三浦綾子と天国の希望 上

   1954(昭和29)年5月2日未明、1時14分、前川正は33年の生涯を終えました。綾子さんが天国というものを初めてはっきりと意識したのは、前川正さんが亡くなったこの時だったと思います。『道ありき』にはこう書かれています。

   わたしはその時になって、初めて天国を思った。昨年の七月、敬愛する西村先生を失い、それから一年もたたぬうちに、前川正も天に召された。当時のわたしは、この世よりも、天国のほうが慕わしく思われてならなかった。(43)

   綾子さんの慟哭する胸の奥から湧き出るように、次々と挽歌が生まれましたが、ことにのちに光世さんが「愛の絶唱」と言った一首「妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より」は、前川さんが天国にいることを強く意識した歌になっています。綾子さんにとって天国とは、最もリアルな感覚として、あの正さんが今いる所なのでした。
   やがて一年一か月の後、三浦光世さんが綾子さんの前に現れますが、光世さんはこの時、不思議にも、新約聖書「ヨハネの福音書」14章の天国についてイエスが語っている言葉を読みました。

   「あなたがたは心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家にはすまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだから。そして、行って場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしの所に迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」
   この聖句で、彼が天国に大きな望みを抱いているのをわたしは知った。つづいて讃美歌も歌って欲しいと頼むと、彼はただちにうたってくれた。
   主よみもとに 近づかん のぼる道は 十字架に ありともなど 悲しむべき 主よみもとに ちかづかん(45)

   天国への道がどんなに苦難に満ちた道であっても、主のおられる天国に行きたいという歌です。意識的でなかったとしても、この時すでに光世さんは、綾子さんに、天国への道を指し示し、一緒に登っていこうと言っているのです。光世さんは綾子さんが前川さんを詠んだ先ほどの短歌「妻の如く想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より」にとりわけ感動して、綾子さんを愛し始めます。そして、「前川さんのことを忘れてはいけません。あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」と言ってプロポーズしています。三浦夫妻の歩みは、天国の前川さんの眼差しを意識した歩みでした。そして前川さんのいる天国へ向けて一緒に歩いてゆく歩みでありました。夫の一番の務めとは、新しい家電製品や高級乗用車を買って海外旅行に連れてゆくことではなく、その人が天国に行けるように努めることなのだと学ばされます。
   綾子さんの文学の中で天国は、罪や争いに満ちたこの世の論理や価値観の対極にあるべきものでした。
   『積木の箱』で、幼い少年和夫は「天国」をこんな風に考え始めます。それは、きれいな所で、心のやさしい人ばかりで、バカにする人はいない、ライオンと人間の子供が仲よく遊ぶ。そして王様はその国で誰よりもやさしくて、誰よりも威張らないのです。この天国は大人たちの世界の現実を反対にしたような所です。和夫は「天国に行く地図」を書きますが、それは、「いばらない国」「やさしい国」「ニコニコ笑う国」「人にものをあげる国」そして「お祈りの国」を通らなければ行けない国でした。ほぼ同時期に書かれた『塩狩峠』の主人公永野信夫は、まさにこの和夫の書いた地図を辿って行ったとも言える人でした。「人にものをあげる国」すなわち命さえも人にあげる国を彼は通りました。線路に身を投じるときにも彼は祈りました。「お祈りの国」を通ったのです。そして「塩狩峠は、雲ひとつない明るいまひるだった」という作品末尾の文章が暗示しているのは、まさに天国の栄光でしょう。
   『細川ガラシャ夫人』と『ちいろば先生物語』には秀吉の迫害によって殉教してゆく、三木パウロをはじめとする二十六聖人のことが出てきますが、彼らはこの世の命など天国(はらいそ)の望みに比べれば何ほどの価値もなきものとして、喜びに満ち、輝いた顔で「はらいそ、はらいそ」と言いながら死んでゆきました。彼らの天国への希望を抱いた信仰は、ガラシャを奮い立たせて十字架に比すべき壮絶な死に押しやりました。さらに三百五十年後、淡路島にいた一人の青年榎本保郎を捕らえ、「わしはキリシタンになる!」と決心させました。「ぼくは小さいロバ、ちいろばや。イエス様をお乗せてしてとことこ歩いているうちに死ぬなら、本望や」という生き方に導きました。天国は天国を信じる者を勇気づけ、本物の献身へと押し出す力の源です。
   『母』では、小林多喜二の母セキは晩年、讃美歌「山路越えて」を歌いました。「山路越えて、一人行けど、主の手にすがれる、身は安けし」。この歌を繰り返し歌いながら、イエス様に手を引かれて一緒に天国へ行くことをセキは夢見ました。彼女にとって天国とは、イエス様が手を引いて連れて行ってくださる所でした。この単純な天国への希望はこの時期の綾子さん自身の思いでもあったのだろうと思います。そしてセキにとって天国は、あの優しかった、貧しい者に限りなく優しかった多喜二がいるところ、もう一度多喜二に会えるところ、そして生まれ故郷の秋田以上に、一番懐かしい本当の「ふるさと」、人間がもう殺し合うことのない「ふるさと」でもありました。(つづく)
                          ※召天8年 三浦綾子さんをしのぶ会での講演  2007・10・12  旭川六条教会

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。