大いなるものの意志 ― 斜里の海で ③

    〈遠くに知床半島がかすんで見える斜里の海岸にきました。軽石がごろごろしています。毎年来ているところですが、軽石がこんなに多いと気づいたのは今年がはじめて。/けさ、この海岸に若い女性が打ち上げられて倒れていました。死のうとして、海に入ったのに、波が彼女を岸に運んでしまったのです。浜辺に気絶していたその女性は助かりました。/死のうとしても死ねない時があるということが、ぼくには意味深いものに思われてなりません。それこそ文字通り死にものぐるいの人間の意志も、何ものかの意志によってはばまれてしまったというこの事実に、ぼくは厳粛なものを感じました。単に偶然といい切れない大いなるものの意志を感じます。ある意味において、それは人の死に会った時よりも厳粛なものとはいえないでしょうか。/長い滞在を恥じています。〉(「千島から松」)

   『氷点』で、昭和37年7月、北原邦雄が斜里から陽子に宛てて出した初めての手紙です。北原邦雄は毎年夏になると斜里岳に登って国後を見るのでした。母が国後に眠っていたからです。その夏は国後が見える好天が与えられず、斜里での滞在が延びている間に事件は起きました。


   この斜里の海で自殺しようとして死ねなかった女性は、綾子さん自身のことを投影したものだと考えられます。『道ありき』には「やがて、ごろごろと歩きにくい浜に出た。軽石であった。大きな軽石に足をとられながら、歩きなずんでいる目の前に、真っ暗な海が音を立てていた」とあり、軽石の多さは北原の手紙と共通しています(現在の斜里の浜は砂地で、軽石は見かけませんでした)。『道ありき』では、その後、入水自殺しようとしたところを婚約者の西中一郎に助けられたと書かれており、『道ありき』の縮約版で「主婦の友」募集の愛の手記として『氷点』以前に書かれた「太陽は再び没せず」では、入水ではなく服毒自殺未遂でしたが、更にその前年、綾子さんが大人になって発表した最初の小説「暗き旅路に迷いしを」(旭川六条教会の月報「声」、のち『遺された言葉』所収)に書かれた自殺未遂は『氷点』と同じく入水で、波によって打ち上げられて死ねなかったとされています。
   つまり、この自殺未遂事件については、「太陽は再び没せず」を除けば、入水自殺がメインで、波が阻んだという展開が古型であることが分かります。事実がどうであったのかは決定的な証拠や証言がない限り判明しないのですが、小説「暗き旅路に迷いしを」(この作品は小説として書かれています)には「製塩会社の当直が浜辺に酔いを醒ましに来て、私を踏みつけた」。「誰が海の中から私を助けたでもなく、ひとりで海岸に打ち上げられていたと云うのは一体何の故であったろう。奇蹟的な大きな波が私を浜に押し上げ、その后再び私をさらう波は来なかったと云う事なのか、とにかく私を死なせなかったのは、人間ではなかった」。「死のうとする私の意志を遮って、私を生かそうとした一つの大きなものの意志と力を感じてしまった」ゆえに、「それを尋ねて行こう」として「私の求道が始まったのである」と書いています。
   「暗き旅路に迷いしを」のこれらの記述は、「何ものかの意志」や「大いなるものの意志」を含む北原の手紙と酷似しています。つまり『氷点』のこの部分は当時は未公開に近かった「暗き旅路に迷いしを」を使って書いたと言ってもよいでしょう。「死のうとしても死ねない時があるということ」を「意味深い」「厳粛なもの」と受け止め、「大いなるものの意志」を感じる北原は、すでに〈真に畏るべきもの〉の求道者になっているでしょう。だからこそ、「陽子さんと出会ったことに、大いなるものの意志を感じてもいいでしょうか」という言葉を、羞恥心ばかりではなく、そういう意味でも自ら軽薄だと感じて、手紙から消したのだと思われます。北原邦雄は国後からの引揚者でした。背負ってもらった母の背中の記憶が胸の奥にあったかどうかは分かりませんが、彼もまた“暗き旅路に迷いし”経験なかから、“その背中”を求めて斜里岳に登っていた魂でもあったのでしょう。

   人を「生かそうとしている」不思議な「大いなるものの意志」。その「大いなるもの」とは勿論、発見命名される前の神のことですが、綾子さんはある時、こんなことを言ったそうです。

   「人間は神さまから与えられた舞台が終わるまでは、その役を演じ続けなければならないの。自分でやめてはいけないの。演じ終わるまでは、決して途中で舞台を降りてはいけないし、降りることもできないの」

   それは綾子さん自身の経験から得た思いでもあったのでしょう。

※写真は斜里岳の南側の中標津開陽台から見た国後、斜里の浜の浜に打ち上げられた流木、網走近くの燈台と知床半島、斜里の浜の草

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。