2020年7月14日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 西村久蔵 貴方は尽きざる愛の源泉でした ― 西村久蔵の葬儀 1953年7月14日火曜日午前10時から、札幌北一条教会で西村久蔵の葬儀が執り行われました。オルガンの前奏、祈祷、森牧師による式辞、そして札幌禁酒会会長(現酪農学園創立者、現雪印メグミルク創立者)黒沢酉蔵、キリスト村入植者代表平林正哉、北星学園園長安孫子孝次、北海道議会議長蒔田余吉、簾舞療養所療養者代表菅原豊(後に同人誌「いちじく」を主宰し三浦夫妻を出会わせた)ら、11名によって弔辞が読まれました。
2020年7月12日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 西村久蔵 「いま、うちのおとうさんが、死んだよう」 1953年7月12日午前8時15分、西村久蔵は55歳の生涯を終えました。心臓の弁の故障を抱えての過労による衰弱に加え、10日には脳溢血で意識不明になりましたが、一旦回復。しかしその後「見るに耐えないほどの苦しみ(金田隆一)」を経て、召されてゆきました。
2020年7月10日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月10日(金) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 遂に七月十日の朝が来た ― 『氷点』入選発表の日 遂に七月十日の朝が来た。早朝六時、店の雨戸がガンガンと叩かれた。新聞配達の人が、朝日新聞を一抱え持ってきてくれた。入選の記事がデカデカと出ていた。 今日くらいは休んでくれるかと思ったが、三浦はいつものように、弁当を持って勤めに出ていった。
2020年7月5日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月6日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 心の中に灯がともったのだ。 1949年6月の春光台での経験以降、前川正から贈られた聖書を読み、前川正と一緒に教会に行くようになった綾子でしたが、病状が進んでしまいました。旭川の赤十字病院、さらに1952(昭和27)年3月には札幌医大病院に転院し、ついに結核菌が脊椎をむしばむ脊椎カリエスの診断が下りました。
2020年6月24日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「陽子ちゃん、出ておいで」 わたしたちきょうだいは病院に呼ばれた。家から病院までの一キロ余りの道を、わたしは泣きながら走った。病院に着くと、妹はしきりに寒い寒いといった。六月二十四日のその日はあたたかかった。わたしは、弟の乗ってきた自転車に乗って、湯たんぽを取りに帰った。ペダルを踏む足が、夢の中のように、もどかしいほどのろかった。
2020年6月17日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 大いなるものの意志 ― 斜里の海で ③ 〈遠くに知床半島がかすんで見える斜里の海岸にきました。軽石がごろごろしています。毎年来ているところですが、軽石がこんなに多いと気づいたのは今年がはじめて。/けさ、この海岸に若い女性が打ち上げられて倒れていました。死のうとして、海に入ったのに、波が彼女を岸に運んでしまったのです。浜辺に気絶していたその女性は助かりました。
2020年6月16日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「ここからでも海は見えるよ」と言って彼は黙った。― 斜里の海で ② 1949年の6月、堀田綾子はこの西中家に泊まって、夜中の12時の時計が鳴り終えるまで布団の中に息をひそめ、それから玄関の戸を開けて、一人で真っ暗な夜の中に出て行きました。ハイヒールで坂をどんどん降りてゆき、浜に出ると時おり軽石に足を取られて転びそうになりながら、とうとう暗い海の中に入りました。ところがそのとき、綾子は後から駈けて来た人に肩をつかまれていました。
2020年6月15日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「向うに見えるのが知床だよ。ゴメが飛んでいるだろう」 斜里の海で ① オホーツク海に面したS町に着いたのは、ちょうど昼頃であった。駅前を出たわたしの影が、地に黒くクッキリと短かったことを覚えている。 1949年6月のはじめ、堀田綾子はオホーツク海の「S町」(斜里)に出かけて行きました。結核発病後も数年間婚約をそのままにしていた相手西中一郎の家を訪ね、結納金を返して婚約解消し、死のうと思い定めていました。
2020年5月24日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 「いつ死んでも、一点恥じるところはない」- ていさんの泥流体験談(抄) 1926(大正15)年5月24日は十勝岳が噴火して泥流が発生し上富良野と美瑛の村を襲い144人の人が亡くなるという大惨害が起きた日です。三浦綾子さんはこの事件に取材して『泥流地帯』『続泥流地帯』を書きましたが、上富良野での調査取材で最も多くの証言をしたのが清野ていさんでした。ていさんは旧姓吉田、当時の上富良野村吉田貞次郎村長の娘で、『続泥流地帯』には登場人物としても描かれています。以下は、このていさんにお聴きした体験談の抄録です。
2020年5月23日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 新緑の常磐公園を歩く 常磐公園は旭川市常盤町の石狩川の川中島を利用して造成され、1916(大正5)年開園した広さ15・85ヘクタールの公園で、ハルニレやドロノキを中心に在来の巨樹の美しい林や千鳥ヶ池、白鳥の池などがあり、1989年には日本の都市公園百選にも選ばれています。