約束 ― 「桜の下」(『塩狩峠』)から

昨日12月23日は文学館での三浦文学案内人講座で模擬読書会として『塩狩峠』から「桜の下」の章を読み、グループで語り合いました。文学館学芸員の長友あゆみさんによれば、この章の後半、信夫が級友たちと桜の木の下に集まる約束をしたくだりは、今もしばしば試験問題などに使われる部分のようです。以下は私なりの読み(解説)で、以前に三浦綾子読書会会報に出したものです。ご参考になれば幸いです。

 

「人間には、命をかけても守らなければならないことがあるんだよ。わかるか?」

四年生になった信夫は、女子便所におばけが出るかどうか確かめるため、級友たちと夜八時に桜の木の下に集まる約束をした。ところが夜七時過ぎに雨に風をまじえるようになると、信夫はこんな雨の中を出ていかなければならないほど大事なことではないと考える。そんな信夫に父貞行は言う。

「約束を破るのは、犬猫にも劣るものだよ。犬や猫は約束などしないから、破りようもない。人間よりかしこいようなものだ」「信夫。守らなくてもいい約束なら、はじめからしないことだな」

つまらない約束だからこそ、約束ということそのものの意味が浮き上がってくるし、犠牲を伴うからこそ、約束を守るということの意味を考えざるを得なくなる。そして、その問いの中で、約束の桜の木の下へ歩いていった信夫は、そこで吉川修に出会う。吉川とは誰か?それは約束を守った者だ。約束を守る者だけが、約束を守る者に出逢うことができる。約束を守った者にしか与えられない出会いがあるのだ。吉川が「だって約束だからな」と言ったとき、「『約束』という言葉の持つ、ずしりとした重さが、信夫にもわかったような気がした」。父が示した約束の重さということが、このとき吉川によって証明されると共に、今まで信夫が知らなかった約束というもののある世界が、信夫の人生の中で開かれる。

「約束を破るのは犬猫にも劣る」と父は言った。換言すれば「人間とは、約束をして、約束を守るものだ」ということだ。貞行は知っていた。家を追い出され、子どもと引き離されても、命がけで守らねばならない約束が妻にはあることを。そしてそのようにまでして人間であろうとする者であるゆえに菊を貴く思い、大事にしてきた貞行だった。そうして貞行も菊を愛するという約束を守ろうとしたのだ。

なぜ約束は大事なのか?なぜ人は時として、損をしても約束を果たそうとするのか?それは、約束した相手を大切に思うからだ。結核療養所白雲荘に入所中、長期療養する女性が夫に捨てられるのを、堀田綾子は見た。女性は間もなくすぐ裏の牛朱別川で自殺した。約束が破られる時に人は壊れてしまう。しかし約束が尊ばれるなら、その人は生きる。

前川正は遺書の中で、僕が死んでも生きるという約束を綾ちゃんはしてくれたということを、確認している。それは文字通り命がけの約束だった。前川の死後一年間泣いたあと、綾子がその約束の前で、私は前川さんが生きたかったように、あの人の命を受け継いで生きなければならないと決心して、心を開いて手紙を書き始めたときに、三浦光世は彼女の前に現れた。“にもかかわらず約束を果たそうとする”者にしか与えられない出会いがあるのだ。そして、その人は古い約束を忘れさせる存在ではなく、むしろ約束を守り果たしてゆくことができるようにと与えられた同伴者でもあった。三浦光世は、彼女が前川正を追って死ぬのを許さなかった。むしろ、前川と一緒に生きる方へと導いた。天国で待っている前川の方に向かって生きて歩むという約束。その約束によって綾子も前川も生かす道だった。二人の方向は決まり、目的も定まった。前川正のように命がけで魂を愛してゆく夫婦になること。古い約束を、新しい大きな約束で丸ごと肯定して、包み込んだのだ。そうして綾子はこの約束のなかで癒されてゆく。

少年の信夫は吉川と「大きくなったらお坊さまになる」という約束をするが、この約束は果たされずに終わる。しかしこの約束は信夫に対して、真剣に人生の目的を考えながら歩ませ、成長させるという機能を持った。その約束を生きる時間の中で、信夫は“何者になるべきか”と根源的に問われながら歩むのだ。十数年後、まだこの約束を覚えていた信夫に吉川は呆れも感心もするが、「ふじ子さんをぼくにくれ」と言う信夫を、吉川は拒む。子どもの時のそんな約束をさえ大事にする人間であるがゆえに、むしろうかつに約束はできないと思うのだ。ふじ子の病が癒えなければ、約束に縛られて他の人と結婚できない信夫は苦しみ、ふじ子は傷つくことになる。そう吉川は考えたのだ。

その後、信夫とふじ子は結婚の約束をし、結納の日を迎えるが、遂にその約束は果たされずに終わる。『塩狩峠』は、約束を守らなかった信夫の物語であり、約束を守ってもらえなかったふじ子の物語であるとも言える。しかし、信夫の事故死を知ったふじ子は、“それでも約束した信夫さんは必ず来る”と信じて駅まで迎えに行った。そして、乗客の最後の一人が改札を出ていった後、ふじ子は汽車からおりてくる信夫を見る。いつものやさしい笑顔に、「あ、信夫さん」と笑って手を上げた瞬間、信夫の姿は消えていた。

約束を守らなかったけれど約束を守った信夫。それは皮肉にも見え、淡い慰めにも見える。しかしなぜ、信夫はふじ子との約束を守らなかったのか?それは、信夫がそれよりももっと大きな別の約束を守ったからではないか?だからそれは、約束を破ったのでなく、もう一つ大きな約束でその約束をも包み果たしたということなのではないか。たぶん、そのことに気づいたふじ子は、「私は一生信夫さんの妻として生きてゆく」という決心、すなわち約束をする。もう一つ大きな約束に生きて死んだ信夫を引き継いで生きるという、また一つ大きな約束の中で、信夫が待っている約束の場所である天国に向けて歩んでゆく約束が始まったのだ。それは、彼女をいつもいつも支え守っただろう。この地上での実際の結婚の約束を守らなかった信夫も、この地上での実際の結婚の約束を守ってもらえなかったふじ子も、もっと上を向いてすべてを包むようなもっと大きな約束を見いだす人間であったのだ。

※この続き、ふじ子の物語は『雪柳』をお読みください。

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。