香也子の住む丘 ー 高砂台の晩秋

   三浦綾子さんは旭川を舞台にした多くの小説を書きましたが、『果て遠き丘』は『氷点』と並んで、最も多くの旭川の場所を描いた作品です。その中でも最も主要な舞台となる、ヒロイン香也子が住む高砂台を訪ねました。

   神楽見本林近くの美瑛川堤防の桜並木の紅葉。この堤防付近も『果て遠き丘』の舞台として出てきます。

車は、長い両神橋を渡ってから、右に折れた。やや走ってさらに右にはいると、美瑛川の堤防を背に建つ新しい二階建てが見えた。

   上は両神橋の上から神居、高砂台側を見たところ。下は両神橋から見た美瑛川の神楽の側の堤防。この堤防のすぐ向こうに橋宮容一が元妻保子との逢引きのために使った家が設定されています。物語終盤、容一がこの家をくれると言ったとき、真相を知った娘章子は「いらないわ、あんな家」と拒否します。遠景の右側に見える丘が神楽岡公園の森。見本林はこの写真の右端から始まります。真ん中の大きな屋根は大雪アリーナ。夏は体育館ですが、もうすぐアイススケート屋内リンクになります。

   神楽の美瑛川堤防から見た高砂台。左の大きな建物がパークホテル、右の教会風の建物がブル―ミントンヒル(『氷点』などの登場するレストハウス跡に建てられた結婚式場)。

   両神橋を渡ってまっすぐ丘に向かう道、富沢街道から振り返った眺望。市内中心部や神楽から高砂台へはこの道からが近くなります。峠を越えると富沢になります。峠から右に折れると高砂台です。左側は三浦夫妻のお墓がある観音台地区ですが、この道からは行きにくくなっています。

車はいつのまにか、高砂台から観音台につづく、馬の背に似た丘の尾根を走っていた。右手に深い落葉松林がつづき、左手の疎林を透して、旭川の屋並みが、雨雲の下に大きく広がっていた。

ここ高砂台の丘の上は、しゃれたたたずまいの家が散在し、ところどころに落葉松や柏林が残っていて、別荘地のような趣がある。その中で、橋宮容一の家だけは、五百坪近い敷地を高いブロック塀でぐるりと囲い、近代的な豪奢な邸宅の構えを見せている。
   橋宮家は旭川の中でも洒落た高級住宅街にありましたが、この邸宅の設定と描写に、当主の容一の価値観や人となりが良く表されています。香也子は容一と別れた妻保子との間に生まれた次女で、人の幸せを壊すのが何よりの愉しみという小悪魔でした。豊かな樹林に囲まれた住宅街は少し軽井沢みたいです。 

扶代はサンバレーのスキー場が見える窓に目をやった。急勾配を滑降するスキーヤーたちの姿が、ここからは黒い豆粒のように見える。
   サンバレースキー場は、現在はサンタプレゼントパークスキー場と名前が変っています。直線距離では近いですが、道は迂回路になっています。頂上付近にある展望台は函館本線で神居古潭の方からトンネルを抜けると最初に目に入る旭川の建造物です。

   神楽美瑛川堤防(美瑛川と忠別川合流地点に近い付近)から見た、冬のサンタプレゼントパークスキー場と高砂台。夜も滑ることができます。

高砂台は辻口家の川向うの山つづきの台地である。高砂台にはレストハウスや、タワーがあった。(略)旭川の町が一望の下に見える。遠くに夕日を受けた大雪山の連峰が紫がかった美しい色をしていた。その右手に十勝連峰がびょうぶを立てたようにつらなっている。(『氷点』「千島から松」の章)
   高砂台レストハウス跡地は、現在はブルーミントンヒルと名づけられた結婚式場兼レストランになっています。イタリアンレストラン“リストランテ・フォレスタ・ヴェルデ”は昼食などに利用可能で、市内を眺望しながら食事できるのは、レストハウスと同じです。数年前、福岡時代の教え子がここまで来て結婚式をしました。結婚した二人と双方のご両親と私だけの、印象的な式でした。
   『氷点』では、夏枝が徹、陽子と共に、ここで北原邦雄の送別会をしてジンギスカンを食べる場面なが出てきます。「丘の上の邂逅(『丘の上の邂逅』所収)でも、三十年前炭鉱町の小学校で教えた教え子船井康夫と会う場所として出ていますので、三浦夫妻は来客時に時々使ったものと思われます。教え子「康夫ちゃん」は堀田綾子先生からもらったお手紙「おへんじ」を大事に持っていました。「毒麦の季」にもちらっと出てきます。

「絹ちゃん。昼はソバを食べたいなあ」
容一が明るい声でいう。
「あら、そうですか。じゃあ、扇松園さんにお電話しておきましょうか」

   扇松園は、1938(昭和13)年開業の旅館(+蕎麦レストラン)。2018年の全国大会のとき文学散歩の昼食でおそばをいただきました。代表取締役で3代目女将の高橋仁美さんは、三浦綾子記念文学館もお世話になってきました。「旭川にお世話になり育ててもらってここまで来られたのだから、なんとか地域のお役に立てる企業でありたい」という思いで、扇松園という旅館の仕事を通して、お米やそば粉などの食材、織り物、家具、お酒等々地元のものを使いながら、旭川にたくさんある優れた食や文化をお客様に紹介したいと、語っておられます。玄関入ってすぐ左に『果て遠き丘』の原稿が掛かっています。ちょうど新蕎麦の季節の今はお昼時はたくさんのお客さんがあります。写真の旗にある「江丹別」は旭川市の西の端に位置する地区で、北海道内では幌加内、新得と並ぶ蕎麦の有名産地。そして陸別、占冠、朱鞠内、歌登などと並んで道内で最も気温が低くなる土地で、旭川市内が-20℃の時、江丹別は-30℃になります。

   扇松園の上にあるパークホテル。上階の窓からの市内の眺望は昼夜共に素晴らしいです。下の写真は冬のブル―ミントンヒル側の眺望。2011年2月末、榎本恵先生にも来ていただいて開催した塩狩峠アシュラムの会場として使いました。東日本大震災の直前でした。

   ブル―ミントンヒルの前の坂を降りると洋菓子の老舗「梅屋」の本店があります。なんといっても梅屋はシュークリーム。香也子さんも食べたでしょうか。

   この高砂台の尾根の道沿いに旭川六条教会納骨堂があります。1966(昭和41)年に建てられました。当時の牧師は川谷先生で、六条教会はこの年創立65周年でした。現在は周辺にラブホテルが沢山建っていて、その対照が印象的です。

道は次第に丘を登って、くもり空の中に果てる。落葉松林が行く手右側に清々しい緑を見せている。この道が、丘の中でも香也子のいちばん好きな道だ。尖った赤い屋根の家、白樺に囲まれた低い家、真っ白な北欧風の家、それらの家々が、ゆるやかな丘の斜面に、箱庭に置かれたように建っている。

   この道の突き当たりの近くに三浦綾子の隠れ家(知人の音楽家所有)がありました。来客を避けて原稿を書かねばならないときに使いました。八柳洋子秘書の家もすぐ近くでした。

 

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。