2020年6月24日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「陽子ちゃん、出ておいで」 わたしたちきょうだいは病院に呼ばれた。家から病院までの一キロ余りの道を、わたしは泣きながら走った。病院に着くと、妹はしきりに寒い寒いといった。六月二十四日のその日はあたたかかった。わたしは、弟の乗ってきた自転車に乗って、湯たんぽを取りに帰った。ペダルを踏む足が、夢の中のように、もどかしいほどのろかった。
2020年6月18日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 ベッドの中の澄んだ大きな瞳は美しかった 案内された堀田綾子の六畳の病室はクレゾール匂う装飾のない質素な部屋でした。木製のベッドの上に彼女は身を横たえていました。ギプスベッドで寝返りも打てないその人の顔はむくみを帯てはいましたが、澄んだ大きな瞳は美しく印象的でした。 「寝ているだけの病気です」 ベッドの傍らで聴いたその声は澄んでいて、弱々しい響きではありませんでした。
2020年6月17日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 大いなるものの意志 ― 斜里の海で ③ 〈遠くに知床半島がかすんで見える斜里の海岸にきました。軽石がごろごろしています。毎年来ているところですが、軽石がこんなに多いと気づいたのは今年がはじめて。/けさ、この海岸に若い女性が打ち上げられて倒れていました。死のうとして、海に入ったのに、波が彼女を岸に運んでしまったのです。浜辺に気絶していたその女性は助かりました。
2020年6月16日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「ここからでも海は見えるよ」と言って彼は黙った。― 斜里の海で ② 1949年の6月、堀田綾子はこの西中家に泊まって、夜中の12時の時計が鳴り終えるまで布団の中に息をひそめ、それから玄関の戸を開けて、一人で真っ暗な夜の中に出て行きました。ハイヒールで坂をどんどん降りてゆき、浜に出ると時おり軽石に足を取られて転びそうになりながら、とうとう暗い海の中に入りました。ところがそのとき、綾子は後から駈けて来た人に肩をつかまれていました。
2020年6月15日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「向うに見えるのが知床だよ。ゴメが飛んでいるだろう」 斜里の海で ① オホーツク海に面したS町に着いたのは、ちょうど昼頃であった。駅前を出たわたしの影が、地に黒くクッキリと短かったことを覚えている。 1949年6月のはじめ、堀田綾子はオホーツク海の「S町」(斜里)に出かけて行きました。結核発病後も数年間婚約をそのままにしていた相手西中一郎の家を訪ね、結納金を返して婚約解消し、死のうと思い定めていました。
2020年5月24日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「いつ死んでも、一点恥じるところはない」- ていさんの泥流体験談(抄) 1926(大正15)年5月24日は十勝岳が噴火して泥流が発生し上富良野と美瑛の村を襲い144人の人が亡くなるという大惨害が起きた日です。三浦綾子さんはこの事件に取材して『泥流地帯』『続泥流地帯』を書きましたが、上富良野での調査取材で最も多くの証言をしたのが清野ていさんでした。ていさんは旧姓吉田、当時の上富良野村吉田貞次郎村長の娘で、『続泥流地帯』には登場人物としても描かれています。以下は、このていさんにお聴きした体験談の抄録です。
2020年5月23日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 新緑の常磐公園を歩く 常磐公園は旭川市常盤町の石狩川の川中島を利用して造成され、1916(大正5)年開園した広さ15・85ヘクタールの公園で、ハルニレやドロノキを中心に在来の巨樹の美しい林や千鳥ヶ池、白鳥の池などがあり、1989年には日本の都市公園百選にも選ばれています。
2020年5月20日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 星野富弘 Silver trace of God’s wind 一度きりの出会いの日 2003年9月、星野富弘さんは旭川を訪れました。15年前の1988年5月20日、綾子さんが群馬県の富弘さんを訪ねて対談したとき、今度は富弘さんが旭川にお出で下さいと言ってくれたからです。その秋、綾子さんが天に召されて四年が経とうとしていました。富弘さんはこの日、念願の塩狩峠を訪れました。そしてその記念に「塩狩峠に咲いていた野菊」という詩画を描きました。
2020年5月17日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 神さまって、エコひいき! 苛酷な冬も、美しい春も、みんな神がくださるのだ。苦難も喜びも、みんな神の計らいの中にあるのだ。「冬来りなば春遠からじ。下血また感謝すべし」癌をわずらったことは、やはり神のめぐみだと思う。神が私をえこひいきしていられるのだと思う。復活のキリストを仰いで歩むべし。