2020年9月25日(金) / 最終更新日時 : 2020年9月25日(金) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 『塩狩峠』刊行52年 ― 生き続ける馬鹿力 1968年9月25日、新潮社から『塩狩峠』が刊行されました。新潮文庫として刊行されたのは1973年5月29日。※単行本は9・2・5、文庫本は5・2・9と逆並びになっていて、今日はちょうど52年経った9月25日です。3年後の1976年、新潮社は文庫フェア「新潮文庫の100冊」を始めました。
2020年9月18日(金) / 最終更新日時 : 2020年9月19日(土) 森下 辰衛 知里幸恵 銀のしずく降る降るまわりに ― 知里幸恵召天98年 知里幸恵は1903(明治36)年、現在知里幸恵銀のしずく記念館が建っている登別市で生まれました。幸恵は7歳のとき旭川に移り住み、19歳まで伯母金成マツや、祖母モナシノウクと共に暮らし『アイヌ神謡集』を翻訳編集しました。この著作のアイヌ語のローマ字表記の正確さと独創性、日本語対訳の詩的表現力、及び序文の言葉の精神的深さは高い評価を受けています。1922年5月、幸恵は上京しますが、心臓病のため、同年9月18日、19歳という短い生涯を閉じました。
2020年9月17日(木) / 最終更新日時 : 2020年9月22日(火) 森下 辰衛 三浦綾子 「あ、男だった!」ー 初めて綾子さんに会った日 一九九五年九月一七日日曜日。その日は私にとって生涯忘れ得ない日になりました。旭川六条教会で三浦綾子さんと光世さんに初めてお会いした日だからです。この年春から福岡女学院短期大学のゼミの授業で三浦綾子を取り上げて読み始め、前期が終わった夏休みに、ゼミの研修旅行で13人の学生を連れて、初めて飛行機に乗り、初めて北海道に来たのでした。
2020年9月5日(土) / 最終更新日時 : 2020年9月5日(土) 森下 辰衛 マザー・テレサ 貧しさ ー マザー・テレサのこころ 9月5日はマザー・テレサの命日です。1997年でした。マザー・テレサ(本名アグネス=ゴンジャ・ボワジュは1910年8月27日、現マケドニア共和国・スコピエのアルバニア人商家に生まれました。1928年9月に18歳でアイルランドのロレット修道会の修道女となり、教会の派遣事業でインドに渡りました。
2020年9月2日(水) / 最終更新日時 : 2020年9月2日(水) 森下 辰衛 ホロコースト それでも人生にイエスと言う ー フランクルの思想 今日9月2日はV.E.フランクル(Viktor Emil Frankl 1905-1997)の命日です。ウイーンのユダヤ人家庭に生まれたフランクルは、ウイーン大学でフロイトらに精神医学を学びました。1941年、ナチス当局より出頭命令が来ました。一年間ウイーンのユダヤ人病院の精神科に勤務したのち、翌年9月収容されました。その直前にアメリカ亡命のビザを手に入れましたが、両親や結婚9ケ月の妻を置いて行くことはできなかったのです。
2020年8月24日(月) / 最終更新日時 : 2020年8月24日(月) 森下 辰衛 シモーヌ・ヴェイユ シモーヌ・ヴェイユと三浦綾子 今日8月24日はフランスの思想家シモーヌ・ヴェイユが亡くなった日です。1943年、第二次世界大戦中に英国アシュフォードで、彼女は34歳で客死しました。「戦後フランスの精神的再建への青写真」の作成に最期の力を注ぎながらも、彼女にとってナチスドイツに蹂躙され傷つけられた祖国の苦しみを感じつつ離れてあることは、強い痛みでもありました。
2020年8月4日(火) / 最終更新日時 : 2020年8月4日(火) 森下 辰衛 ホロコースト 「見て、ねえ、見て」― アンネ・フランクと三浦綾子 アンネの家族は、父母と、姉のマルゴと、アンネの四人家族でした。有名な『アンネの日記』は、1942年6月12日、13歳の誕生日に父オットーから贈られたサイン帳に書かれました。1942年7月5日、マルゴに対してユダヤ人移民センターに明日出頭するようにとの命令が来たことから、6日朝一家は準備していた隠れ家に移動しました。 『アンネの日記』は、このアムステルダムの隠れ家生活の中で書かれました。1942年7月6日から、1944年8月4日までの隠れ家生活でした。
2020年7月25日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月25日(土) 森下 辰衛 文学散歩 人の悪を思はず善を以って悪を報いよ ―「沼崎重平翁」彰徳碑 JR富良野線の美馬牛駅を出ると、駅右側前方に沼崎農場主であり美馬牛駅の開駅に功労のあった『沼崎重平翁彰徳碑』があります。沼崎重平は『続泥流地帯』に登場する医師です。1878(明治11)年、茨城県稲敷郡に生まれ、1897(明治30)年、東京医学専門学校済生学舎に入学し、医学の道を目指します。この頃安部磯雄に私淑してキリスト教に入信し、片山潜・幸徳秋水・荒畑寒村らとも親交を持つようになってゆきました。
2020年7月21日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月21日(火) 森下 辰衛 文学散歩 7月21日、夏祭りの昼下がり―『氷点』冒頭 『氷点』冒頭はなぜ1946(昭和21)年7月21日と決められたのでしょう。戦後間もなくである必要はあったと思いますが、堀田綾子にとって特別な日ではなかったように思えます。この年3月末に教員を辞職し6月から結核療養のため白雲荘に入所中でした。彼女の心が淋しさで凍えてしまう〈氷点〉の時期であったことは確かですが、物語の冒頭を7月21日に設定したのは上川神社の夏祭りに合わせるためだと考えられます。
2020年7月19日(日) / 最終更新日時 : 2020年7月19日(日) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 「最愛」― 開け放たれた庭にバラが咲いた― 三浦光世の短歌⑤ その日は、彼と初めて会った日のように、美しく晴れ渡っていた。わたしは、開け放たれた庭を、ベッドの上に起き上って眺めた。大輪のバラがほころび、わたしは何かいいことがあるような予感がした。忘れもしない七月十九日だった。三浦光世から部厚い封書が届いた。手紙には、あなたの死んだ夢を見て、涙のうちに一時間あまり神に祈った。役所に出勤しても、しばらく瞼が腫れていたとあり、わたしの名の上に「最愛なる」という字が冠してあった。