Go To お花畑 ― 中富良野

7月20日、中富良野と美瑛の美馬牛のお花畑を歩いて来ました。旭川駅から中富良野まではJR富良野線で約一時間1280円でした。旭川駅1番ホームの窓から見える氷点橋と神楽。この橋を渡って真っ直ぐ行けば外国樹種見本林。三浦綾子記念文学館があります。

中富良野駅は上富良野駅から西中を経て二つ目ですが、夏の土日祝日は途中にもう一つ「ラベンダー畑」駅が登場します。この日は月曜日でしたので、中富良野駅から歩きました。町営北星山ラベンダー園まで10分、そこからファーム富田まで5分ぐらいです。

富良野川は大正末年十勝岳が爆発したときに泥流が流れた中心の川で、中富良野まで泥流は来ました。

北星山ラベンダー園で働く方々。広大な花畑は沢山の方の手作業できれいに管理されています。

ファーム富田までの道の途中。ゆっくり歩くと畑や草花、鳥などとも出逢えて楽しめます。

 

ファーム富田は入場無料。1903年開拓入植した富田徳馬によって始められ、孫の忠雄が1958年にラベンダーの栽培を始めました。

その後、富良野地方全体でラベンダーの栽培が盛んになり230ヘクタール以上、栽培農家は250戸以上・全道のラベンダーオイル生産量も5トンに上るようになりますが、貿易の自由化で低価格の香料が入り、合成香料の技術が進み、価格も急落。1973年には近隣一帯のラベンダー栽培農家はファーム富田のみとなってしまいました。

1976年5月国鉄のカレンダーにファーム富田の写真が紹介されると、徐々に観光客やカメラマンが訪れるようになり、その後にドラマ「北の国から」で放送されたことで、観光地として一躍有名になります。

1980年代になるとポプリなどのラベンダーの加工を始め、エッセンシャルオイルの抽出に成功して香水「フロム」を発売、その後化粧品製造業の免許を取得し、オリジナルラベンダー香水「FURANO(フラノ)」を発売しました。1987年には石鹸の製造業免許を取得し、オリジナル石鹸を発売。それまで経営を繋ぐために行っていた稲作をやめて、花の栽培や加工を経営の中心としました。※写真はラベンダーオイルを製造するための蒸留器。

1990年フランスで開かれた「ラベンダー芳香フェア」での品評会で、ファーム富田のエッセンシャルオイル「おかむらさき」が1位を獲得。「オートプロヴァンス・ラベンダー修道騎士」の称号を授与されました。

その後は冬期間のラベンダー栽培に成功、富田ラベンダー資料館や「ドライフラワーの舎」がオープンするなどしました。

園内ではおよそ15ヘクタールのラベンダーのほかにも多くの花が栽培されていて、花畑はそれぞれ「花人の畑」、「倖の畑」、「春の彩りの畑」、「秋の彩りの畑」、「彩りの畑」、「森の彩りの畑」、「トラディショナルラベンダー畑」に分かれています。この日は、ラベンダー以上に彩りの畑の麦がとても鮮烈でした。

帰り道、側溝の鉄格子から伸びて咲いていた草の花が、ほっとさせてくれました。

帰りの列車が上富良野駅を出たとき、最後尾から振り返ってみました。『泥流地帯』『続泥流地帯』の物語のいくつかの瞬間を思いました。ここから列車に乗った佐枝、節子、耕作、そして福子たち。みんな振り返ったのでしょうか?

最後は中富良野町営北星山ラベンダー園の一番上にある“天国の階段”。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。