2020年8月1日(土) / 最終更新日時 : 2020年8月1日(土) 森下 辰衛 長野政雄 『塩狩峠』長野政雄の聖書 下 昨日7月31日は『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデル長野政雄の誕生日でした。1880(明治13)年でしたから、140年になります。塩狩峠での殉職事故から100年だった2009年の記念の時に研究して考えたことをその後にまとめた文章です。想像も多く、若干の時代考証的問題もあるように思いますが、そのまま掲載します。研究なさる方の踏み台的参考資料にしていただければと思います。
2020年7月31日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 長野政雄 『塩狩峠』長野政雄の聖書 上 今日7月31日は『塩狩峠』の主人公永野信夫のモデル長野政雄の誕生日です。1880(明治13)年でしたから、140年になります。塩狩峠での殉職事故から100年だった2009年の記念の時に研究して考えたことをその後にまとめた文章で、想像も多く、若干の時代考証的問題もあるように思いますが、そのまま掲載します。研究なさる方の踏み台的参考資料にしていただければと思います。
2020年7月16日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月16日(木) 森下 辰衛 文学散歩 多くのドラマの起終点―旭川駅開業122年 旭川駅は、1898(明治31)年7月16日北海道官設鉄道上川線の駅として開業しました。木造駅舎で、駅前には小沼が点在しヤチハンノキの巨木がたっていました。当時の読みは「あさひかわ」。8月12日に天塩線(現在の宗谷本線)開業。1899(明治32)年9月1日には十勝線(現在の富良野線)開業。同じ年に三浦綾子文学館がある外国樹種見本林の植樹も始まっています。
2020年5月23日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 文学散歩 新緑の常磐公園を歩く 常磐公園は旭川市常盤町の石狩川の川中島を利用して造成され、1916(大正5)年開園した広さ15・85ヘクタールの公園で、ハルニレやドロノキを中心に在来の巨樹の美しい林や千鳥ヶ池、白鳥の池などがあり、1989年には日本の都市公園百選にも選ばれています。
2020年5月20日(水) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 星野富弘 Silver trace of God’s wind 一度きりの出会いの日 2003年9月、星野富弘さんは旭川を訪れました。15年前の1988年5月20日、綾子さんが群馬県の富弘さんを訪ねて対談したとき、今度は富弘さんが旭川にお出で下さいと言ってくれたからです。その秋、綾子さんが天に召されて四年が経とうとしていました。富弘さんはこの日、念願の塩狩峠を訪れました。そしてその記念に「塩狩峠に咲いていた野菊」という詩画を描きました。
2020年5月15日(金) / 最終更新日時 : 2020年7月31日(金) 森下 辰衛 長野政雄 中村吉蔵(春雨)~長野政雄を導いた友 中村吉蔵(春雨)は、1877(明治10)年5月15日、島根県の津和野に生まれました。18歳で大阪為替貯金管理所の書記補となり、雑誌に小説を投稿するかたわら、国木田独歩らの影響もありメソジスト川口教会で洗礼を受けました。のちには大阪天満基督教会に通っていましたが、その頃職場で出会い、同じ宿舎にいたのが、3歳年下の長野政雄でした。
2020年5月7日(木) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 三浦綾子と天国の希望 上 綾子さんが天国というものを初めてはっきりと意識したのは、前川正さんが亡くなった時だったと思います。『道ありき』にはこう書かれています。 わたしはその時になって、初めて天国を思った。昨年の七月、敬愛する西村先生を失い、それから一年もたたぬうちに、前川正も天に召された。当時のわたしは、この世よりも、天国のほうが慕わしく思われてならなかった。
2020年4月25日(土) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 綾子さんに「生まれてくれてありがとう」 今日は綾子さんの誕生日です。誕生から小学校卒業までを書いた自伝『草のうた』、初出は「わたしは、一九二二年(大正十一年)四月二十五日の朝、北海道旭川市四条十六丁目左二号に生まれた。わたしが生まれた時、すでに兄が三人、姉がひとり、そして、姉のようにして育った叔母がいた」と書き始められています。
2019年12月24日(火) / 最終更新日時 : 2020年7月4日(土) 森下 辰衛 三浦綾子を読む 約束 ― 「桜の下」(『塩狩峠』)から 「人間には、命をかけても守らなければならないことがあるんだよ。わかるか?」 四年生になった信夫は、女子便所におばけが出るかどうか確かめるため、級友たちと夜八時に桜の木の下に集まる約束をした。ところが夜七時過ぎに雨に風をまじえるようになると、信夫はこんな雨の中を出ていかなければならないほど大事なことではないと考える。そんな信夫に父貞行は言う。