オホーツク土産

 

 

   この週末はオホーツク地域に行ってきました。と言っても、今回読書会があったのは金曜日夕方の斜里図書館での『細川ガラシャ夫人』前半の講演会のみで、土日は北見神愛教会で過ごしました。
   釧網線(釧路―網走)の斜里駅は正確には知床斜里駅。1925年(大正14)年、国鉄の斜里駅として開業し、1998年に知床斜里駅に改称しました。駅前には巨大なオジロワシ像が立っています。でも、大事なのはその向こう左に見える斜里セントラルホテル。ここには以前(少なくとも2006年には)斜里館という旅館が立っていました。三浦綾子の一番最初の小説「暗き旅路に迷いしを」で「S館」と記されている宿です。主人公の私はこの宿から夜中に抜け出してオホーツク海で入水自殺しようとします。「宿から半町程行くと海岸に降りる長い坂道がある。そこを真直ぐに歩いて行けば自ずと海に出るのである。」実はもう一つ『石の森』でも自殺を考える主人公早苗が「斜里館という古めかしい宿」に泊まって浜辺で軽石を拾っています。

   駅前の写真です。オジロワシ像はこの右側になります。この奥の中心の交差点は昔も今も同じです。この低い坂を越えてゆくと海へ行きます。1949(昭和24)年、堀田綾子が結納金を持ってこの町を訪れた頃、左のコンビニの裏あたりに製粉所があって、その近くに西中一郎は住んでいました。

   斜里駅のホームを繋ぐ橋の上から。左側のホームが釧路行きで手前から列車が来て向こうに進みます。右側から網走行きが発車します(すべての列車がそうではありません)。線路の向こうに見えるのは海別岳(うなべつだけ)。北原邦雄が登る斜里岳はこの角度からだと右側60度ぐらいの方向になります。

   釧網線の鉄橋から見た斜里川。向こうが海になります。秋には鮭が登ります。「斜里」の名は、この斜里川の下流一帯を指す地名で、「サㇽ(Sar)」(葦原)に由来するとされています。綾子さんもきっとこんな景色を見たことでしょう。

   向こうに見えるのが知床だよ。ゴメは見えなくてゴメン。

網走駅の2、3番ホームから改札を見たところ。斜里から乗った列車(一輌)が3番ホームに着き、2番から北見方面行きが出るところ。特急はすべて1番ホームで発着します。キヨスクはなくなりましたが、弁当屋さんはずっと続いていて、美味しいです。

   北見駅、さすがカーリングの町!このストーン、勿論固定されていて動かないのですが、カメラの日吉先生にストーンを投げるポーズをして下さいと言われて、えっ、無茶ブリしないでくださいと思いつつ、にこやかにハイ、ポーズ。ピアソン記念館も歩いて行ける距離にあります。最近バスセンターも駅前に移動、市役所も駅横に来て、駅周辺が便利になりました。北見読書会の一つオリーブの会はこの北見駅裏直ぐの北見市立中央図書館をメイン会場に開かれています。

   日曜日は北見神愛教会の礼拝でお話ししました。飛沫が飛ばないように、大きなアクリル板が講壇の前にあって、金魚にでもなった気分を味わえました。プクプク……。土曜日の夕方はここで、三つの動画を撮影しました。そのうちの一つは全国の三浦綾子読書会の皆さま宛のメッセージをということで、数分のものですが、撮りましたので、近日中に三浦綾子読書会のFacebookなどで見られるようになると思います。

    日吉先生はオホーツク海に面した蟹と流氷の町紋別の教会も兼任で牧会しておられます。というわけで珍しい紋別のお菓子をいただきました。ひと目で紋別と分かるその名も“ガリンコ号”!北海道のお菓子ですから、それはもう当然おいしいです。ガリガリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。