どうしてこの私ではなくてあなたが ― 神谷美恵子

 1月12日は、神谷美恵子(かみやみえこ)さんの誕生日です。1914(大正3)年東京府に生まれました。父の前田多門さんは新渡戸稲造の弟子で文部大臣を務めました。津田英学塾卒、コロンビア大学留学、東京女子医専卒。東大医学部精神科、ハンセン病療養所長島愛生園、津田塾大学等で勤務し、1979(昭和54)年に亡くなりました。自作詩及びジブラーン等の訳詩を収めた『うつわの歌』(みすず書房)のほか、『神谷美恵子著作集』(全13巻・みすず書房)があります。1965年ごろから美智子妃の相談相手を務めたことも知られています。信仰的にはクエーカー教徒でした。
   三浦綾子さんは神谷美恵子さんの詩「癩者に」の一部を何度か引用しています。エッセイ集『泉への招待』、『なくてならぬもの』(講演集)に出てきます。『なくてならぬもの』(青山学院講堂での講演の記録)では、こう語っています。

長島愛生園の精神科医をしていた神谷美恵子さんが、二十一歳のときに療養所に見学に行ったときに創った詩をもう一度申し上げます。二十一歳の若い女性がハンセン病の人を見て、目が潰れたり、指を失っていたり、声も出なくなったりしている人たちを見たらどう思うでしょう。悪いけれど、私だったらとてもとてもそこに行く元気も勇気も愛もないかもしれない。まともに見ることができないかもしれない。神谷美恵子さんはそこに行って、こういう詩を創った。

 どうしてこの私ではなくてあなたが?  
   どうしてこの私ではなくてあなたが?
   あなたは代わってくださったのだ。
   あなたは代わってくださったのだ。

 弱い人、苦しい人、辛い人を見たときに、私たちがこのように、あなたは代わってくださったのだという思いを持つことができますならば、それこそが本当の愛だと思います。私があなたのために何かをしてあげるというのではなくて、私たちのために代わってくださった、その人に対する謙遜な思い。そして、神様がいろいろなものを通して、本当に人々を愛してくださっているということを知るならば幸いです。

   『うつわの歌』にも収録されているこの「癩者に」という詩は、彼女が国立療養所多磨全生園を訪問したときの心に受けた衝撃を書いたものです。国立療養所多磨全生園(ぜんしょうえん)は、東京都東村山市にある、国立ハンセン病療養所の一つで、厚生労働省所管の施設等機関である。『いのちの初夜』などを執筆した北条民雄が1934年から亡くなる1937年まで入所しており、同作は全生園での体験が元になっていると言われています。

   私たちは、やまゆり園事件を起こした植松死刑囚が障害者の存在を否定したようには、病者や障害者の存在を否定しないでしょう。でもそれは表面的で、人権教育の常識以上のものではないかも知れません。人を否定することはしなくても、植松死刑囚と同じように、存在しない方が良いものとして、病や障害というものを、私たちは考えます。だから医療機関もあるし、出生前診断も拡がっていっています。病気も障害も、人に、痛みと苦しみと“健常者”と比較しての不自由を与えるものです。だから個体にとっては存在しない方が良いものなのです。けれどもし、「人間の思い通りにならないところに何か神の深いお考えがある」(『続泥流地帯』)としたら、そして更に一歩進めて、病や障害というものが、何らかの理由で“存在しなければならないもの”であったとしたら、どうでしょう?例えば人類全体にとって必要不可欠なものであるとしたら。誰かが、ある数の個体が担わなければならないものであるとしたら。――そのとき、私たちは“健常者”であり“健康体”である自分と、その方々を見比べて、「どうしてこの私ではなくてあなたが? あなたは代わってくださったのだ」と言われなければならないでしょう。
   この詩の中で、癩の人の眼差しではなく、癩の人の存在そのものが眼差しとして、私を打ってくる、その打たれの下で首を垂れ、“代わってくださったのだ”と確信を持って、疑問形でなく、語りかけるこの心には、天上からの光が一条、射しこんでいるように見えます。そうでなければ、このような真理を悟ることはできないのではないでしょうか?あるいは逆に、人がそのような心の眼差しを持つときにのみ、光が射しこむ天窓が開くとも言えるかも知れません。

   福島智という方がおられます。福島さんは、四歳で右目を摘出、九歳で左目の視力を失い、十四歳では右耳が聞こえなくなり、十八歳で左耳の聴力も失いました。視力と聴力の両方を次々に失うということは何と過酷で残酷なことでしょうか。福島さん自身、「その時、暗い宇宙にひとりで投げ出されたような気がした」と語っています(生井久美子著『ゆびさきの宇宙』講談社・以下同)。しかし、福島さんはこの状況を、「この苦渋の日々が俺の人生の中で何か意義がある時間であり、俺の未来を光らせるための土台として神が与えたものであることを信じよう。それは果たさなければならない。そしてそれをなすことが必要ならば、この苦しみをくぐらねばならないだろう」と考え、受け止めました。そして、お母さんと二人で「指点字」というコミュニケーション方法を生み出し、努力を重ねて勉強し、現在は東大大学院の教授として、優れた研究や発信を行っておられます。
 福島さんは、障害というものが人に発生する意味について、「もし、人間に遺伝子や染色体レベルでの異常と呼べる突然変異がなければ、人類の多様性や環境の変化に対応してきた、かつての進化のプロセスは存在しただろうが。もしかすると、たとえばダウン症などの先天性の障害の存在は、人間の遺伝子レベルの多様性を育んだ進化の象徴ではないか」「そして障害とは、人類の発生と進化にとって最初から必然的にプログラムされていたファクターではないのか」と述べています。
 私たち生物には必ず変異が生じ、その変異が生物の多様性を生み出したのだと、福島さんは考えています。そして、その仕組みゆえに、ヒトにはヒトに課せられた様々な比率というものが存在していて、私たちが「障害」と名付けているものを生み出す比率もそのひとつのようなのです。
 重症児は、人口の0・0368%というのがプレヴァレンス・レート(有病率・発症率)です。盲ろう者は全国に22000人いると推定されています。世界の人口の10%は何らかの障害を持っているとWHOは推測しています。では、どうして私や、多くの人は、重症児でも、盲ろう者でもないのでしょうか。それは、私たちと一緒の時代を生きている重症児や盲ろう者が、このヒトという生物に課せられた「障害発生の比率」を担ってくれたからではないのか。そして、それは、生命の誕生や仕組みから言えば、私であってもかまわなかったし、あなたであっても、植松死刑囚であっても良かった筈なのです。このことを事実として突きつけられるとき、私たちは神谷美恵子さんの横に連れて来られます。
 わたしたちが、そのような関係性の中で存在しているということは、つまり、私たちは互いに遠い存在なのではなく、切っても切れない深いつながりの中で、むしろ互いの関係性や存在を証明し合い、支え合いながら生きているということです。実はどちらの存在が消えても成り立たない、そうした関係性を私たちは生きている。このことに植松死刑囚は気づけなかったのかも知れません。

   どうしてこの私ではなくてあなたが?
   あなたは代わってくださったのだ。

   神谷美恵子さんのこの詩の二行には、人間論的真理、信仰的真理と共に、生物学的、遺伝学的真理もあることを、今日コロナ時代の私たちは、深く思い受け、更に思い巡らすべきかと思います。

参考文献
   宮原安春『神谷美恵子 聖なる声』(文春文庫・2001年7月)
   蒔田明嗣「相模原殺傷事件から4年を迎えて-「生きるに値しないいのち」への問い掛けに思うこと-」(『北の療育』257号・令和2年8月25日・北海道療育園)ほか

※下の写真は今日2021年1月12日正午過ぎの八甲田山上空を飛行中のエアドゥからの眺望。正面左が岩木山と弘前の平野、右下が青森市、右の奥には太宰治『津軽』の舞台小泊の岬が見えています。太宰の『二十世紀旗手』の言葉が今日は心に浮かびます。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。