが、あの夜、頭の中に洪水のように正の映像が溢れ流れてきたと後で教えてくださったとき、分かりました。あなたが離れ病む正のことを心配してくださっていたように、正も離れ病むあなたを思っていたのでしょう。たった五町なのに、気が遠くなるような距離でしたね。
   日が変わって五月二日、午前一時十四分、あの子は召されました。親戚の医者が臨終を告げました。やがて、残照が薄れてゆくように、ぬくもりが次第に消えて、なきがらが冷たくなってきたころ、見ると正の目に涙が浮かんで、こぼれかけていました。
   「泣いてくれているのか?……もう泣かなくていいんだよ」
   主人がやさしく言って、そっと押さえるように、涙を拭いてやりました。

   どうぞ、覚えてやってください。あの子は、神を恨みながら死んだのではありません。あなたに出会ったことを後悔しながら死んだのではありません。人生と運命を呪いながら死んだのでもありません。怯えながら、恐れながら死んだのでもありません。一度も何に対しても「ちくしょう!」と言わなかったのです。それだけは褒めてやりたいと思います。
   洗礼を受けたあなたのために、あの子が何かしてあげたいと、あの無理な手術をしたことは確か。でも、それはあの子が喜んで選んだことなのです。あなたのせいであの子が死んだとか、あなたがあの子を殺したなんて、絶対に思わないでくださいね。これだけはお願いします。それではあの子がかわいそうです。あの子は、だれも恨まなかったし、後悔もしなかった。来年の春には学校に戻れると、一時は医者に言われたのに、秋から急に病状が悪化したとき、勿論それを喜びはしなかったけれど、悲嘆に暮れはしなかったのです。だから、あなたに隠すこともしなかったでしょう?あなたが札幌から帰って来た日、迎えたあの子は顔色が悪かった。でも、あなたを心配させまいと嘘をついたりはしませんでした。それを見つめて、向き合って、受け入れて、静かに進んでゆくために。そしてあなたにもそうして欲しくて、あの子は隠さず「最近、血痰が出るんです」と言ったのです。

      茫々天地間に漂う実存と己を思ふ手術せし夜は
   あなたもよく知っているこの歌。もうレールさえ外れて、上も下もない宇宙の空間を漂っている、そんな孤独だったのですね。母というものは、なんて愚かで悲しいものなのでしょう。どこにも頼るべきものがなくて、あの子が怯えている。そう思うと、どんな海の中にでも飛び込んで行きたいものなのです。でも、あの子は、この歌を詠んだとき、人は普段気づかないだけで、本当ははじめから終わりまでこんな漂う実存なのだと分かったのかも知れません。そう、はじめは私のお腹の中で、羊水の中に漂っていたあの子。その時には、私とつながっていたのに……。いいえ、これが母の悪いところ。あの子は私を離れて、神さまとつながり、あなたとつながった。

   意識不明の何時間か、あの子がこう言うのが、わたしには聞こえました。

   母さん、ごめんなさい。母さんより先に天国にゆくなんて、ひどい親不孝ですね。美喜子が死んだとき、ぼくは、ほんとうに、母さんより先には死ぬまいと決心したのに。でも進が、きっとぼくの分まで生きて、母さんに良くしてくれるから、安心しててください、大丈夫です。
   母さん、ありがとう。結核なんかになっちゃって、医者の卵のくせに、とうとう退治することもできなかった。ぼく、藪医者だね。でも、本物の医者にはなれなかったけど、綾ちゃん一人の医者にはなりたいと思ってきた。そして、その仕事がぼくを支えてくれた。……ぼく、生まれて来て良かったよ。病気になったことも、良かったよ。綾ちゃんに会えて良かったよ。綾ちゃんを愛せて良かったよ。全部良かったよ。母さん、ぼくを産んでくれてありがとう。

   五月二日、夜が明けたとき、花が咲くのはまだ少し先だけど、お隣の庭の李の木が芽をふくらませていました。

   ※これは短篇小説「李」の一部分で、全編は未発表です。写真は前川家跡地に立っていた白樺の木。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。