李(すもも)― 前川秀子から綾子への手紙 抄 2
珍しく雪の遅い年でした。胸を病む患者のいる家にはありがたいことでしたが、でも季節はいつまでも猶予してはくれません。その日、昭和二十八年の十一月十六日、お昼から旭川に初雪が降り始めました。気温も下がって初雪がそのまま根雪になりそうな気配でした。
雪を見た正は、あなたの家に行くと言いだして、着替えを始めたので、驚きました。
「正、冷えてきてますよ。雪もやみそうにないし、今日はやめたらどうですか」
「年賀はがきが、今日売り出しなんです。綾ちゃんに買っていってあげたいんです」
「今日でなくてもいいでしょう」
「いいえ、今日がいいんです。ぼくは行きます」
いつものグレーのコートを着て、出て行こうとするので、急いでマフラーを巻いてやりました。右手には風呂敷を下げていました。あなたに上げる本でも入っているのだろうと思いました。
「保健所にも行くかと思いますから、夕方かも知れません」
「正、こんな日に、なんだって、わざわざ……」
ちょっと笑って、正は言いました。
「雪が、ぼくの足跡を消してくれるからですよ。ちょうどいいんです。雪が降るのを待ってたんです」
玄関の前で、主人が雪かきをしていました。その年ちょうど還暦を迎えたばかりでした。そのきれいになった雪の上を、歩いてあの子は出てゆきました。主人は、雪の上の正の足跡を見ながら、言いました。
「行っておいで。気をつけてな」
それから、どうしてでしょう。主人は正の後ろ姿に深々と頭を下げていました。いいえ、そう見えたのは間違いで、雪かきをまた始めただけだったのかも知れません。
正の姿が角を曲がって見えなくなるまで見送りながら、わたしは思っていました。結核療養者がまた一人、病苦に耐えられずに死を選んだと、今朝来た会報にあった死亡報告欄。病苦というのは、咳き込む苦しみばかりではありません。絶望との闘い、希望との闘いの苦しさだってあるでしょう。家族への申し訳なさ、家族の言葉のニュアンスに何かを読み取ってしまう、面倒な存在である自分との闘いだってあるのですね。ああ、正はあれを読んだのだろうか。読んで、何を思っただろうか。だから、同じ記事を読んだはずの人のところに急ぐのだろうか?
そんなとき、悪い嘲る者が、わたしの側に来て、言うのです。
もう、やせがまんはいい。神を恨みなさい。神には祈りよりも恨みがふさわしい。神は神自身の思い通りに事を行うだけの方なのだ。人間の幸せなど考えてはくださらないのだ。教会は神学とやら言う屁理屈で、神を弁護するけれど、そんなのは嘘だ。「神は愛なり」といううるわしい幻想にしがみつきたいだけなのだ。それが崩れれば教会が成り立たなくなるから。人間の命が尊いなどという、人間が人間のためにこしらえた大嘘と同じだ。それは神の真理ではない。それが人間の真理に過ぎない証拠に、戦争の時代には命なんて大事なものじゃなくなっただろう?時が経てば変わるのは、本物の真理じゃない証拠だ。人の命の尊さなんて、今じゃ嘘の大黒柱だから、どこの学校でも教え込む必要があるのさ。あんたの息子の命だって、少しも尊くなんかないし、だからほら、神は少しも助けの手を出したりしない。神は人間の嘘も苦しみも、何もかも、いつも放置している。神は自分のしたいことをするだけだから、関係ないのさ、ははは。ははは。
夕方雪まみれで帰ってきた正に、今日のことを聞きました。何かをやり遂げてすっきりしたような爽やかな目をして、正は言いました。
「綾ちゃんに、肋骨を一本、あげたんです。今日、手渡せて良かった」
風呂敷に入っていたのは肋骨の入った箱だったのです。
「どうして、そんなものを?」
「創世記ですよ、母さん。アダムを眠らせてその肋骨を一本取った神さまは、それで女エバをお造りになった」
透き通るような、桜色がかった正の肋骨を、わたしは思い出しました。血がすこし黒くこびりついて、ガーゼに包まれていました。
切除せし己が肋骨を貰ひ来つ透きとほるやうに見ゆるもあはれ
あの歌は私も憶えております。
「綾ちゃんは、ぼくの骨からの骨。綾ちゃんは、きっと、……綾ちゃんは、いのちの母になるのです。きっとなるんです。たくさんのいのちを生み出す母になるんです」
あの子は頭のいい子でしたが、その分恥ずかしがりやで、自分の気持ちを素直に出すのがあまり上手ではありませんでしたね。でも、あの日は何度も妙なお辞儀をしてから、とうとうお願いして、一度だけあなたと握手したのですね。あなたからお聞きしたとき、おかしくて、かわいらしくて。でも、ほんとうに、勇気を出せてよかった。
あなたの病室の障子窓を開けて、初雪を見たあなたがた。寄り添って、ふたりで。そうそう、狭い裏庭に雪だるまが一つあったと正が言っていました。あなたの甥っ子さんが作った雪だるまだとか。ところが、その顔がちょっと正に似ていて、木の枝でできた眉が、ちょっぴり困っていたとか。
初雪を見ながら、あの子は言ったそうですね。
「クリスマスにはまた来ます。お互いに療養に努めましょう。もし無理でも、この雪が溶ける頃には、また来ます。それまで、ご無沙汰します」
何であれ約束するということを避けていたあの子が、その日は約束したのですね。間違いなく守れそうな約束もしないようにしてた子だったのに。もしかしたら果たせないかも知れないと、たぶん知っていたはずなのに。
あなたは雪だるまを正だと思って、手鏡で見ておられたでしょうか。あるいはご家族の誰かに教えてもらっていたでしょうか。狭いお庭だから、屋根から落ちた雪で、埋もれて見えなくなってしまったでしょうね。春には雪が溶けて、見えて来たでしょうか。それとも、他の雪と一緒に溶けてなくなったでしょうか?
クリスマスが来ても、雪だるまが崩れて溶けて、跡形もなくなっても、正はあなたの家に行けませんでした。
* * *
結婚式の披露宴では本当に失礼しました。そのお詫びを一番に書くつもりの手紙でしたのに、こんなに後になってしまいました。あのときは、胸がつまってしまって、準備していたこと、何にも言えずに終わったような気がします。
「綾子さん、こんなにお元気になられて」
あれで詰まるとは思いませんでした。そのあとは、理恵さんが代わりに、
「一番喜んでるのは、正さんかも知れないわね」
と言ってくださいましたね。本当にそれだけでした。
「病めるときも健やかなるときも、汝、愛するか?」
中島先生の問いかけに力強く頷いた、あなたがたお二人。もう、答えるまでもなく、証明してこの日を迎えたお二人でしたね。六条教会の二階から外階段を三浦さんと一緒に、一歩一歩降りて来られるあなたを見て、ああ、正の祈りをこんなにも、聞いて応えてくださる神さまがおられると思って、私は胸がいっぱいでした。十三年闘病して、正は死にました。でもあなたは十三年、正を殺した同じ病気と闘って、勝って、生きてくださった。
正直に申しましょう。あなたと正が深いお付き合いを始めてから、嘲る者は私の耳に何度も囁いたのです。
このままだったら、あの女のために、あの子は死ぬよ。すぐにでも止めないと。こんなに優秀な、優しい子が。娘に続いて、この息子も死ぬよ。神は、淋しいのか、出来の良い子から順に取り上げて連れていってしまうよね。美喜子、そして正。あとは一人しか残らなくなるよ。進くんにも神は手を伸ばすかも知れないよ。神は貪欲で、満ち足りることを知らないからね。そしたら、前川家なんて、なくなるんだよ。ははは、なにも残らず、なくなっちゃうんだよ。
私は、夜遅く手紙を書いている正に一度だけ言ったのです。
「それどころじゃないでしょう、正。お願いだから、自分のからだの心配もしてください」
あの子は言いました。
「それどころじゃない、ってことはわかっています。それどころじゃないのです。でも、だからこそ、それどころじゃない私たちだからこそ、美しくありたいのです。それどころじゃないからこそ、自分しか見ない生き方に陥りたくないのです。自分の病気だけを人生のパートナーにするのですか?自分しか見なければ、希望も絶望も、自分のからだにのみ条件づけられることになるでしょう。でも、結核で死ななくても、必ず死ぬんです。だとしたら希望なんかないんです。希望って、そんなものじゃないと思います。希望は、決してなくならないもののはずです。病気が不治のものだと宣告されて、それで完全になくなってしまうような希望なんか希望じゃなかったのです。きっと、欲望に過ぎないものが希望に見える上辺を被っていたのです。そう思いませんか」
わたしは、もう二度と正とは争いませんでした。あなたは、正の言うとおりに、正の闘いを引き継いでくださった。たぶん病との闘いだけでなく、ほかの様々なものとも闘うという仕事を、途方もなく続く仕事を、運命や神さまをののしる言葉を叫ばずに闘うという仕事を、引き受けて下さったのですね。あなたがたは、恋人でもあり、いくらか師弟のようでもありましたから。一人が斃れても、別の一人がその人を背負う。背負いきれなくなっても、その友の背にあったものを、また背負って歩きだす。あなたたちは、そんな戦友のようでもありましたね。
正が死んで一か月の後、あなたを訪ねた日のことを憶えておられるでしょうか?忘れるはずはありませんね。六月一日、わたしは正の遺品を渡すために、あなたをお見舞いしました。それは、何もかも終わったことを、わたしとあなた、二人で確かめる日でした。
あなたのお家にゆくまでの道、わたしは胸に正の丹前と遺書と、何枚かの写真とを風呂敷に包んで、抱えていました。正が全部返すように言っていたあなたからのお手紙六百通。正はそれを、きれいに順番に並べて番号まで付けて、箱に納めていました。別便で進に運ばせようかと思ってましたが、意外と小さくて軽い形にまとまったので、その箱を右手に提げていました。
二人で抱き合って泣きましたね。思う存分泣きながら、わたしはあなたと一緒に正の物語に本当のピリオドを打とうとしていました。でも、あなたはそうは思っておられなかった。あなたは正の手紙を出して、見せて下さいました。
「〈十二年ノ手紙〉式ニ、本ニシテ金モウケ策ナキカ。オ互、親ニ金ヲツカワセタノデ、妄想ヲタクマシクスル次第」
死が近くなって、もう手紙を書くことも難しくなっていた頃にも、あの子はそんなことを思っていたのですね。わたしはあなたに、
「夢でしょう」
と申し上げました。
「そうです、夢かも知れません。でも、それが正さんの最後の親孝行の夢だったのなら、いつか必ず実現させてあげたいんです。わたしのいのちに刻まれた、正さんのかたみですから」
そう、あなたは言ってくださった。あれから五年経って、結婚式の日にわかったことの一つは、正の物語はあれで終わりにはならなかった、ということでした。
六月一日、あなたのお家からの帰り道、歩きながら、わたしは、改めてあなたたちの離れ病んでいた距離を知りました。勿論初めてではありません。何度もあの子のお使いで伺ったのですから。でも、その日はほんとうに思いました。こんなに近かった。こんなに近かったのに……。何度も呟きました。呟いているうちに、涙が出そうでした。あの子はいつも何を考えながらこの道を歩いたのでしょう。歩き出す前に十分考えて、歩きだしたらもう何も考えなかったのでしょうか。いいえ、あの子は何度でも考えつづける子でした。
そしてわたしは、あの子がこの道を歩いた最後の日になった、半年前の十一月十六日のことを思っていました。あの日は、乾いた雪がたくさん降っていましたから、あの子のグレーの外套の肩や帽子に積もったことでしょう。少し前かがみに歩くあの子の姿勢。真っ白に、そう雪だるまのように真っ白になりながら歩くあの子。その姿を思いながら、九条通りの、たぶん十四丁目あたりまで来たときだったかしら。気づくと、雪が降り始めていたのです。
不思議に思って見上げると、その雪だと思ったのは、花びらでした。あるお宅の納屋の横に李の木がありました。少し通りから奥まった納屋の左側に、満開を少し過ごして、さみどりの葉が出始めている李の木が、白い花びらをしきりに散らしているのでした。
一瞬立ちどまったわたしが、もう一度歩きだして、その横を通り過ぎようとすると、今度は笑い声が聞こえてきたの。聞こえた気がしたのです。声の方を振り向くと、急に強い風が吹いて来て、李の花びらがもっと激しく舞い散って、それはもう吹雪のようでした。無数の花びらがそれぞれの曲がった線を描いて、一瞬、何も見えなくなったのです。真っ白な花びらがすべてを満たしつくしたように。そのとき、はっきり聞こえたのです。あの子の笑い声が。確かにあの子の声だった。今度は間違いない、ほんとうに嬉しそうな、あの子の笑い声が。ほんとうに聞こえたのです。あの子が笑っている。こんなに嬉しそうに、あの子が笑っている……。
あの李の咲いた家が、あなたと三浦さんの新しい家になったことを、先日、知りました。
お手紙に、結婚式の翌朝、台所の窓を開けると、李の花が満開に咲いていて、それを見たあなたは、この清純な花のように、素朴で清純な夫婦でありたい、この花を一生忘れまいと思ったと、書いてくださっていましたね。
わたしは、李の花吹雪のなかであの子が笑っていたわけが、分かりました。
※これは短篇小説「李」の一部分で、全編は未発表です。写真は旭川市神居に咲いた花。バラ科の近い種類ですが、李かどうかは不明。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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