2021年3月18日(木) / 最終更新日時 : 2021年3月20日(土) 森下 辰衛 おたより おたより⑮ 最近いただきましたおたよりから、いくつかをご紹介いたします。ここ二か月ほどブログ記事は冬眠状態でしたが、そろそろ春。穴から出て来る熊のように眠りから目覚めたいと思います。たわいないと思えることでもうれしく励まされますので、お便りください。
2021年1月30日(土) / 最終更新日時 : 2021年3月20日(土) 森下 辰衛 おたより おたより ⑭ おたよりを紹介させていただきます。心のこもった良いおたよりをたくさんいただき、本当にうれしく励まされています。準備が記念日に整わなかったりして、しばらく記事が出せていませんが、また新しいものをと、企んでいるところです。
2021年1月10日(日) / 最終更新日時 : 2021年3月20日(土) 森下 辰衛 おたより おたより ⑬ 皆さまからのおたよりの一部を紹介しました。 クリスマスの、しみじみとうれしいおたよりも、お励ましもいただきました。
2021年1月1日(金) / 最終更新日時 : 2021年1月12日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「お前の手に負える額ではない」―“馬鹿正直”な人の普通のお正月 昭和三十八年元日の夕べ、棚卸しでくたびれたわたしは、わたしの父母の所に年始に行った。父母は、わたしの住むすぐ近所に越して来ていた。わたしが長年療養したことも、祟ったのだろう。家も土地も売り払い、五軒長屋のような、小さなアパートに移り住んでいたのだ。年も七十を過ぎてから、長年住み馴れた家屋敷を手放すことは、どんなにつらかったことだろう。
2020年12月29日(火) / 最終更新日時 : 2020年12月30日(水) 森下 辰衛 前川正 奇跡がないとしたら ― 前川正とリルケ 12月29日はリルケの命日です。前川正はリルケの代表作である『マルテの手記』と書簡集(こちらはドイツ語で、自分で訳してもいたようです)を愛読していました。前川は、『マルテの手記』の主人公マルテが「淋しくてならぬ、悲しくてならぬ時は」博物館に行ったと書かれているのに倣って、自分も悲しいときには図書館に行くのだと綾子宛の手紙に書いています(『生命に刻まれし愛のかたみ』p.30)。
2020年12月19日(土) / 最終更新日時 : 2020年12月19日(土) 森下 辰衛 文学散歩 初冬の峠 ― 塩狩駅存続を願って和寒町へ 和寒町の子どもたちはひと学年が20人ばかり。過疎の町の厳しさも感じましたが、それだけに郷土愛を持ってほしいという願いもひとしお。それで、「どうでしょう、私たち三浦綾子読書会は若い方々に『道ありき』を贈呈しているのですが、和寒町の中学生のみなさんにプレゼントさせていただけないでしょうか?或いは『塩狩峠』でも大丈夫です」と、勝手に話をすすめるのが、代表の悪い得意技。
2020年11月16日(月) / 最終更新日時 : 2020年11月16日(月) 森下 辰衛 前川正 李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄 2 珍しく雪の遅い年でした。胸を病む人のいる家にはありがたいことでしたが、でも季節はいつまでも猶予してはくれません。その日、昭和二十八年の十一月十六日、お昼から旭川に初雪が降り始めました。気温も下がって初雪がそのまま根雪になりそうな気配でした。雪を見た正は、あなたの家に行くと言いだして、着替えを始めたので、驚きました。
2020年11月10日(火) / 最終更新日時 : 2020年11月10日(火) 森下 辰衛 文学散歩 秋の春光台公園文学散歩 春光台公園は、旭川市中心部から北へ約5 kmに位置し、なだらかな丘陵地に帯状にある面積52.42ヘクタールの公園です。国道12号(旭川新道)が公園南側を通り、北海道道72号旭川幌加内線が縦断して公園を東西に分けています。園内東側の沢筋には約750mに渡ってミズバショウが自生しています。三浦綾子の自伝小説『道ありき』の舞台です。
2020年10月26日(月) / 最終更新日時 : 2020年10月26日(月) 森下 辰衛 前川正 前川正から贈られた『きけわだつみのこえ』 1949(昭和24)年10月26日(水)、堀田綾子は前川正から『きけわだつみのこえ』を贈られました。正は扉裏に以下のように書いていました。 これは全く私達と同じ世代の友達の声 而も彼等は死に 私達は生きた 私達の生は 彼らに負ってゐる さあ、更めて かつての自分たちの声を聴かう― 一九四九・一〇・二六 正 綾子様
2020年9月26日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月26日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 洞爺丸遭難事件と『氷点』 『氷点』の懸賞小説入選が決まって間もなく朝日新聞からの依頼で、新聞小説の一日分三枚半を三枚強に書き直すことになったとき、光世さんが洞爺丸遭難事件のことを入れてはどうかと提案して、二人は函館まで行って調べることにしました。エッセイ集『それでも明日は来る』を見ますと、『氷点』連載半年ほどたった昭和40年5月、三浦夫妻は函館教育大学の美術の教授渕上巍氏を紹介されて、体験談を聴きました。