2020年8月6日(木) / 最終更新日時 : 2020年8月6日(木) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 広島の母、浦上の母 ― 平和の祈りへ 『銃口』で、昭和20年8月21日、北森竜太と山田佐登志曹長は金俊明に助けられて下関へ帰還しました。その後、山田は広島に、竜太は旭川に帰って行きました。その竜太のもとに、しばらくして広島の山田から手紙が届きました。山田は原爆で跡形もなくなった家のあった場所に立って呆然としました。母は死んだと思いました。しかし「絶対この場にいたとは限らない。勝手に決めて絶望するのは止めろ」と言って励ましてくれる人がいました。
2020年8月4日(火) / 最終更新日時 : 2020年8月4日(火) 森下 辰衛 ホロコースト 「見て、ねえ、見て」― アンネ・フランクと三浦綾子 アンネの家族は、父母と、姉のマルゴと、アンネの四人家族でした。有名な『アンネの日記』は、1942年6月12日、13歳の誕生日に父オットーから贈られたサイン帳に書かれました。1942年7月5日、マルゴに対してユダヤ人移民センターに明日出頭するようにとの命令が来たことから、6日朝一家は準備していた隠れ家に移動しました。 『アンネの日記』は、このアムステルダムの隠れ家生活の中で書かれました。1942年7月6日から、1944年8月4日までの隠れ家生活でした。
2020年8月3日(月) / 最終更新日時 : 2020年8月3日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「片隅のいのち」 「片隅のいのち」は、1973年8月3日号の「週刊朝日」に掲載された三浦綾子さんの短篇小説です。朝日新聞社刊の『三浦綾子作品集第五巻』と主婦の友社刊の『三浦綾子全集第六巻』に収録されています。本来なら短篇集『毒麦の季』か『死の彼方までも』に入っているべきものですが、単行本には未収録です。『石ころのうた』の完結の月、『細川ガラシャ夫人』の連載中でした。
2020年8月1日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月1日(土) 森下 辰衛 長野政雄 『塩狩峠』長野政雄の聖書 下 昨日7月31日は『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデル長野政雄の誕生日でした。1880(明治13)年でしたから、140年になります。塩狩峠での殉職事故から100年だった2009年の記念の時に研究して考えたことをその後にまとめた文章です。想像も多く、若干の時代考証的問題もあるように思いますが、そのまま掲載します。研究なさる方の踏み台的参考資料にしていただければと思います。
2020年7月31日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 長野政雄 『塩狩峠』長野政雄の聖書 上 今日7月31日は『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデル長野政雄の誕生日です。1880(明治13)年でしたから、140年になります。塩狩峠での殉職事故から100年だった2009年の記念の時に研究して考えたことをその後にまとめた文章で、想像も多く、若干の時代考証的問題もあるように思いますが、そのまま掲載します。研究なさる方の踏み台的参考資料にしていただければと思います。
2020年7月27日(月) / 最終更新日時 : 2020年7月27日(月) 森下 辰衛 榎本保郎 向こう岸へ渡ろう ― 榎本保郎召天の日に 7月27日、今日は榎本保郎の命日です。1977年ロサンゼルスで召されました。二日前の25日、病室には保郎の妹の松代さんと弟の寿郎さんと和子さんがベッドうを囲み、保郎に手を置いて祈っていました。そのとき、突然「シュシュシュシュシュッ」という異様な音がして、まばゆい光がベッドの上を走り、吊るされていたリンゲルに当ってカチッと音をたてました。保郎は低いうなり声をあげました。三人は互いに顔を見合せ「今の音聞いた?光を見た?」と言い合いました。
2020年7月25日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月25日(土) 森下 辰衛 文学散歩 人の悪を思はず善を以って悪を報いよ ―「沼崎重平翁」彰徳碑 JR富良野線の美馬牛駅を出ると、駅右側前方に沼崎農場主であり美馬牛駅の開駅に功労のあった『沼崎重平翁彰徳碑』があります。沼崎重平は『続泥流地帯』に登場する医師です。1878(明治11)年、茨城県稲敷郡に生まれ、1897(明治30)年、東京医学専門学校済生学舎に入学し、医学の道を目指します。この頃安部磯雄に私淑してキリスト教に入信し、片山潜・幸徳秋水・荒畑寒村らとも親交を持つようになってゆきました。
2020年7月21日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月21日(火) 森下 辰衛 文学散歩 7月21日、夏祭りの昼下がり―『氷点』冒頭 『氷点』冒頭はなぜ1946(昭和21)年7月21日と決められたのでしょう。戦後間もなくである必要はあったと思いますが、堀田綾子にとって特別な日ではなかったように思えます。この年3月末に教員を辞職し6月から結核療養のため白雲荘に入所中でした。彼女の心が淋しさで凍えてしまう〈氷点〉の時期であったことは確かですが、物語の冒頭を7月21日に設定したのは上川神社の夏祭りに合わせるためだと考えられます。
2020年7月19日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月19日(日) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「最愛」― 開け放たれた庭にバラが咲いた― 三浦光世の短歌⑤ その日は、彼と初めて会った日のように、美しく晴れ渡っていた。わたしは、開け放たれた庭を、ベッドの上に起き上って眺めた。大輪のバラがほころび、わたしは何かいいことがあるような予感がした。忘れもしない七月十九日だった。三浦光世から部厚い封書が届いた。手紙には、あなたの死んだ夢を見て、涙のうちに一時間あまり神に祈った。役所に出勤しても、しばらく瞼が腫れていたとあり、わたしの名の上に「最愛なる」という字が冠してあった。
2020年7月18日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月18日(土) 森下 辰衛 試作的思索 澄んだ清らかな目で 三浦綾子さんの短篇小説「病めるときも」は1942(昭和17)年7月の洞爺湖温泉から始まります。ここで二十歳の藤村明子は、清らかなまなざしを持つ青年久我克彦と出逢いました。大学医学部の研究室で放線菌の研究をしているという克彦の澄んだ清らかな目に、キリスト者の家に育った明子はひかれ、翌年には婚約をかわしました。