『塩狩峠』刊行52年 ― 生き続ける馬鹿力

   1968年9月25日、新潮社から『塩狩峠』が刊行されました。新潮文庫として刊行されたのは1973年5月29日。※単行本は9・2・5、文庫本は5・2・9と逆並びになっていて、今日はちょうど52年経った9月25日です。3年後の1976年、新潮社は文庫フェア「新潮文庫の100冊」を始めました。これは新潮文庫の中から100冊を選び出したもので、特に夏休みの中高大学生を意識して選書し、カタログは日本中の中学・高校の国語の先生に配られたことから、読書感想文の課題図書によく取り上げられることにもなりました。これが2020年時点で45年間続いていることを思うと、このフェアが日本人の読書文化と教育に与えた影響は計り知れないものがあります。
   Wikipediaによれば、1976年から2012年まで、37年間すべての年に選出された作品は、以下の11作品で、2013~19年は点検していませんが、2020年にもこの11作品はすべて入っています。井伏鱒二 『黒い雨』、太宰治 『人間失格』、夏目漱石 『こころ』、三浦綾子 『塩狩峠』、宮沢賢治 『新編銀河鉄道の夜』、カフカ 『変身』、カミュ 『異邦人』、ドストエフスキー 『罪と罰』、ヘッセ 『車輪の下』、ヘミングウェイ 『老人と海』、モンゴメリ 『赤毛のアン』。三浦綾子が最年少、『塩狩峠』が一番新しい作品です。
   2011年時点で、新潮文庫の『塩狩峠』は88刷、累計発行部数320万8千部でした。上記の11作の顔ぶれを見ても分かることですが、部数から見ても完全に名作の領域になっています。新潮社によれば、「100冊」の選考基準の1つは販売部数ですが、もう1つは、中高生に良い影響があるであろう良書という点です。「100冊」の選考に関わっていた新潮社の編集者佐々木勉さんは、こう語っています。

 作品を読むときに私が一番注目するのは、キャラクター(人物)が立っているかどうかです。読む側が主人公に感情移入できるか、反発をふくめて共感をもてるか。つまり、登場人物をとおして人間のすごいところだったり、みにくいところだったり、情けないところだったりが描かれているか、そして読者がそれに感化されたり、巻き込まれたり、自分の存在を投影した読み方ができるかということです。   
   登場人物は自分とまったく違うんだけどなぜか気になる、自分にないものを見て生き方の幅が広がるといった影響力をもっている作品もあります。「塩狩峠」は、こうした要素がすべてそろっています。
 自分のことを描く自伝的作品は、比較的そういうパワーをもちやすいといえます。でも、「塩狩峠」は、三浦さんが取材して描いた話です。それでこういう力をもつのは作家として相当な力量ですね。
 宗教でも、政治でも、党派性が前面にでている作品は、ともすれば布教のための作品じゃないかと思われがちですが、「塩狩峠」はぜんぜんそういうかんじがしません。三浦さんは、純粋な感動から人間の尊厳をお描きになっているのが伝わってきます。
 「塩狩峠」は、できれば中学、高校、大学のころに読んでほしい作品です。素直に感動できるからです。これを50歳で読んだら、“わかるよ、でもムリだって、命を投げ打って他人を救って家族を路頭に迷わすわけにいかないもん”という現実的な読み方になっちゃう(笑い)。そういうことを思わなくていい、10代で読んだ「塩狩峠」は宝物です。(2011・7『女性のひろば』・日本共産党中央委員会)

   三浦綾子は、しばしば、創作ノートの表紙に、その作品の柱、見失ってはならない目標地点を書いています。例えば『続氷点』のノートには「不貞の十字架」「詩篇51篇」と書かれていましたが、この「『塩狩峠』創作ノート」には「一人のキリスト者の真実に生きた一生」と書かれています。すなわち、一人の人間がいかにして真のキリスト者、すなわちキリストに似た者になるか?ということが書かれている作品です。別の言い方をすれば「キリスト教とは何か」を書いたとも言えるような小説で、三浦綾子の作品の中でも最もキリスト教的な作品です。永野信夫の殉職に至る過程が、物語の核心である峠での殉職の場面から逆算されながら構想されて、必要なプロットが見事に置かれていますが、例えば、死について、天国と地獄について、罪ついて、神について、性と制御し難い自分について、愛について・・・・それは自己を見つめ、神に出会い、成長してゆくすべての人が通る個人的かつ普遍的な過程でもあります。ですから、読んでいるうちに、物語形式で書かれた信仰入門書を読んでいるような気がしてくることもあります。
   それは元々この作品がキリスト教月刊誌に連載された三浦綾子唯一の小説であることと大きく関係しています。デビュー作『氷点』連載中盤だった1965年夏、日本キリスト教団出版局の月刊誌「信徒の友」の編集長佐古純一郎氏が三浦家に来訪し、月刊連載小説を依頼しました。綾子さんは、旭川六条教会の先輩である長野政雄のことを書こうと決めました。1965年10月ごろ、旭川市4条8丁目のニュー北海ホテルで編集会議が持たれました。佐古純一郎編集長(文芸評論家)、原田洋一編集主任(牧師)、中西清治(挿絵:旭川六条教会員・中学美術教師)、そして三浦綾子・光世夫妻でした。1966年4月号から連載が始まり、全29回、1968年10月号で完結しましたが、第一回が出た段階で新潮社から電話が掛かって、完結したら単行本を出させてほしいと申し入れられたのでした。日本中が注目する新人作家であったのは確かですが、どんな作品になるかも分からない段階で買い!の手を上げたのが新潮社で、それが見方によってはとんでもなく宗教的な作品なのに、10年後には日本中の書店に平積みで売られ、それが夏ごとに1976~2020年の45回、ほぼ10万部弱ずつ売れて読まれていったのです。

   『塩狩峠』は、生きるとはどういうことか?人はいかに生きるべきか?いかに死ぬべきか?人間にとって愛とは何か?犠牲とは何か?といった根本的な問題を読者に激しく問うてくる力を持っている作品です。例えばこの作品で自殺を思いとどまった人が多くいることも知られていますし、この作品の語る「犠牲」に強い反発を感じる読者もいます。しかし、いずれにしても強い力で読者を捕らえ揺さぶる作品であることには違いありません。
   一円でも損をしたくない。少しでも人の犠牲になりたくない。会社は勿論、学校でも家庭でも、恋人との間でも、隅から隅までエゴイスティックに生きている現代の我々が、それでも時々「何もかも投げ出して、何もかも誰かに与えて、命がけで愛して、一筋に生きられたらどんなにいいだろう」なんて夢想するときに、ああここには本物がある、これだよな、こうだよな、と思わされて、馬鹿になったり損をしたりする元気を与えられる、そんな物語なのだと思います。だから、多くの人が「私の人生の一番の本」に『塩狩峠』を挙げるのでしょう。シンガーソングライター、政治家、ロボット工学の博士、漫才師、俳優、小説家、そして多くのキリスト者。誰もが、時々取り出して読み直しては、熱いものを注がれ、励まされ、背筋を伸ばさせられる、“戻るべき原点”としているのです。
   私が『塩狩峠』を読んだのは23歳の時でした。大学四年も終わる2月、卒論と大学院の受験勉強で体力を使い果たした私は、高熱を出して倒れました。40度の熱が何日も続き、寝がえりも打てなかった時、電話が掛かって「森下君、残念だけど○○大学の大学院、落ちてたよ。」受験した大学院全部落ちていました。その報を朦朧として聴き、病院に行って採尿すると尿が真黒でした。即入院、面会謝絶。A型肝炎で劇症の寸前でした。生死の境を彷徨い、二カ月ほど入院して助かりました。でも、心身共に疲れ果てて、休みたいような、死んでもいいような気持ちでいたその夏、なぜか大学前の本屋に平積みになっていた新潮文庫の100冊の『塩狩峠』を買って読んだのです。私は殴られたような気がしました。「死ぬんならこういう風に死ななくちゃ!」と思いました。それから三浦綾子を少しずつ読むようになり、とうとうそれが仕事になりました。
   綾子さんは書いています。

   この小説が終わった時、読者のひとりびとりの胸の中に、この主人公が、いつまでもいつまでも生きつづけてほしいとねがっている。(「『塩狩峠』連載の前に」)

   きっと綾子さん自身も、こんな馬鹿であり続けたいと思い、この強い命がほしいと願っていたということでしょう。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。