野の花を見よ - 受洗記念日に

    野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。(マタイ6章28節)

   私を生かす糧を作り出すのは誰でしょうか?私の労働でしょうか?思い煩いでしょうか?それとも父なる神でしょうか?鳥やゆりは蒔きもせず紡ぎもしないのに、彼らは十分に養われ、美しく着飾っています。労働も思い煩いもなしに彼らは生かされているのです。
   自分の力と労働がパンを産み出すと考え、それに依り頼む者が陥るのが、思い煩いです。我々が必要としているすべてのものを、我々以上に天の父はご存知であると気づかず、あるいは忘れて、神に期待せず、自分で算段し獲得しようとするからです。
   私は1990年8月19日に山口市のインマヌエル山口教会という所で洗礼を受けてキリスト者になりました。今日は30年の記念の日です。30年前のその日、「私はあなたを信頼します」と告白したのです。でも、今年は読書会や講演会、様々なセミナーや教会が主催する特別集会などが次々キャンセルになり、自分の労働で得る収入が激減。全くない月もありました。これからも改善の見通しはありません。時々、ちらっと不安になります。
   そんな今朝、聞えたのです。
   「今まで、何か足りなくて困ったことがあったか?」
   「いいえ、主よ、何もありませんでした。ちょっと足りなかったのは私の注意力と上品さ、それから歯磨きとヘアケアだけでした」
   「では、なぜ、思い煩うのか?……野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」
   注意して見るということは、眼差しが純粋であれば、そのままで祈りです。それは見ることですが、聴くことです。私たちよりももっと十全に神を信頼し、神の手の中に生かされている、兄弟姉妹である鳥や花のいのちの営みの豊かさと不思議さとに耳を傾けて、静かに聴くことでもあります。

         草にすわる      八木重吉

      わたしの まちがひだった
      わたしのまちがひだった
      こうして 草にすわれば それがわかる

   イエス・キリストは宣教を開始して、始めに言われました。
   「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」
   天の国がすぐそこまで来ているから、悔い改めなさいと言われたのです。天の国というのは怖い裁判官みたいな人だから、今のうちに謝らないと恐いぞというのではありません。悔い改めだけが天の国の入口だからです。
   草という方々と一緒に大地の上にすわって、いえ、大地から生え出た草という方々の上に座って、ふと、大地から生え出てまたやがてそこに戻る者としての我に帰り「わたしの まちがひだった」と気づき、さらに深く「わたしのまちがひだった」と認めることが悔い改めの第一歩です。そんな心になった私の中には、そのとき座らせていただいている草の葉のやさしさ、緑のうるわしさ、そのにおいの何とも言えないなつかしさが入ってきてくださいます。そしてそれらと共に、それらすべての中にも、世界にも満ちている神様のいのちが、砕かれて素直になった私の中に入ってきます。そうして、草という方々と同じように、私は小さくて貧しくて清い魂として生き返らせていただくことができる。それが悔い改めです。そこが天国の入口だからとイエスさまは勧めておられるのです。「水や草は」「みいんな いいかたがたばかりだ/わたしみたいなものは/顔がなくなるようなきがした」とも歌った八木重吉は、このことをよく知っていた人のようです。
   人は「主のいのり」をして「我らの日用の糧を今日もお与えください」と祈ります。私たちがお願いしているのは「我らの」です。「私の」ではありません。「我ら」には、誰が入っているでしょう?家族しか入れないのではありません。教会の人しか入れないのではありません。祈る者が「我らの」と思う者みなが入るのです。日本人だけではなく、人間だけではない。世界中の動物も、世界中のすべての生き物も(ゴキブリもミミズもばい菌も入っているでしょうか?)入れるのです。私たちが「彼ら」を「我ら」に入れてあげさえすれば。それを全部養うことのできる方、それを全部養う愛の方がおられることを信じようとしさえすれば。
 今日、朝食のあと、こんなことを言われました。
   「あなたは、わたしたちのために、お金のことを心配してくれているのでしょうけれど、あなたを不自由にしているものを脱ぎ捨てて、貧しいあなた自身になることが一番大事。そうしたら、本当にあなたらしいものが書ける。修行がまだ足りないね」
 これが「かみさま」より偉い「おかみさま」。ありがたや、ありがたや。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。