十勝岳連峰、裾野の秋

十勝岳は、北海道の中央部に位置する上川管内の美瑛町・上富良野町、十勝管内の新得町にまたがる標高2,077 mの活火山で、大正15年、昭和37年、昭和63年に噴火し、大正の噴火では溶岩で頂上付近の雪が溶けて泥流が発生し144人の死者を出す大災害となりました。この事件に取材して書かれたのが三浦綾子さんの小説『泥流地帯』『続泥流地帯』です。十勝岳は大雪山国立公園内の十勝岳連峰(十勝火山群)の主峰で、日本百名山及び花の百名山にも選ばれています。写真は美瑛町の白金模範牧場からの十勝岳連峰。これだけの景色を観光資源として使わない、これが北海道らしさ。ソフトクリームぐらいあるだろうと思ってたけど、自販機ひとつ人影ひとつ見当たらず、出会ったのは、この方だけでした。(9月)

かわいくてもキツネに餌をやってはいけません。自分で餌をとることを忘れていって、餓死することになります。接触するとエキノコックスという怖い病原虫が着くこともあります。

美瑛川を十勝岳の方向にさかのぼると白金温泉に着きます。ここでも大正泥流では7人の死者が出ました。下はバスターミナル横にある、三浦光世さんの揮毫した橋の銘盤。 

この辺りのいくつもの橋に三浦綾子さんが名前をつけました。(下の写真は10月)

『泥流地帯』の取材のとき、綾子さんが渓川に降りてしゃがんで手を水に浸し、泥流に流された人々のことなど、思い巡らしながらしばらく目をつぶっていたと言われるのは、この橋の左下辺り。望岳台より少し上富良野寄りにあります。

下は、十勝岳温泉凌雲閣裏の絶景紅葉。三浦文学案内人の近藤弘子さんのおすすめスポットです。十勝岳中腹には美瑛側から上富良野側へ向けて、白金、吹上、十勝岳と幾つもの温泉がありますが、十勝岳温泉が一番高い所にあります。吹上温泉にはドラマ「北の国から」で有名になった露天風呂があります。

標高1200m超の凌雲閣前から俯瞰した景色。カバ系、ナナカマド、ナラ系、かつらなど、樹種によって様々な彩りを見せています。遠く見えているのは上富良野か美瑛か。

上富良野の三重団体地域にある吉田村長宅近くの丘への道。大正15年の泥流は丘の裾にバシャンとぶつかったとのこと。この写真の右側200mほどの田んぼの中を、吉田家の人々は丘の方に向かって逃げ、隣家の米村さんの家の立ち木にしがみつきました。『続泥流地帯』に登場するていさん、弥生さんは助かりましたが、おばあさんは泥流に呑まれてしまいました。

三浦綾子読書会語り手養成講座の会場に使っているペンション薫風舎の看板。美瑛から十勝岳方面に向かう白金街道の右側、美沢小学校近くにあります。

美瑛の町近くからの十勝岳。美瑛の畑はすべての季節に美しい。(9月)

夕刻、美瑛町美馬牛付近の丘(10月)。雪虫が舞い始めました。10月9日、今朝の旭川市の気温は4℃。10℃を下回ると紅葉が始まり、5℃を切ると雪の季節になります。1999年10月14日、旭川市神居の旭川斎場付近にも、トンボと一緒に雪虫が舞っていたのを憶えています。

 

 

 

 

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。