「ありがとう」の奇蹟 ーソウル・レポート⑤

「ごめんなさい」と「ありがとう」は最強の平和ツール5

その日、午前は権先生による映像を用いての三浦綾子と読書会の紹介、長谷川先生による『氷点』の講演があり、午後私が『道ありき』を中心に三浦綾子の人生と文学と信仰について語りました。語りながら、三浦綾子さんが今日一緒に来ていたらどんな思いで何を語るかな?と思い巡らしました。

「私は戦時中軍国教師でありました。にもかかわらず、そんな私が書いた物を受け入れてくださり、世界のどの国よりも多く翻訳し(『氷点』だけで五十種類もの翻訳が出ているのです!著作権的には問題ありですが)、世界のどの国よりも多くの方が喜んで読んでくださった国(『氷点』は何回もテレビドラマになり、大きなブームになって、後の韓流ドラマに大きな影響を与えています)、その国で今日は三浦綾子読書会による記念集会が開かれて、沢山の方が聴きに来てくださっている。信じられないことです。何と言って感謝したら良いか分からないほどです。」

綾子さんなら、きっとそう思うはずだと思い、それを語りだすと、私の中に来ていた綾子さんが(としか言いようがありません)もう、昨日までの謝罪の土下座ではなく、感謝の土下座をしていました。「ありがとうございます」と頭を下げると涙が溢れてきました。気づくと韓国の方々も泣いてくださっていました。講演が終わったとき、何人もの方が私に駆け寄るように来てくださいました。北海道大学大学院で学んで韓国で万葉集を教えているという大学教授の夫妻、筑波大学で上田秋成を研究したというやはり大学教授の女性といった方々が「三浦綾子読書会をします」と言ってくださいました。抱きしめんばかりに喜んでくださった映画監督の方はおっしゃいました。「今撮ってる映画が終わったら次は三浦綾子さんの『道ありき』を撮ります!」

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。