2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 文学散歩 多くのドラマの起終点―旭川駅開業122年 旭川駅は、1898(明治31)年7月16日北海道官設鉄道上川線の駅として開業しました。木造駅舎で、駅前には小沼が点在しヤチハンノキの巨木がたっていました。当時の読みは「あさひかわ」。8月12日に天塩線(現在の宗谷本線)開業。1899(明治32)年9月1日には十勝線(現在の富良野線)開業。同じ年に三浦綾子文学館がある外国樹種見本林の植樹も始まっています。
2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 三浦光世 君を想ふ夕べかなしくて ― 三浦光世の短歌④ 君を想ふ夕べかなしくて袖に来し白き蛾を鉢の菊に移しぬ 光世さんが綾子さんと出会って、一年後の夏の歌です。この歌に詠まれた夕べの「かなし」さは、「君」への愛しさでもあるけれども、ギプスベッドに捕われのその人の病状の深刻さを想い心配する「かなしさ」でもあるでしょう。日本語の「かなし」が「愛し」と「悲し」との二つの要素を持つこと、あるいは根源的には一つであって、分けがたい深みでの悶えと祈りの心であることが、よく分かる歌です。
2020年7月14日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 西村久蔵 貴方は尽きざる愛の源泉でした ― 西村久蔵の葬儀 1953年7月14日火曜日午前10時から、札幌北一条教会で西村久蔵の葬儀が執り行われました。オルガンの前奏、祈祷、森牧師による式辞、そして札幌禁酒会会長(現酪農学園創立者、現雪印メグミルク創立者)黒沢酉蔵、キリスト村入植者代表平林正哉、北星学園園長安孫子孝次、北海道議会議長蒔田余吉、簾舞療養所療養者代表菅原豊(後に同人誌「いちじく」を主宰し三浦夫妻を出会わせた)ら、11名によって弔辞が読まれました。
2020年7月13日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月13日(月) 森下 辰衛 三浦光世 夫は妻を自分のからだのように愛すべし 翌7月13日の朝は、二階から階段を降りるのに、今までにないほど難儀しました。一段ごとに尻もちをつくのです。光世さんは綾子さんの左手をとって先導しました。声を大にして励ましても、綾子さんは一段ごとに坐りこみました。光世さんも汗をびっしょりかくほどでした。洗面をする力もなく、熱を計ると高熱でした。熱は午後には39度8分まで上がりました。
2020年7月12日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 西村久蔵 「いま、うちのおとうさんが、死んだよう」 1953年7月12日午前8時15分、西村久蔵は55歳の生涯を終えました。心臓の弁の故障を抱えての過労による衰弱に加え、10日には脳溢血で意識不明になりましたが、一旦回復。しかしその後「見るに耐えないほどの苦しみ(金田隆一)」を経て、召されてゆきました。
2020年7月11日(土) / 最終更新日時 : 2020年10月10日(土) 森下 辰衛 おたより おたより ③ 最近いただいたお便りのいくつかをご紹介します。ご感想やご助言、こんなこと知ってるよといったことがありましたら、お便りいただけるとうれしいです。
2020年7月10日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月10日(金) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 遂に七月十日の朝が来た ― 『氷点』入選発表の日 遂に七月十日の朝が来た。早朝六時、店の雨戸がガンガンと叩かれた。新聞配達の人が、朝日新聞を一抱え持ってきてくれた。入選の記事がデカデカと出ていた。 今日くらいは休んでくれるかと思ったが、三浦はいつものように、弁当を持って勤めに出ていった。
2020年6月30日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 今日はあなたの百歳の誕生日 前川正さん。ちょうど百年前の1920(大正9)年6月30日、旭川市宮下通り19丁目であなたは生まれました。今日はあなたの100歳の誕生日。なぜあなたはあの場所で、あの時代に生まれたのでしょうか?今その場所を訪ねても、確かな場所は分かりません。何の記念の目印もなく、道行く人もそれを知りません。
2020年6月28日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 前川正 光世さんの最後の祈り― 『道ありき』文学碑除幕式 真実に生きようとして傷つき、心も体も死の淵にいた一人の女がふしぎな光に刺し貫かれた日、魂の再生の物語は始まりました。三浦綾子の人生に大転換が起きたのです。この事件の舞台となった春光台の丘に立つと、彼女の魂の声が聞こえてくるようです。2014年6月28日(土)、この地に三浦綾子『道ありき』文学碑が建立され、除幕式が行われました。
2020年6月26日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子 大槻博子先生 小学校三年生になって綾子さんは、現在の旭川市六条十丁目に移転新築したばかりの旭川六条教会の日曜学校にゆくようになりました。同級生の石原寿みに誘われて行った日曜学校の三年生の受持は大槻博子先生という細面の、どこか淋しげな、美しい人でした。そのとき大槻博子先生は十九歳でした。