いのちから離れるほど毒化する ― 食べ物と健康についてのたわごと
ここ数十年で、人類の主な関心は、戦争や飢餓、人権や自由などの問題から、環境や自然災害や健康の問題に重心が移っています。若者もインターネットの世界以外に新しい開拓可能なフィールドを見いだせないので、かつての時代のような夢らしい夢を持てず、10代で最大の関心が現在のストレスからの解放と老後までの安心ということにもなっています。
フィットネス業界や健康食品業界の影響で、世の中には健康に関する様々な情報が溢れています。本当のことが分かりにくく、商業ベースの用語に踊らされています。また、180度変わることもあるいろいろな説に振り回されがちです。ここから書くこともその一つに過ぎませんから、注意して読んでくださればと思います。しかし、健康や食べ物をめぐる個人的な体験と考えを通して、人類全体の問題の方に、窓が開くといいなと思っています。
私は日本中を飛び回るために年間50回以上飛行機に乗り、6時間以上の長距離バスもしばしばという生活をしていますから、からだのあちこちに問題が出てきているのを感じています。座り過ぎで、お尻や消化器系に不調を感じるところから始まって、弱く自覚しているものはかなりあり、自覚はなくても飛行機に沢山乗るので、放射能にも沢山当たっていることになります。福岡から旭川に移りましたから、冬はやはり運動不足気味で、体重も少し増えました。
7年ぐらい前、市がくれる無料または低額の券を持って近くの病院に行き健康診断を受けましたが、しばらくして結果が送られてきたのを見ると「コレステロールが要治療レベルです。医療機関で受診してください」と書かれていました。ギョッとしましたが、自覚症状がなかったこともあり、私は病院に行きませんでした。母が似た体質で薬を飲み続けているのを知っていましたから、病院に行けばどうなってゆくかは大体見当がつきましたので、まずは別の方法を試してみようと思ったのです。それで、そのとき何を見て思いついたのかは忘れましたが、沖縄からかなりの量のモズクを取り寄せて(その後はメカブやアカモクも)、毎日のように食べるようにしました。魚卵の類(明太子もイクラも好きですが)を減らし、野菜を増やして食事の時は野菜から食べ、常に大豆(または黒豆)を茹でで薄く塩味をつけたものを切らさず用意して、色々なバリエーションで食べます。出張に出るときはコンビニの弁当などを食べなくても良いように(避けられない場合もあるので、一度でも減らすように)、昆布入り黒豆おにぎりを握り(子どもたちは“パパのマメオニ”と呼んでます)、ご近所で出来たプチトマトを紙コップに入れラップして持ってゆきます。夏は千歳空港の美瑛ショップには美瑛のトマトが出ますので、それを買って食べます(このショップは一日に何回か美瑛産のコーンを使った大人気のコーンパンを焼くので、その焼き上がり時間近くになると行列が出来て大変です)。
しかし、あるとき、コレステロールの多い食品を食べたからといって、当然のこと消化吸収作用があることなので、それがそのまま自分の体のコレステロールになるわけではなく、体内のコレステロールを管理しているのは肝臓だから肝臓の機能を高めるようにする方が良いのだと何かで読んだので、そのあたりも気をつけて食生活するようにしました。
肝臓には悪い油が負担をかけます。長年にわたり、油分は健康の敵だと言われてきました。医者や栄養士は、ベーコンやチーズばかり食べているとその油分のせいで心臓発作を起こしてしまうと警告してきました。でも科学者たちの現在の意見は、それまでの考えを覆すものになっています。高炭水化物、低脂肪、低カロリーのものを食べることを「健康的な食生活」として推奨する考え方には致命的な欠陥があることがわかり、今は脂肪の量よりも、加工食品を避けることが大事だと考えられています。例えばアボカドや魚は脂肪が多いですが、食品添加物がたくさん入った低脂肪のスナックより、はるかに健康的な食べ物です。また、低脂肪乳製品は無調整のものより脂肪は少ないですが、その製造工程で脱脂粉乳や糖分等を加えるなどの加工がされているので、成分無調整牛乳より低脂肪乳の方が太るという結果になります。
私はあるとき、蕎麦に入っていた海老天を食べていて尻尾を残そうとして、一緒に食べていた人に注意されたことがあります。その人はこう言いました。
「海老は身だけ食べるとコレステロールいっぱいの食品だけど、尻尾も食べると中和してくれるのですよ」
その真偽を調べてはいません。でも、それは正しいだろうと思うようになりました。なぜなら、例えば、食品成分表を見ると、小魚(ちりめんじゃこの類)は多くのコレステロールを含んだ食品であることがわかりますが、小魚はからだに悪い食品でしょうか?とてもそうは思えません。海老も小魚もコレステロールいっぱいの体ですが、普通に自然に泳いでいる彼らは、成人病ではありません。つまり、生きている生物個体は必ず生きられる状態だから生きているのです。個体一つ一つは何らかのバランスが取れ、調和状態を作れていて、生命が維持できているのです。ですから、いのち(生物個体)を丸ごといただくことが、健康で自然な食事の基本です。
丸ごと食べるものと言えば、代表は実や種の類です。多くの人が主食にする炭水化物のうち、丸ごと食べないように加工した白い炭水化物(白いご飯、白い小麦粉で出来たもの)はからだに悪いと分かっている食べ物の筆頭ですが、丸ごとの茶色い炭水化物(玄米、全粒粉小麦)はからだに良いと分かっている食べ物の筆頭です。自然な状態で食べれば良いもののはずが、不自然状態に加工することで悪いものになるのです。
日本人がよく食べている食品の中で最も健康に悪いものは、よく言われているように、たぶん白い砂糖と加工肉、そしていわゆるジャンクフードあたりかと思います。白い砂糖は癌と仲良しで、加工肉は大腸癌、肝臓癌を産み、ジャンクフードはからだ全部を頭まで汚します。どれも加工度が高いのが特徴です。強い精製、多くの添加物、強度の調理です。自然状態から離れ、元々のいのちから離れるほど、いのちに対して毒化したものなってゆくのです。
果物についても誤解があります。果物は糖分が多いから控えなさいと医者はしばしば指導します。本当に控える必要がある場合もあるでしょうし、果物自体が不自然な糖度に品種改変されて毒化しているかも知れませんが、実はこれは一般的には正しいとは言えないことです。日本の医学部では(アメリカでも)、ほぼ栄養学を学びません。学ぶことが多すぎるのです。医者には食品成分表的な頭しかないのが現実です。実は統計的には、果物を多く食べる人は、糖尿病が少ないというのが事実です。しかし、果物ジュースを飲む人は、糖尿病が多いというのも事実です。ニセ物のジュースではありませんし、加糖したものでもありません。単純な本物の百パーセントジュースですが、その程度の加工でも、不思議な毒化が起きるのです。噛んで食べるのが自然なものを飲んで摂取する、その程度の不自然さでも、大変な差が生じて、毒化することがあるのです。人間の体は一万年前からあまり進化(変化)していないようなのです。
健康食品やサプリメントの殆どは、無益もしくは害があるとも言われています。食品成分表の魔術と同じで、胃腸で消化分解して消えてしまうものなのに、体に直接入って役に立つと勘違いしていたり、食品とは言えない化学物質(水もH2Oという化学物質ではありますが)成分が食品と同じように吸収されて健康に利するはずだと思いこんでいたり、という誤解の上に、不自然な摂取をしているのです。特にサプリメントは食べ物ではないものを(極端ですがクレヨンでも食べているように)食べていると気づくべきかと思います。これは摂取方法の不自然さによる毒化という問題でもあります。健康や美容に良いと言われるカタカナの栄養素あるいは物質名を、たくさんご存知でしょう。健康食品会社が通販の宣伝で教育してくれますから。でも、食べ物に含まれているものとして摂取されるのでなければ、取り出した化学物質(まさに不自然な)は毒になる可能性がかなりあると見ておくべきです。
食品の生産段階の不自然さの問題もあります。平飼いで土の上を走り自然食を食べた鶏の卵と、一生ケージに閉じ込められ人工的な飼料を食べさせられた鶏の産む卵には大きな差があります。自然放牧で長生きして自然な量の乳を出す牛と、牛乳生産機械として様々な苦痛とストレスと悲しみを強いられホルモン剤を投与されて異常な量の乳を出さされて早死にする牛の乳が同じであるはずがありません。異常に多い量の肉をつけるように畸形化の品種改良(?)をされて、そのために自分の体重を支え切れなくなり、ついには骨折し、痛みと苦しみの瀕死の状態で殺されて生涯を終えるブロイラーの恐ろしい不自然さ。これはもう人間の犯罪的暴虐でしょう。人間は経済原則によって利潤の追求のためには、不自然化を進め、大半の畜産業では動物を非常に苦しめています。そのために動物が不健康で病気になりやすいので、抗生物質等の薬物を大量に投与して、毒肉を作り、耐性菌の類を生み出すことにもなっています。
清潔主義の不自然さという問題もあります。戦後のDDTに始まって、殺菌、滅菌、消毒は衛生の常識であり至上価値のように言われて来ましたが、最近では人間の体には人間自身の細胞の数(60兆~100兆)よりも多くの数の細菌類が生きていて、それによって人間が健康に生きられていることが分かってきました。腸のビフィズス菌とか腸内フローラなどという語は多くの人が知っています。発酵食品が体に良いというのは、ほぼ間違いないと認められていますが、それは生きた菌がいるからです。沢山の小さいいのちに囲まれて生かされているのです。
私たちの世代は学校でギョウチュウ検査をして、いると分かればそれを殺す薬を飲まされるという政策によって管理されて来ました。その成果なのか、ギョウチュウなどをお腹に持っている子どもはいなくなり、私の子どもの世代には検査はなくなりました。「清潔」になったのです。するとそれと比例して、アトピーが増えてゆきました。病理学的に解明されていませんが、明瞭な事実です。それで、研究者の中には、自らサナダムシなどを飲み込んでお腹で飼って調べようとしている人もいると聞いています。私は2年ほど前、胃カメラを飲む機会があり、そのときに胃癌の原因となるピロリ菌の検査もしましたら、菌がいることが分かったので、殺す薬を飲むことになりました。最初の薬はまだそれほどではなかったのですが、その弱い薬では“殺菌”できなかったので、次は別の強い薬になりました。これはひどいダメージをお腹に与えました。それまでとても調子のよかった腸の調子がとても悪くなりました。これは危険だと思って、もうそこで中止しましたが、1年ほどは腸のひどい状況は続き、やがて少しずつ改善はして来ましたが、以前の好調さには程遠い状態のままです。多分有用な菌が多く殺されて、腸内フローラが破壊されたのでしょう。あるいはそれ以上かも知れません。実は、兄も母も、また私と同じ田舎に幼少期を過ごして同じ水飲んだ人(大人は胃の温度が高いためにピロリ菌は新たには住みつきません。温度の低い子どもの胃に住みつくのです)はみんなピロリ菌を持っています。でも、私の田舎に胃癌で死んだ人は殆どいません。医学は、原理としてその特定の病気を治したり、その発症可能性を抑制したりすることを目的として施術投薬するものであって、体全体を考えるとは限りません、というよりそれは考えられないのです。現代の医学は専門化が益々進んで、人間全体を見ることが難しくなっています。一人の医師は、専門外の領域については自信もないし、責任を取りたくないので、大学病院などで医者に痛みや不調を訴えても無視されるか、他に行くように言われるかするという話をしばしば聞きます。それが分解分析という手法を取る西洋医学、西洋科学というものの原理でもあるからです。そして最後はこう言うのです。「死にたくなければ副作用があってもこれを飲め、これも飲め。副作用があれば、それに対処する薬も飲め。」こうして、一つ一つの症状や病気に対して薬をあてがうので、薬は増え続けてゆくことになります。菌は殺され続けてゆきますが、その菌が実は体内でどんな役割を果たしているかは、殆ど知られていないと言って良いのです。百年後、「あの時代の人間はピロリ菌を殺したんだよね、体内の生態系のことなど何にもわからず、とんでもないことしたもんだよね」なんて言われる可能性はかなりあると思います。浅い知恵で、いのちといのちが作っている内外の自然環境を殺戮、破壊し続け、自分自身や自分たち種族さえも滅びに向けて走らせてゆくのが人間なのでしょうか?昆虫が恐ろしい勢いで消えているのと同じように、多分私たちの体内の菌類も種類を激減させているのだろうと予測されます。そして、それはほぼ間違いなく、来るべき日に、見える形での“崩壊”に至るはずです。
私には四人の娘がいますが、次女だけが旭川に一緒にいて、長女は九州、三女は関西、四女は関東にいますので、出張にゆくたびに、そこに住んでいる娘たちに会います。彼女たちと食事しながら、私はいつもこう言います。
「いのちのあるものを食べなさい。加工度の低いものを食べなさい。添加物の少ない、より自然なものを食べなさい」
現在の環境問題も、エネルギー問題も、医療や遺伝子工学の問題も、ほぼ同じ方向の問題です。色々な意味で、色々な領域で、色々な側面で、自然ないのちから遠ざかること、それが、人類の近代化、現代化の最も大きな傾向だったのかも知れません。いいえ、もしかしたら、もっともっとずっと昔の、ある時点から、人類の道は基本的に反自然化の道であり、いのちから離れてゆくものであったのかも知れません。
人間が単独で生きているのではないこと、自然なありかたや、いのちから離れたらいのちは衰えて滅びていくこと。実はみんな分かっていながら、ふるさとを捨てるように捨てて来た後ろめたさを抱き、いつかしっぺ返しが来るに違いないという恐れを持って ― 多分それと共に、砕いて欲しいような、止めて欲しいような、ほんの少しの処罰への期待も隠して ― 生きているのでしょう。
この問題については、メンデルとダーウィンとファーブルを比較するところから考えてみたいと思いますし、農業を始めてからの人類と青森の木村秋則さんのことも、またキリスト教の問題としても、考えてみたいと思っています。
そうそう、忘れてました。二年前あることで血液検査されることがあり、結果が来たのを見るとコレステロール値は正常の範囲になっていました。でも、これで大丈夫などと勘違いしてはいけません。それは、抜き出した血を分析した成分表に過ぎないのです。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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