「向うに見えるのが知床だよ。ゴメが飛んでいるだろう」 斜里の海で ①

   1949年6月のはじめ、堀田綾子はオホーツク海の「S町」(斜里)に出かけて行きました。結核発病後も数年間婚約をそのままにしていた相手西中一郎の家を訪ね、結納金を返して婚約解消し、死のうと思い定めていました。旭川を発つとき「自殺って罪かしら」と呟いた綾子さんに前川正は、「嫌なことを聞きますね。まさか、綾ちゃん死ぬんではないでしょうね」と眉根を寄せながら訊きました。「自殺は他殺より罪が深いとも言いますよ」と前川から聞いた綾子さんは、ならばそれこそ自分の死に方にふさわしいと思うのでした。
   「自殺は他殺より罪」なのはなぜでしょう?他者への迷惑度で罪の重さが量られるなら、他殺の方が重いに決まっています。しかし「罪」が神の心に対する「的はずれ」という意味なら、私に私のいのちと体と人生を預けて大事にして幸せに生きるようにと願っておられる神の心と逆方向に向いてしまっているゆえに、自殺は的はずれなのです。生物の第一の使命は自分を生かすことです。そのために神は、危険を避ける反射能力や危機に気づかせる信号としての痛みや恐れなどを生物に与えられました。他者を攻撃してでも自分の生命を守るのは自然なことでもあるでしょう。ところが極めて特殊な場合を除いては、多分人間だけが自分を殺してでも他者を生かそうとしたり、自分で自分を殺そうとしたりと、良くも悪くも生物の本性に反することをする生き物です。だとすれば、愛や絶望こそは人間を動物とは違う存在にしていると言えるのかも知れません。

   オホーツク海に面したS町に着いたのは、ちょうど昼頃であった。駅前を出たわたしの影が、地に黒くクッキリと短かったことを覚えている。

   この描写は、『氷点』冒頭の「ストローブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かった」とよく似ています。不気味な陰りをはらみながらも確かにクッキリと影を作る被造物。しかし、影を見ている眼差しは俯き、光を背にしているため、光を見出していません。三浦綾子の中にある典型的な〈原罪〉の心象風景です。光を見ず、絶望の中を死へ向けて歩む堀田綾子が示されています。


   西中一郎の家に着くと、彼はびっくりして彼女を迎えました。

   「長いこと心配かけてごめんなさいね。結納金を返しに来たの」
   二人っきりで、砂山にのぼった時にわたしが言った。彼は彫りのふかい美しい横顔を、潮風にさらしながら黙っていた。だが、しばらくしてから、静かに言った。
   「僕はね、綾ちゃんと結婚するつもりで、その費用にと思って、十万円ためたんだ。綾ちゃんと結婚できなければ、もうそのお金に用はない。結納金も、その十万円も綾ちゃんにあげるから、持って帰ってくれないか」
   彼はそう言って、じっと海の方を眺めていた。西中一郎の誠実さが、あらためて胸に迫り、偉い人だとわたしは思った。
   「向うに見えるのが知床だよ。ゴメが飛んでいるだろう」
   そう言った時、彼の頬を涙がひとすじ、つつーっと流れた。

   西中一郎は「わたしは三年も待っていたんだ」とも「月給をそっくりそのまま、一銭残らず送った月もあるじゃないか」とも責めませんでした。「旭川まで、何べん見舞に行ったかわかりゃしない」とも「綾ちゃんは男の友だちがたくさんいるようだが、わたしは一人の女友だちもつくらなかった」とも言いませんでした。どんな気持ちで彼女が来たか、その心の傷を痛いほどに分かる人でした。だから、そのまま受け止めて、そのままゆるして、大金まで持たせて送り出してくれる人でした。

   斜里は知床半島(半島も半分は斜里町です)のつけ根にあるオホーツク海に面した漁業の町です。『氷点』では北原が毎年夏には斜里岳に登って母の眠る国後島を見ると書かれ、『続氷点』では流氷を見に来た陽子が網走から遥かに見て、知床の氷の中に住む孤独な男と徹の心とを重ね想います。もう決して手の届かなくなったいのちや心、その懐かしさを遥かに恋い慕うような、人生の最果てでもある場所でした。「知床」の語源「シリエトク」は、地の果てという意味のアイヌ語です。この日、地の果てを指さしながら、西中一郎は彼女の痛みを一緒に抱きしめて、涙を流してくれる人でした。あの日光に背を向けていた私に、彼を通して既に神さまは近づいてくださっていた。作家は後には気づいて書いているのだと思います。

   斜里への途中、網走の一つ手前に呼人という駅があります。『石の森』では行き先を偽って札幌を出て来た主人公の早苗がこの駅名を見て、「何という痛切な地名であろう。いったい誰が、この名をこの地につけたのか。『幸福』という駅名より、『呼人』という名のほうが、ずっとわたしの心をひく」と言っています。早苗は斜里駅前の斜里館という宿に泊まり浜辺で軽石を拾いました。軽石と軽石を打ちつけると、骨のような音がしました。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。