光世さんの最後の祈り― 『道ありき』文学碑除幕式

 『道ありき』は三浦(当時は堀田)綾子が敗戦による挫折から結核・脊椎カリエスによる闘病生活の中でキリスト教の信仰を持ち、三浦光世と結婚するまでを語った重要な自伝小説ですが、その中でも最も感動的で重要な場面の一つは、1949年6月、綾子が幼なじみのクリスチャン前川正に誘われて春光台の丘を訪れる部分です。春光台は旭川駅から北西へ車で約15分。旭川街並みが眼下に見え、大雪山や十勝岳連峰も眺望できる丘です。そこは戦時中までは旧陸軍の演習場でしたが、現在は、徳富蘆花の『寄生木』文学碑、若山牧水の歌碑などもある文学の小径やキャンプ場、ミズバショウの咲く散策路など、市民の憩いの場となっています。
   日時も場所も確定することは出来ていないのですが、1949年6月の下旬ごろ、この地で前川正は綾子を諫め、彼女を救うことのできない自分の不甲斐なさにいたたまれず、自分の足を石で打ち続けました。そのとき綾子はその姿の背後に「今まで知らなかった光を見たような気がした」と書いています。真実に生きようとして傷つき、心も体も死の淵にいた一人の女がふしぎな光に刺し貫かれた日、魂の再生の物語は始まりました。三浦綾子の人生に大転換が起きたのです。この事件の舞台となった春光台の丘に立つと、彼女の魂の声が聞こえてくるようです。

   彼は自分の命が、あと何年ももたないことを知っていて、その命をわたしに注ごうと思っていた。彼の背後にある不思議な光はなんだろうと、わたしは思った。

    2014年6月28日(土)、この地に三浦綾子『道ありき』文学碑が建立され、除幕式が行われました。
   2011年2月14日に準備委員会で建設趣意書が決定されると共に、呼びかけ人が選定され、碑建設への動きは本格化しました。3月14日には碑の名称を決定、4月23日に三浦綾子『道ありき』文学碑建設実行委員会設立が決定され、実行委員長は三浦夫妻の親友黒江勉さんが務めることになりました。2012年には碑の制作を彫刻家長澤裕子氏に依頼、2013年夏募金活動を開始、900名余の方々から630万円に上る額が捧げられました。2014年5月15日着工、6月28日、10時より旭川市春光台公園で『道ありき』文学碑除幕式、午後は市内ロワジールホテルで記念のシンポジウムが開催されました。
   この日の除幕式次第は以下の通りでした。

開会の言葉       司会者                                    押之見哲也
文学碑除幕    
朗読「道ありき」    実行委員                                 小林弘昌
あいさつ      実行委員会委員長     黒江 勉
紹介と経過報告   実行委員         山本春樹
祝辞        旭川市長         西川将人(代理)
          春光台地区商工振興会会長 小原陽一 
          旭川六条教会員      沼田 進 
音楽                                                         ラーハム
感謝状贈呈    
感謝の言葉・祈り               三浦光世 
閉会の言葉      司会者

   この日、除幕式の最後に三浦光世さんがごあいさつとお祈りをしてくださいましたが、これが公の場に光世さんが出席した最後の日になりました。この年の10月30日光世さんは90歳で召されました。光世さんは最初にごあいさつを終えるとお祈りを忘れて席に戻ろうとされたので、「光世さん、お祈り、お祈り!」と促され、またマイクのところに立って祈り始められました。
   「天地を創造された神さま」
   この最初の語りかけが、今も印象深く心に残っています。
   『道ありき』は、誰の物語だったのでしょう?主人公は勿論堀田綾子であり、前川正であり、三浦光世です。1946年から1959年までの13年間のドラマは、この除幕式の日の55年前には完結し、終わっているのです。でも、この日の除幕式も『道ありき』の物語の続きの一コマだったのだと思います。
   綾子さんは三十年間神の愛を伝える小説を書く作家として召され、夫には病弱な妻の為に口述筆記をし、介護する道が与えられました。しかし彼女をキリストに導いた前川正は、僅か5年半の間、反抗的で自堕落な一人の女を愛するというだけの仕事に召されたのです。それぞれの仕事は違い、道は違う。しかし前川正は言いました。
   「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ……ぼくは神を信じていますからね。自分に与えられた道が最善の道だと思って感謝しているんです」
   一人一人に与えられた道がある。『道ありき』を読んで感動した者たち一人一人の物語、その道もこの地で結び合わされたのです。それぞれの人生の歩みのなかで『道ありき』に出会い、感動した者たちが、ここにこの日、碑を建てたことで、これから先、多くの人がここを訪れては、この碑の前にたたずみ、あるいは傍らのベンチにすわって、古の物語に思いをはせると共に、「私にもまだ道があるだろうか?」と問う場所になりました。そして、この碑を通して堀田綾子の奇跡を思い出して、自分にも備えられた道があることを“にもかかわらず信じて”歩み出して欲しいという願いと祈りをこめてこの碑は作られたのです。それも『道ありき』の続きの物語です。

   春光台は綾子さんと前川正のドラマの地です。光世さんが登場する前の物語です。妻とその恋人のドラマの碑です。そんなものの除幕式に喜んで出て感謝のあいさつをする夫は、世の常識からすると少し変かも知れません。でも光世さんは知っていたのです。これは、綾子と前川さんだけの物語ではないと。綾子さんが死んでも、光世さんが死んでも、終わることのない、「天地を創造された神さま」の物語なのだと。神さまからこの国に、希望として与えられた物語なのだと。それが光世さんの最後の祈り、希望の根拠でした。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。