飼い葉おけのみどり子
口語訳の新約聖書「ルカによる福音書」2章12節にこう書かれています。
「あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」(口語訳)
布にくるまって眠っている可愛い赤ちゃんが目に浮かびます。そのホンワカがクリスマスだと思うし、思いたいのです。他の代表的な日本語の訳を見ますと、以下のようになっています。
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(新共同訳)
「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(新改訳・第3版)
「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」(新改訳・2017年版)
ここで「布にくるまって」と訳されているギリシャ語εσπαργανωμενον(エスパルガノゥメノン)は、「細長い布に包まれた(者を)」の意の、完了・受動型の動詞ですから、自らくるまったのでなく、くるまれたのです。ですから手元にあるフランス語訳でもemmaillotéという受動型の語が使われています。この動詞は意味として「くるむ」のほかに、「包帯を巻く」、「束縛する」という意味も持っています。英語を見るとwrapped in swaddling clothesとなっており、このwrappedも受動型ですが、swaddlingは「細長い布で巻く」という意味の動詞の変化形で、「束縛する」という意味もあり、後ろのclothesとつながると「(昔、赤子を産着の上から巻いた)細長い布」の意の名詞になり、「自由を束縛する力」という意味も持ちます。「束縛される」というニュアンスは共通しているようです。
「寝ている」と訳されているギリシャ語κειμενον(ケイメノン) は「横たわっている(者を)」の意の現在・中間受動型のデポネント動詞(受動型をとる動詞)です。フランス語訳couchéも受動型で「寝かされた」、「横たわる」。英語訳で使われている単語lyingは「横たわっている」です。サイモンとガーファンクルの「ボクサー」や近年は讃美歌として歌われることも多い「明日に架ける橋」の歌詞のキーワードだったのを思い出しますが、「倒れて横になる」、「横たわって眠っている(死んでいる意にも)」、さらには「葬られている」という感じで、決して幼な子はすやすやと眠っているsleepingのではないのです。
そういうわけで、ギリシャ語だとニュアンスまではよく分からないので仏訳、英訳を参考にしてみました(ギリシャ語もたぶんギリシャ語訳なのですが)が、少し硬質の文体に訳し直すと例えばこうなります。
「このことが、あなたがたに徴(しるし)となる。あなたがたは見出すだろう。長い布でぐるぐる巻きにされて、動物たちの餌箱の中に横たえられた者である赤ん坊を。」
既に傷つけられ倒れた者であるかのように包帯を巻かれ、或いは罪人であるかのように拘束され、或いはまた既に死んで葬られる死体であるかのように、そのからだは扱われて、動物の餌として、ゆりかごに似ていて、棺桶にも似た、けれど実は餌箱である器の中に横たえられているのです。人間によって細長い布でぐるぐる巻きにされているために、それはまだ半ば包み隠されているものですが、やがてその人間が巻いた布が解かれてゆくときに、あるいは動物によって喰いちぎられてゆくときにか、そのからだは人間が守りつつ独占的に束縛していた状態から解き放たれて、その全き意味を明らかにされるでしょう。
「飼葉おけ」を示す名詞はフランス語ではmangeoire、英語ではmangerとなっていて同じ語源なのが明瞭ですが、元になっているフランス語の動詞mangerの意味は「食べる」です。すべての動物は何かを食べずには生きていられない存在です。貪欲で残虐な人間だけでなく、すべての動物によって、ひいてはすべてのいのちの歯によって、喰いちぎられ、噛み砕かれ、擦りつぶされ、食べられ吸い取られるために、傷つけられるべく、拘束されるべく、死すべく横たわっているもの。それがこの幼な子なのだと、語られているのです。だからこの夜、全宇宙の被造物に向かって、「取って食べなさい」と語る声があったのです。
それを見出だすなら、それは「あなたがた」に「徴」となる。「あなたがた」とは、私と誰と誰と誰なのか?「徴」とは、何のしるしなのか?誰のためのしるしで、何を悟るべき、何をすべきしるしなのか?全く新しく問われる時代が来ようとしているように思われます。
このブログを書いた人
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1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。
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