「あなたは、全く、素敵な人だ」― 前川正の葬儀
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(新約聖書「ヨハネの第一の手紙」4章11~12節)
1954年5月3日、午前10時より、日本基督教会旭川二条教会で前川正の葬儀が執り行われました。司式は同教会の竹内厚牧師。この日竹内師が読んだ聖書の箇所は、故人の遺言によって選ばれていた新約聖書「ヨハネの第一の手紙」4章7~21節でした。上に引用したものはこの日使われたものとは翻訳が異なりますが、その一部です。竹内師がこの日多くの内容を含むこの箇所の特にどこを取り上げ、何を語ったかは分かりませんが、私であれば、この部分を選んだかと思います。
人はみんな、誰かを愛したいという願いを持ち、また誰かに愛されたいという願いを持っています。愛によって結ばれたいと思うのです。そこに坐れる場所を見つけ、生きることの喜びが始まるからです。十六歳の綾子さんも、愛によって人と結ばれてゆく仕事として、教師になる道を選びました。しかし六年半教えて、敗戦。それは愛の挫折でもありました。愛し信じて語っていたことが間違いであり、愛する子どもたちを不幸にするものだったと知った日、彼女の絶望は余りに大きいものでした。何ものにも代えがたい真剣な愛であったゆえに、何ものによっても癒しがたい絶望でした。だから彼女のなかで、強い自己処罰願望と、他方で、その愛の挫折という絶望の真っ暗な穴を埋める、もっと大きな愛への求めが無意識下でも始まりました(この二極性はそのまま『氷点』の陽子の遺書の中核でもあります)。私を愛してくれる人が欲しいということだけでなく、それ以上に、本当の愛し方を教えてくれる人が必要だったのです。
私たちはだれも神を見たことがない。これは事実です。人は一生一度も神を見ることはなく、そして死んでゆくものです。ここで「神を見ない」ということは真の愛や真の平和や、そのほか本当に良いものにも出会わないという意味でもあります。人の一生というものは何と虚しく淋しいものでしょう。でも、堀田綾子は出会ったのです。それは恐れのない愛に生きる人でした。葬儀の日に読まれた「ヨハネの第一の手紙」4章の後半にはこう書かれています。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。(18~19節)
彼女自身が、生きることを恐れ、愛することを恐れ、信じることを何よりも恐れていた日に、その人は、信じずにいることなど到底できないほどの圧倒的な愛で彼女を愛し、そうして愛し方を教えてくれたのです。勿論、それでも、だれも神を目で見はしなかったのです。それは事実です。でも、彼女には、分かったのです。神は、私たちのうちにおられる、間違いなくおられると。だから、この参列できなかった葬儀から十年後、小説家として歩み始めた彼女は、生きることを恐れない愛、愛することを恐れない愛、信じることを恐れない愛を生きる者たちの物語を語り始めたのです。そこにおられる!そこにおられる!その本当を届けるために。
この日、葬儀で弔辞を読んだのは前川正の後輩でクリスチャンの医師原田愛幸氏でした。前川正の、北大時代のテニスコートでの猛烈なスマッシュ、文学研究会での烈々たる意欲と才能と学識、神学研究会の帰り道「一緒にもっと勉強しようね」と言ってくださったことなど、原田氏は思い出を語った後、今日は私にとって生涯忘れる事の出来ない最も悲しい日だと告白してから、こう結びました。
人間の浅い運命と神の深い愛を殆んど完全に感じ取って、静かに目を閉じて眠りにつかれ、その生前の強い信仰と、美しい心情と、輝けるばかりの鋭い頭脳の故に、残された者に限りなく力強い感銘を与え、今もなお洋々たる雲の彼方から、美しい声を聞かせて下さるとは。嗚呼、貴方は、ほんとに素晴しい人だった。全く、素敵な人だ。
愛し合うことができるなら、神はそこにおられる。こんなことが、絵空事でなく本当のことなのだと、誰が自分の人生で証明できるでしょう。愛したいと願いながらも本当には愛することができず、人を傷つけその返り血を浴びて、自分も知らない間に傷ついて出血して、血だらけになって、自分で自分に「あんた、もう死んだら」と言っていた二十代半ばの私に、前川正が見せてくれたもの、前川正と堀田綾子が証明してくれたこと、それは本当に圧倒的に素敵なものでした。
※一番素敵な春光台『道ありき』文学碑の写真です。2018年12月22日、この碑を作った彫刻家長澤裕子さんが撮られました。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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