「取り除かないでください」と祈る

         大漁    金子みすゞ

      朝焼小焼だ
      大漁だ
      大羽鰮(おおばいわし)の
      大漁だ。

      浜は祭りの
      ようだけど
      海のなかでは
      何万の
      鰮のとむらい
      するだろう。

   世界屈指の観光地であるベネチアから観光客が消えて、運河に魚が戻って来たと言う。世界各地の、人が少なくなった都市の市街地にピューマや象やサルの群れや鹿たちが、あるいは今までどこにいたのだろうというような鳥や動物たちが出て来ているらしい。工場の煤煙が減り、自動車の排気ガスが薄くなり、pm2.5が減少した空を飛ぶ鳥や虫たちの目に、朝焼けはどのように映っているだろうか?騒音が低くなり、静かになって春の香りが漂い始めた岸辺に生えた草の葉に、夕風はどのように感じられているだろうか?
   短ければ数か月、長くても数年のうちには、人類はこの状況を克服してゆくだろう。そしてまた、このいのちたちを周辺の見えない場所に追いやって、再びこの星を汚すことを始めることだろう。(人類だけ見ても、covid-19による死者の数よりも人類の“自粛”で起きたpm2.5の減少によって死をまぬかれた人の数の方が圧倒的に多くなるのは明瞭であるのに、またpm2.5を大量排出する季節に人類は戻りたいのだ。)
   暴虐を働く者たちのしばしの退場によって与えられた、他のいのちたちの束の間のバカンス(vacanceの本来の意味は空っぽで自由なこと)。まさに、彼らにとって“今は救いの時”かも知れない。人類は祈る。「愛の神よ、この災厄を早く取り除いてください」と。しかし、彼らはこう祈るかも知れない。「愛の神よ、この幸せを、この平和と解放を奪わないでください」と。彼らがこう祈ったとて、それを非難する権利がわれわれにあるだろうか?何も悟らず、インターネットの活用度の増大以外何も変わらず、ただ元に戻るだけならば。
   例えば、少し前までその生涯のほぼすべての時間を監禁拘束されて多くの抗生物質や薬物を投与された揚句に殺された動物(意識も苦痛も悲しみさえもある)たちの死体(人類は食肉と呼ぶが)を運んでいた大型冷凍トラックが、今はその生涯の最後の一週間ほどをcovid-19のために隔離監禁されて死んだホモ・サピエンスの死体を積んで輸送している映像をテレビは映しているが、それを意識も苦痛も悲しみさえもある他の生き物たちはどう見るだろうか?地球に生息する多くの生物種の一つに過ぎないものとして自己をとらえ直し、他の生き物との良好な関係を築いて生きることを志向しようとすらしないなら、「愛の神」はこの暴虐な支配階級である生物種を、いつまでもこの星の管理者として任じて置くだろうか?すべての物を愛して創られたはずの神が。ならば、「愛の神よ、われわれが悟るべきことを悟らないうちに、この試練を取り除かないでください」と祈ってはいけないだろうか?(※写真は那智勝浦港のマグロ市場)

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。