前川正から贈られた『きけわだつみのこえ』

   1949(昭和24)年10月26日(水)、堀田綾子は前川正から『きけわだつみのこえ』を贈られました。正は扉裏に以下のように書いていました。 

 これは全く私達と同じ世代の友達の声  而も彼等は死に  私達は生きた  私達の生は  彼らに負ってゐる  さあ、更めて かつての自分達の声を聴かう―
                                                                      一九四九・一〇・二六          
  綾子様

   この本は日本戦没学生手記編集委員会編で、1949年9月30日付けで東京大学協同組合出版部から出ています。堀田綾子が読んだ実物は現在、和寒町の塩狩峠記念館に展示されています。
   この本については『道ありき』『生命に刻まれし愛のかたみ』『さまざまな愛のかたち』に読書した綾子さんの当時の感想が書かれ、『わが青春に出会った本』には更に詳しく解説と所感が書かれています。前の三つの本はほぼ同じような内容ですが、今回は『さまざまな愛のかたち』を読んでみたいと思います。
   感想の第一の点は以下のように書かれています。

   この本を読み終えた時、この世には読み終えたと言うことの出来ない本があることを感じた。如何に感動して読んでも、それだけでは読んだことにはならない。読んだ者の責任として、その後の生き方において、この本に応えなければならないという本もあるはずです。

   この読書論は、読むことは参加することであるとするサルトルの文学論にも似て実存主義的で、既に前川正的でもあるようです。読むことは問われることであり、そうでなければ、後でちょっぴり何かに役立つ程度の薄い知識を頭に入れるだけのほぼ無意味な行為に過ぎないでしょう。勿論、同時代の死んだ者たちがいて、生き残った「私達の生は彼らに負っている」のだとすれば、必ず責任は生じるのです。しかし、たとえそうでなくても、世代を違えても、責任があるのだと、聴くべき声があるのだと、前川も言い、綾子さんも同じことを強く感じていると思います。それは、私たちのために私たちの方に投げられているものでもあるのです。
   続いて、綾子さんはこの本の内容について、若い学生たちが戦争を一応は批判し否定していたにもかかわらず、戦争に赴いてしまったことに、淋しさを感じたと言っています。徹底的な体を張った否定を学問は産み得ないという証拠だからです。それは、上記の読書についての考えとも通底しています。
   さらに、綾子さんは進んで平和論とキリスト教を批判しています。米英独仏には多くのキリスト教徒がいたはずなのに、それが戦争を押しとどめる力にはならなかったことが、やはり証明されているからです。日本だけが神のない国ではない、世界が真の神を失っていると綾子さんは考え、それに気づいていない教会に強い不満を感じていました。
   そして、いかに涙して『きけわだつみのこえ』を読んだとしても、戦争は繰り返される。国民の多くが多かれ少なかれ戦争の犠牲者であったとしても、戦争はまた起こされるだろうと思うと、暗澹としてしまうのでした。戦争を起こした者を突き詰めない、心からの激しい憤りを持っていない、鈍感さといい加減さが自分の中にもあると気づいて、恐ろしくなったと書いています。そして本当の戦争否定のためには、どうしても神が必要だと思うに至ったと言い、最後にこう書いています。

   この本を読んだことで、わたしの信仰生活に大きな刺激となったことは確かです。

   こうして『きけわだつみのこえ』は平和への責任へと彼女を押し出し、そのための求道へと彼女を導きました。ここでは、彼女の求めがキリスト教への絶望を引き受けながらの、平和を作る神の求めであることを見逃さないようにしましょう。このとき堀田綾子は未信者です。
   「求道者はまだ神を知らない」と、教会は考えがちです。それはある程度正しいのです。まだ本当には出会っていないという意味ではです。しかし、時に求道者はこのように、キリスト教と対峙しながら、キリスト者以上に神を求めているのです。そしてそれはしばしば、キリスト者やキリスト教会が見失っている或いは未だ見出だせていない神の本質に迫るものでもあります。求道者の問いと批判的疑問はしばしば豊かな蔵の扉です。教会には信徒に自立的に考えなくさせるような力が多分不可避的に存在しています。教典宗教であり、何らかの神学(異端を見分けて排除する術でもある)を基盤としている限り当然です。でも、「求める者には与えられる」という真理はいつも有効です。求道中であっても、その後であっても、激しく求めた者には、必ずその答えが、時には教会からの〈教え〉を超えて与えられるのです。
   三浦綾子は洗礼を受けてキリスト者となり、言わばキリスト教会の内側の人となりました。伝道のために小説を書きました。キリスト教の良いところをたくさん紹介しました。でも例えば『海嶺』では、やはり、キリスト教の国であった欧米諸国が奴隷を売買し所有する国でもあったことをはっきり書き、史上初の聖書和訳を成したギュツラフが阿片戦争に加担することも書いています。『きけわだつみのこえ』を読んだときの絶望的な問いを三浦綾子は忘れていないのです。昔のよその国のことだとも考えていません。それが彼女に、奴隷から助け出されたところから本格的に始まる岩吉の秘められたひとすじの求めと、遂に与えられる答え、「決して捨てぬ者がいるのや」という出会いを書かせてもいるのです。キングもギュツラフも、岩吉にそれを〈教え〉はしなかったし、そのとき岩吉が出会ったものを知りはしなかったし、その真理がまさにヨハネ伝一章一節「ハジマリニカシコイモノゴザル」の最も深い意味であることにも気づいてはいないのです。
   モリソン号に向かって火を吐く砲口、それは日本の江戸時代の薩摩藩の大砲である以上に、キリスト者を含めたすべての人間の心の砲口です。『きけわだつみのこえ』の声など聴きたくない!聖書の声など聴きたくない!聖書やキリスト教についての妙な疑問や批判や問いをしてくる「この世的な」求道者の声など聴きたくない!来るな!と言うのです。鎖国する心、つまり都合の悪い声など聴きたくない、問われたくない、責任を負わされたくない心は誰にでもあるのです。そして愛というものが本当は、聴いて、問われて、背負うことになるような厳しいものなら、愛したくもない、のかも知れません。
   『きけわだつみのこえ』の扉裏に、前川正は書いていました。

   かつての自分達の声を聴かう

   彼らの声を自分のものでもあるものとして聴こう。その声が、かつての(或いは今の)自分の胸の奥深くの激しい渇きを掘り当てて、そこから噴き出す声を呼び出すように、そんなふうに聴こう。そしてそれらの心の深みで共鳴する「自分達の声」に責任を負わずにはいられないように聴こう。そして、多分更には自分達の世代や自分達の民族や自分達の何らかのグループではない声も、自分達の声として聴こう。そう、前川正は招いているのです。それは、そこに豊かな海があると、彼が考えて(意識していなくても)いるからです。
   この『きけわだつみのこえ』の扉裏には、最初に紹介した前川正の文字のほかに、綾子さんが書いた文字も入っています。

   錦ヱイ子さま                綾子

   綾子さんが妹のように愛して痛みつつ世話をした、『道ありき』の少女「理恵」さんです。この前川正から贈られた大事な本を綾子さんは妹のような存在だった彼女に贈り、託し、期待し、信じたのでしょう。本は塩狩峠記念館が出来たときに、錦ヱイ子さんから、館に捧げられました。ガラスケースに入っているので、直接触れることは出来ませんが、それは、訪れる人に、語りかけているのです。
   「さあ、すべての自分達の声を聴こう。愛して責任を取らねばならないように聴こう」

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。