あなたとぼくと宙がえり
あなたとぼくと宙がえり
何度も何度も宙がえりしてた あなた
歌いながら 歌いながら
大きな舞台では大きく
小さな舞台では小さく 宙がえりしてた あなた
女踊りも 泥鰌すくいも 手品もしてた あなた
拍手喝采の花吹雪を受けて いくらお札を増やしても
お金持ちにはなれなかった あなた
宙がえりしすぎて いつの間にかお金をなくしてた
腹話術もしたくて 木をくりぬいて 仕掛けを巡らせた ケンちゃんの頭脳を拵え
服を着せ 靴をはかせ 練習を重ねていた あなた
から 汗がしたたっていた
絵を描いてた あなた
安く安く売って歩いて 喫茶店やラーメン屋や普通のお宅のリビングに飾られていた あなたの絵
少しずつ 宙がえりできなくなって
腹話術も しなくなって ケンちゃんは目を開けたまま眠りつづけた
歌を忘れ 踊る意欲をなくした あなた
それは正気だったのか そうではなかったのか
大事だったものも少しずつ棄てて 見事に棄てて
酸素吸入のパイプを切っては 妻を慌てさせ
少しずつ 歩けなくなって
絵も描けなくなって だから 描かなくなって
店先で黄ばんだ あなたの絵は
外されて 燃やされた
少しずつ 話せなくなって 話さなくなって
少しずつ 食べられなくなって
少しずつ 目を開けていられなくなって
少しずつ 呼吸もできなくなって
少しずつ 心臓が弱くなって
血圧も心拍数も呼吸も
ある夜 ゼロになって 23時41分
ついに、あなたは 一果の 死骸になった
見事な 押しも押されもせぬ 一果の 死骸になった
人の辿る下り坂を すっかり見せてくださった あなただった
おまえも 今からおなじ下り坂を あるくんだよと
おまえも 宙がえりできなくなるんだよと
見せてくださった あなただった
あなたによく似て
癇癪餅で おっちょこちょいで お調子者で 人を楽しませるのが好きで
ほんとうはちょっぴり 淋しがりやで 自信がなくて 宙がえりしてお金をなくして
ぼくは あなたに そっくりだけど あなたの方が 少し男前だった
ちょっぴりだけど
死骸になったあなたと 身霊車で運ばれた葬儀会場の畳の匂い
遺体番に選ばれた ぼくと 「ご遺体」と呼ばれ始めたあなた
二人きりの午前四時 ふと目覚めて
あなたが 臨終の病室に遺していた 電気髭剃り器を掴む
ぼけたあなたが 電話で電器屋に持って来させたという びっくりするような値段の電気髭剃り器で
死骸になってもまだ 少しずつ伸びてくる あなたの髭を剃る
あなたの口を剃って
それから ぼくの耳の下を剃って
あなたの鼻の下を剃って
ぼくの顎を剃って
あなたの捻じ曲がった髭は上手く剃れなくて
ぼくの捻じ曲がった髭も上手く剃れなくて
あなたを剃って ぼくを剃って
あなたを剃って ぼくを剃って
あなたの何かを剃っているうちに
ぼくの何かが剃られていて
とうとう
ゲラゲラ 二人で笑ったら
あなたの不在に 世界が剃られていて
ぼくの髭の粉で 何かがザラツイテいて
剃られた世界もザラツイテいて
これじゃダメだ もう一度
宙がえりしよう
お父さん もう一度
宙がえりしよう
明日
あなたを燃やす 窯の中で
すべてが弾け飛ぶ 炎熱のなかで
宙がえりしよう
骨になっても
宙がえりしよう
同じぐらい軽い あなたと ぼく
人生が軽業だったあなた と ぼく だから
灰になっても 宙がえりしよう
このブログを書いた人

- 三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
-
1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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