新緑の常磐公園を歩く
常磐公園は旭川市常盤町の石狩川の川中島を利用して造成され、1916(大正5)年開園した広さ15・85ヘクタールの公園で、ハルニレやドロノキを中心に在来の巨樹の美しい林や千鳥ヶ池、白鳥の池などがあり、1989年には日本の都市公園百選にも選ばれています。
大正7年には茶店やボートが出来、営業を始めるも、牛朱別川の氾濫で一時荒廃します。牛朱別川の大工事がなされたのもこの少し後の昭和6年ごろで、三浦綾子さんの『草のうた』では幼い綾子さんが弟の鉄夫さんと遊びに行き、工事現場で赤ふんどしで働かされるタコを見て恐ろしくなって逃げ帰ったという記述があります。1922(大正11)年には電灯が設置され、1924年には千鳥が島に上川神社頓宮が設営されました。1928(昭和3)年には「常磐公園」の碑が建立されますが、揮毫した当時の第七師団長渡辺錠太郎(渡辺和子さんの父で後に二・二六事件で殺される)が町の名前「常盤」の「盤」の字を「磐」としたことで、今日まで公園の名のみ「常磐」と記すことになっています。昭和10年に師団通り側から現在地へ碑は移動されました。
1938(昭和13)年には、岩村通俊之像が出来ました。岩村は時の政府に北海道庁設置を働きかけて1886(明治19)年北海道庁設置と共に初代長官となり、旭川市に東京、京都に次ぐ「北京」の設置を構想しましたが、1888(明治21)年、長官を永山武四郎に交代し、元老院議官に就任しています。
1944(昭和19)年、ボート営業権を市が買収、昭和25年に天文台開設、昭和28年噴水が設置されるなど公園として整い、1958(昭和33)年に公会堂開館、1982年に道立美術館開館、1994年中央図書館開館、そして2009年には旭川文学資料館が開館しました。三浦綾子唯一の戯曲『珍版・舌切雀』(その後に『したきりすずめのクリスマス』として絵本化)は市民クリスマスのミュージカルとして1981年12月18日、公会堂で上演されました。
『続泥流地帯』では、1927(昭和2)年、新芽の萌え出た枝垂れ柳の美しさに感嘆しながら、耕作は節子、ハツと共に常磐公園の池の畔のベンチに腰かけていました。「三人のいるうしろには、小高い築山があって、丸窓のあるあずま屋が建ってい」ました。三人は茶店で牛飯を食べました。(「蕗のとう」の章)
『嵐吹く時も』では、1926(大正15年)7月、文治の一家が家族で訪れて、池の傍のベンチにすわり、子どもたちとボートに乗っているとき、ボートに乗った新太郎と再会しました。(「回転木馬」)
『岩に立つ』では1923(大正12)年、新吉が、千鶴子と別れ話をする舞台になっています。二人は池の傍の草むらに坐りました。池に、くもった空が映っていました。別れ話の後、「千鶴子は、眼も鼻も真っ赤にして、『あたしも新吉さんを忘れないわ、さいなら新吉さん』って、立ち上がるとパッと駆けて行った。エンジの袴の裾をこうちょっと持ってねえ。紫の矢絣のたもとをひるがえして、公園の緑の木立の中を走って行ったっけ」と語られています(「四 初恋」)。また新吉は少し後、この公園のすぐ横の新町に阿加木御殿を建てることになりました。
『積木の箱』には、ポプラ並木と白鳥の池、小熊秀雄の詩碑、常磐公園前の停留所も出てきますが、白鳥の池の木橋を渡ると新町になって、そこに佐々林家があると設定されています。
『草のうた』では、1931(昭和6)年5月、綾子さんが小学校3年生のとき、このグラウンドで大成小学校の運動会が開かれたことが書かれています。級長の綾子さんは、クラスの先頭を歩き、号令をかけましたが、前日お父さんが暴漢に襲われるという事件があったばかりだったので、晴れ上がった五月の空さえ、ひどく淋しく思われました。(9章)
三浦綾子さんは旭川六条教会の藤原栄吉さんを通して『塩狩峠』のモデル長野政雄さんの殉職事件のことを知りますが、藤原さんとの出会いの舞台がこの常磐公園でした。1964年夏、『氷点』の入選発表一ヶ月前の6月7日、日曜日の午後、現在池の畔の花壇になっているあたりに会館があり、そこで旭川六条教会の修養会がもたれていました。その一つのグループの司会をした綾子さんは同じグループの藤原さんに出会いました。このエピソードの続きはぜひ三浦光世さんの『三浦綾子創作秘話』をお読みください。綾子さんは藤原さんが書いた長野政雄さんに関する手記や六条教会に残っていた『故長野政雄君の略伝』などを基礎資料にしながら綾子さん自身の闘病時代の体験などでフィクショナルな肉付けをして『塩狩峠』を書きました。塩狩峠記念館の二階の壁には藤原さんが書いた文章が貼られています。
このほか、『果て遠き丘』『氷点』『銃口』にも常磐公園が登場しています。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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