三浦綾子と天国の希望 下

   『千利休とその妻たち』では、キリシタンの聖堂に行って説教を聴いてきたおりきが、その話を利休に聞かせるくだりがあります。
   「天国(はらいそ)に人が入るためには、狭い門より入らねばならぬと伺いました。狭い門から入るためには、すべての持ち物を捨てねばなりません。身分という持物も、財産という持物も、傲慢という持物も、美形や学問という持物など、持っては入れぬ狭い門をくぐらねば、天国に入れぬと承りました。それらの荷は、天国では何の役にも立ちませぬ。いいえ、そればかりか、かえって邪魔になる荷物だそうでござります。」
   利休はここから茶室のにじり口を創案し、茶の湯を世の権力の入らない天国(はらいそ)の世界にしたいと願ってゆきます。綾子さんは「すべての人が天国の国籍をもったらいいのに。だってそうしたらこの地上の国籍、国境のゆえに起きる戦争などなくなってしまうだろうから」ともエッセイで語っています。天国は平和であり、平和の源です。しかし、全部捨てて狭い門をくぐらねば入れないのが天国です。
   綾子さんは亡くなる前の年、文学館開館の際に太平洋放送協会が収録放送した番組で、言わずにいられないというように小さな声を絞り出して語りました(宮嶋裕子著『神さまに用いられた人三浦綾子』にもあります)。

   「私はこの頃、神について、二、三年前と違う考え方にたどり着きました。わたしが考えていた神さま、わたしの考えている神さまより、ずっとずっとずっとずっと大きくて、広くて、高くて、暗くて明るくて、自分のもっている物差しでは測ることの決して出来ない存在だということ。それを実感として感じるようになったんですね」

   「やさしく、あわれみに富み、恵みふかく、力強く、ご配慮の行き届いた、知恵に満ちた、信頼に足る」といったプラスの価値概念の出た表現はありません。「大きくて、広くて、高くて、暗くて明るくて」といった価値概念の少ない表現です。ここにはそれまで思っていた神さまとは違う神さまに出会った綾子さんの戸惑いがあります。抑制された表現ですが、おそらくは単に難病パーキンソン病のことなどではない、思ってもみなかった試練を通ったことが感じられます。「祈りが答えられないように見えるとき、自分の願いとは違う方向に行く時に、わたしは楽しみになる。神さまはもっと違うお考えとご計画をお持ちになっておられるということだから」と95年にお会いしたとき綾子さんは教えてくださいました。しかしそのような綾子さんをさえ揺さぶるような、それまでの神さまへの信頼の一切をすっかり失っても仕方ないほどの試練があったのかも知れません。言わば信頼していた神さまに突き飛ばされたのです。突き飛ばされ倒れた時、彼女はおそらく、そこに自分の罪を示されたでしょう。少なくとも神さまをわかったような気になっていたことを傲慢であったと感じたでしょう。彼女は砕かれたと思います。わたしたちは綾子さんの最後の闘いがどんなものであったかをつぶさに知ることはできませんし、語ることのできないものであったかもしれません。しかしその中で、彼女はへりくだって、神さま、あなたは私の物差しでは決して「測ることのできない」方ですと言っています。こうして更に砕かれた綾子さんは天国のにじり口を見ただろうと思います。わたしたちの知らないところで、最早口述筆記さえできなくなった時期に、綾子さんの信仰は非常に深まったと思います。神さまは時折、わたしたちを突き飛ばされる方のようです。しかし神さまは、それによってわたしたちを天国に入るにふさわしくへりくだらせてくださる方であることがわかります。
   1999年10月12日、綾子さんは天国に行かれました。わたしは思いました。この世界中探しても綾子さんはいなくなった。綾子さんのいない世界になってしまった。しかし前川さんが召されてから綾子さんにとっての天国が全く変わったように、綾子さんが召された日からわたしにとって天国は変わりました。天国は綾子さんがいる天国になりました。綾子さんが待っている所になりました。天国のにじり口への道もそれぞれ違うでしょう。神さまはわたしたちをそれぞれに突き飛ばされるかもしれません。それでボロボロのふらふらになるかもしれません。けれどそれでもいいから、立派でなくていいから、それぞれに与えられた道のりを走り終えて、綾子さんに会える所に行きたいものだと思います。皆さんもご一緒に。
                           ※ 召天8年 三浦綾子さんをしのぶ会 での講演 2007・10・12  旭川六条教会

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。