「マッテイルコトハ、ジンセイノタノシミ」― 文学館読書会再開
昨日2020年8月18日、午後1時半から約2時間、三浦綾子記念文学館での読書会を再開しました。2月以来半年ぶりの、文学館での読書会にしか来られない方々にとっては、まさに“待ちに待った”例会になりました。課題は『天北原野』上巻「藤八拳」の章の前半25ページほど。いつもの半分ほどの7人の参加者でしたが、全員マスクをして1ページずつ輪読し、10分ほど置いて、のち語り合いました。
以前は正方形の机を三つか四つひっつけて並べてその周りに参加者が座る形態で配置していましたが、昨日は早めに来てくださった皆さんと相談しながら、机をバラバラに離して配置して、それぞれにほぼ2人ずつ、向かい合わない二辺に座っていただきました。司会進行役の私が前の方に座りましたので、実際には講義(スクール)形式に近い配置になりました。
マスクをしての輪読や語り合いでしたので音声が少し不明瞭になり、そのために少し大きめの声になったという点、机をばらけた配置にするので、使う面積が比較的広くなったこと、そして司会者の私がいる方を全員が向く形でしたので私の後ろを通常の入館者の方々が通りにくい様子だった、といった問題がありました(最後の問題は司会役の位置を変えれば解消すると思います)。
でも、参加者の方々の感じは基本的には以前と変わらず、楽しくなごやかに充実して出来たと思います。
猛吹雪で九死に一生を得た完治が、母親の葬儀で武勇伝を語り、だから俺はこれから太く短く好き勝手して生きるぞ!と宣言したのに対して、貴乃が危うさを感じながらも黙っているなか、貴乃の父兼作だけが「そりゃ、あまりいい料簡じゃあんめえ。人間いつ死ぬか分かんねえからこそ、大事に生きねばなんねえと、わしは思うどもな」と言う部分(“良く言ってくれた!”)、あき子が自分を処女妻として五か月も放っておいた孝介に復讐するためにイワンとの関係に踏み込んでゆくとき、身の内から怒りのようでありそれだけではない炎のようなものが噴き出してくるのを感じる部分(“おお、こわっ!”)、などを中心に語り合いがなされました。
洞爺丸遭難事件の時に九死に一生を得て聖書を読み始める『氷点』の啓造と完治を比べて、この大きな違いがなぜ起きるのか?という優れた観点の意見もありました。あき子は孝介を不能者だと思い実家は金のために自分をそんな男に売ったのだと恨むのですが、そんな風に本当には相手を理解しないために相手からされたことを被害者としてしか受け取れず、何も信じられなくなる人間たち(今回はとくにあき子)の不幸を読む読みも良いものでした。
イワン・シーモノフの一家はロシア革命で南樺太に亡命して来た元ロシア人貴族の服地商でした。イワンはあき子に、革命で殺されたお祖父さんの言葉「マッテイルコトハ、ジンセイノナカデ、タノシミノヒトツデス」を教えました。お祖父さんは死の向こうのもの、たぶん「テンゴク」を待っていたのだとイワンは言いました。それを聞いて心惹かれながらも、待つことができず信じることができなかったあき子の悲劇が始まってゆく心痛む個所でもありましたが、待つことが人生の楽しみだと、本当に思えたら、いつでも思えたら、いいなあ、と思えた半年ぶりの読書会でした。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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