2020年9月26日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月26日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 洞爺丸台風と洞爺丸遭難事件 洞爺丸遭難事件は、1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号(洞爺丸台風)により起こった、日本国有鉄道(国鉄)の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。
2020年8月24日(月) / 最終更新日時 : 2020年8月25日(火) 森下 辰衛 文学散歩 オホーツク土産 釧網線(釧路―網走)の斜里駅は正確には知床斜里駅。1925年(大正14)年、国鉄の斜里駅として開業し、1998年に知床斜里駅に改称しました。駅前には巨大なオジロワシ像が立っています。でも、大事なのはその向こう左に見える斜里セントラルホテル。ここには以前(少なくとも2006年には)斜里館という旅館が立っていました。三浦綾子の一番最初の小説「暗き旅路に迷いしを」で「S館」と記されている宿です。
2020年7月26日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月26日(日) 森下 辰衛 文学散歩 Go To お花畑 ― 美瑛四季彩の丘 「丘のまち」と言われる北海道美瑛町ですが、傾斜のきつい丘陵地帯は農業にとって必ずしも望ましい条件ではありません。しかし、その風土の中で農家が作り上げてきた農業景観が北海道を代表する観光スポットになっています。その美瑛でも最も観光客の集まる「四季彩の丘」を経営するのは、農場を経営する熊谷留夫(くまがいとめお)さん、63歳です。
2020年7月25日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月25日(土) 森下 辰衛 文学散歩 人の悪を思はず善を以って悪を報いよ ―「沼崎重平翁」彰徳碑 JR富良野線の美馬牛駅を出ると、駅右側前方に沼崎農場主であり美馬牛駅の開駅に功労のあった『沼崎重平翁彰徳碑』があります。沼崎重平は『続泥流地帯』に登場する医師です。1878(明治11)年、茨城県稲敷郡に生まれ、1897(明治30)年、東京医学専門学校済生学舎に入学し、医学の道を目指します。この頃安部磯雄に私淑してキリスト教に入信し、片山潜・幸徳秋水・荒畑寒村らとも親交を持つようになってゆきました。
2020年7月23日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月23日(木) 森下 辰衛 文学散歩 Go To お花畑 ― 中富良野 7月20日、中富良野と美瑛町美馬牛のお花畑に行ってきました。JR富良野線で約一時間、炎天下でしたが、ゆっくり歩くとステレオタイプの観光でなく、“光を観る”文学散歩になるのが体験できました。
2020年7月21日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月21日(火) 森下 辰衛 文学散歩 7月21日、夏祭りの昼下がり―『氷点』冒頭 『氷点』冒頭はなぜ1946(昭和21)年7月21日と決められたのでしょう。戦後間もなくである必要はあったと思いますが、堀田綾子にとって特別な日ではなかったように思えます。この年3月末に教員を辞職し6月から結核療養のため白雲荘に入所中でした。彼女の心が淋しさで凍えてしまう〈氷点〉の時期であったことは確かですが、物語の冒頭を7月21日に設定したのは上川神社の夏祭りに合わせるためだと考えられます。
2020年7月17日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月19日(日) 森下 辰衛 友だち 舟 この「舟」は、私のホームページ「向こう岸へ渡ろう」から発想して作ってくださいました。クスノキの匂いがとても良いです。長澤さんは『道ありき』のときもそうでしたが、テーマをゆっくりとかみ砕いてから時間をかけて咀嚼して、単純で強く、爽やかで深いフォルムを掘り出してゆかれます。
2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 文学散歩 多くのドラマの起終点―旭川駅開業122年 旭川駅は、1898(明治31)年7月16日北海道官設鉄道上川線の駅として開業しました。木造駅舎で、駅前には小沼が点在しヤチハンノキの巨木がたっていました。当時の読みは「あさひかわ」。8月12日に天塩線(現在の宗谷本線)開業。1899(明治32)年9月1日には十勝線(現在の富良野線)開業。同じ年に三浦綾子文学館がある外国樹種見本林の植樹も始まっています。
2020年7月12日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 西村久蔵 「いま、うちのおとうさんが、死んだよう」 1953年7月12日午前8時15分、西村久蔵は55歳の生涯を終えました。心臓の弁の故障を抱えての過労による衰弱に加え、10日には脳溢血で意識不明になりましたが、一旦回復。しかしその後「見るに耐えないほどの苦しみ(金田隆一)」を経て、召されてゆきました。
2020年7月5日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月6日(月) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 心の中に灯がともったのだ。 1949年6月の春光台での経験以降、前川正から贈られた聖書を読み、前川正と一緒に教会に行くようになった綾子でしたが、病状が進んでしまいました。旭川の赤十字病院、さらに1952(昭和27)年3月には札幌医大病院に転院し、ついに結核菌が脊椎をむしばむ脊椎カリエスの診断が下りました。