澄んだ清らかな目で

   三浦綾子さんの短篇小説「病めるときも」は1942(昭和17)年7月の洞爺湖温泉から始まります。ここで二十歳の藤村明子は、清らかなまなざしを持つ青年久我克彦と出逢いました。大学医学部の研究室で放線菌の研究をしているという克彦の澄んだ清らかな目に、キリスト者の家に育った明子はひかれ、翌年には婚約をかわしました。
   克彦は結核の薬の研究を五年前から続けていて、暇を見つけては方々の土を集めて歩いていました。
   「あのね、明子さん。結核やチフスで死んだ人を土葬するとしますね。すると、たとえ体が腐って溶けてしまっても、結核菌なりチフス菌なりが、その土の中に当然残っているものと、以前は考えられていたんですよ。ところが、その土を調べてみますとね、あると思ったはずの結核菌もチフス菌も、すっかり姿を消してしまっているわけなんですよ。それで、土壌の中にはこの菌を食う他の菌があるに違いないということになったわけなんです」
   克彦はいろいろな土壌の中にある菌を培養して、どの菌が結核菌を食うのか調べるのだと言いました。そのために克彦はエトロフ島や礼文、利尻、天売・焼尻の島々にも土を集めに行きました。
   1943(昭和18)年、二人は婚約しますが、明子が軽い結核に罹患。結核は人々に忌み嫌われる病気だったので、藤村家では婚約解消を久我家に申し入れますが、克彦はそれを一蹴しました。
   「冗談じゃありません。ぼくは結核菌を殺す薬を作ろうと思っている男ですよ。そんなことで婚約の解消ができると思うのですか。明子さんが結核になったと聞いて、ぼくは自分の研究に、いままで以上にハッキリとした使命感を持つことができたんですからね」
   戦後になるとストレプトマイセスの研究は急速に進んで、克彦も焦りを覚えますが、1947(昭和22)年、遂に彼はその菌を発見します。ところが研究室が火事になり、菌株、培養の試験管、資料類を焼失。克彦は精神に変調をきたします。

   ストレプトマイシンは、史上初めて単離された抗結核性抗生物質で、1944年アメリカのワクスマンらによってアメリカのニュージャージー州で得た放線菌Streptomyces griseusの培養液から単離されました。ふつうは土の中にいる何でもない無害のカビ(放線菌)から作られたものです。「病めるときも」で土を集める克彦を書いた綾子さんも発見の経緯など良く知っていたのだと分かります。ストレプトマイシンの発見により、それまで不治の病だった結核が治るようになっただけでなく、放線菌を中心に新しい抗生物質を探索するその後の研究の端緒ともなり、ワクスマンは1952年ノーベル賞を受賞しました。日本では1950(昭和25)年より科学研究所(理科学研究所の前身)が生産に着手し、その後一般に使われるようになりました。
   物語では、克彦が発見した菌は失われてしまいましたが、福音は辺境の土の中から来ようとしていました。新しいウイルスと同じように。

   ここに最近有名になった詩があります。ヴィヴィアン・R・リーチという人が書きました。

      コロナウイルスから人類への手紙

地球は囁いたけれど、あなたには聞こえなかった。
地球は話したけれど、あなたは聞かなかった。
地球は叫んだけれど、あなたは聞くことを拒んだ。
それで、私は生まれた・・・
私はあなたを罰するために生まれたのではない・・・
私はあなたの目を覚ますために生まれた・・・
地球は助けを求めて叫んだ・・・
大規模な洪水。でもあなたは聞かなかった。
厳酷な火災。でもあなたは聞かなかった。
猛烈なハリケーン。でもあなたは聞かなかった。
恐ろしい竜巻。でもあなたは聞かなかった。
海の生き物が、水中の汚染物質によって死んでいっている。
異常な速さで溶けていっている氷河。
厳しい干ばつ。
それでもまだ、あなたは地球の声を聞こうとしない。
どれだけ地球がひどい扱いを受けているのか、あなたは聞こうとしなかった。
次々と続く戦争。
次々と続く貪欲。
あなたはただ自分の生活を続けるだけだった・・・
どれだけ憎しみがあろうが・・・
毎日どれだけ殺害があろうが・・・
地球があなたに伝えようとしていることを心配するより、最新のiPhoneを手に入れることのほうがもっと大事だった。
だけど今ここに、私がいる。
そして、私は世界を一気にストップさせた。
やっと私はあなたに耳を傾けさせた。
私はあなたに庇護を求めさせた。
私はあなたが物質本位に考えるのをやめさせた・・・
今、あなたは地球のようになっている・・・
あなたはただ自分が生き残れるか心配しているだけだ。
どう感じますか?
私はあなたに熱を与える。地球で起きる火災のように・・・
私はあなたに呼吸器障害を与える。地球の大気汚染のように・・・
私はあなたに衰弱を与える。地球が日に日に衰弱していっているように。
私はあなたの安楽を奪った・・・
あなたの外出。
あなたが使う、地球のことや、地球が感じている痛みのことを忘れさせるような物。
そして私は世界をストップさせた・・・
そして今・・・
中国の大気質が改善した・・・工場が地球の大気に汚染を吐き出さなくなったことにより、空が澄んだ青色だ。
ベニスの水が澄んでイルカが見られる。水を汚染するゴンドラを使っていないからだ。
あなたは時間をとって自分の人生で何が大切なのか深く考えなければならなくなっている。
もう一度言う。私はあなたを罰しているのではない・・・私はあなたの目を覚まさせるために来たのだ・・・
これが全て終わり私がいなくなったら・・・どうかこれらの時を忘れないように・・・
地球の声を聞きなさい。
あなたの魂の声を聞きなさい。
地球を汚染するのをやめなさい。
鬩ぎ合いをやめなさい。
物質的なものに関心を持つのをやめなさい。
そして、あなたの隣人を愛し始めなさい。
地球と、その全ての生き物を大切にし始めなさい。
創造神を信じ始めなさい。
なぜなら、次の時には、私はもっと強力になって帰ってくるかもしれないから・・・
コロナウイルスより    

   最近、アメリカの細菌学者が金属のマンガンを食べる菌を発見しました。鋼鉄を食べる虫もいるそうですから、驚くには足りないかも知れません。10年前NASAは猛毒のヒ素を食べて成長する菌を発見しました。木村秋則さんは預言的に「放射能を食べる菌だっているに違いない」と語りました。(手洗いは必要ですが)無菌状態が理想であり可能であるかのように、すべての菌やウイルスを殺そうとする殺菌ヒステリーに陥らないようにと思います。『細川ガラシャ夫人』の玉子の母の相貌を変えてしまった伝染病天然痘。この病を地球上から撲滅したと人類は誇りました。でも、すべての生命体が密接な関係を築いているのだとしたら、それはキーストーン(石造りの建造物の中で構造上キイになる石、それ一個を除くと全部が崩壊する)を破壊する行為だったと、いずれの日にか気づかされるかも知れません。或いはまた、逆にこのcovid-19と名づけられたウイルスが、後の日に、人類の滅亡を防ぐ働きをしてくれた言わば〈隅の頭石〉だったと、分かる日が来るかも知れないのです。

  「健やかなる時も、病める時も、汝夫を愛するか」との言葉に「病めるときも」の明子は問われ、また支えられて、克彦や障害児となった雪夫と共に生きてゆくのですが、我々も今日、「健やかなる時も、病める時も、汝すべてのいのちを愛するか?ウイルスさえ良き問いかけのために訪れた友として愛するか?共に生きて行こうと思うか?」と問われているように思います。やがて暴かれたアマゾンや凍土の解けたシベリヤから、出会ったことのないウイルスは次々と我々を訪れるかも知れません。知らない存在は怖いのです。でも、すべての被造物を「澄んだ清らかな目」で見ることができる人は幸いです。そこに良きものを見いだせるのは、そんな目だけだからです。

    旭川ではもう秋桜が咲き始めました。季節が移ってゆきます。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。