初冬の峠 ― 塩狩駅存続を願って和寒町へ

   和寒町市街地から南に8キロほどの場所にある塩狩駅。ご存知のように、三浦綾子さんの代表作『塩狩峠』の舞台となった場所です。『塩狩峠』は1909(明治42)年2月28日塩狩峠の頂上付近で名寄発旭川へ向かう列車の連結が外れて最後尾の車両が逆走したとき、その車両に乗っていた国鉄事務員長野政雄青年が列車を止めるために線路上に飛び降りて自らの命とひきかえに多くの乗客を救った実話を元に書かれた小説です。
   峠のJR宗谷本線塩狩駅近くには長野政雄殉職の地碑、塩狩峠標識、三浦綾子旧宅(雑貨店)を復元した塩狩峠記念館などがあり、千本以上の桜が植えられた塩狩峠一目千本桜は5月下旬に見ごろを迎えます。また和寒町は三浦綾子記念文学館とも協力しながら毎年夏にはフットパス事業も行っていて、たくさんの方が参加しています。
   そんな中、鉄道の利用者減少などによりJR北海道から塩狩駅の廃止提案が出されました。存続のためには自治体による費用負担が条件となりましたが、和寒町(奥山盛町長)は大切な文化遺産であり観光資源としても残してゆく必要を強く感じ、存続維持を決めました。北海道のなかでも雪の多いこの地域では冬季の除雪や駅舎の維持などで一年に経費が200万円以上がかかることから、協力募金を呼びかけています。
 和寒町内の各所に設置された募金箱のほか、ふるさと納税でも寄付できます。詳細は和寒町ホームページをご覧ください。

 三浦綾子読書会もこの維持活動を応援することに決め、2020年12月18日(金)、代表森下が和寒町役場を訪れ10万円を寄付しました。
 この日、旭川は晴れて久々の太陽も見える上天気でしたが旭川市の北側に隣接する比布町に入ると激しい雪で、典型的な冬の峠越えになりました。いつもお世話になっている三浦綾子記念文学館の案内人(三浦綾子読者会の会員でもある)近藤弘子さんの車で旭川の神楽から約一時間。和寒町役場の玄関ホールには和寒町在住の彫刻家長澤裕子さん(三浦綾子『道ありき』文学碑の創作者)も待っていて下さり、3人で一緒に庁舎2階の総務課に行って、寄付をしました。

   1000円以上の募金をするともらえる特性のカードも勿論ゲット!です。それから、この日はちょうど町議会が開かれていて町長さんもそちらでお忙しいので、総務課の方と記念写真を撮らせていただき、「寄付金受領証明書」を頂いて役場を出ました。
   11時半頃でしたが、少し早い昼食を3人で頂き(向かい合わずに座って、話すときはマスク、食べるときは無言で)ました。女性お二人は天丼、森下は好物のなめこそば!ちょうどそばが来たころに携帯電話が鳴るので出ると、
   「森下先生ですか?副町長の広富です。先ほどはありがとうございました。議会でお目にかかれず、失礼しました。もしまだお近くにおいででしたら、ぜひもう一度来ていただけませんでしょうか?1時に議会が再開されるまでは時間がありますので」
   目的は果たしたのだし、のこのこ、もう一度行ったりしなくていいやとも思ったのですが、同行の長澤さんのお仕事がちょうど1時からで、まだ時刻は12時前。食事を普通に終えても3分で行ける和寒駅横の職場に行くのは早すぎる、という計算もあって、(暇つぶしみたいで失礼ですが)伺うことにしました。
   やあどうも、ありがとうございました、で済むと思っていましたら、応接室に案内されて町長さん、副町長さん、議会に取材に来ていたカメラを下げたマスコミの方々と役場の方々と私たち3人という大勢のことになり、町長さんたちからは町にとっての塩狩峠の重要性などいろいろお話を伺いました。JRから廃止の提案があったとき、全く検討の余地もなく存続を決めたということや、和寒町の子どもたちを全員塩狩峠に連れて行くなどして、郷土学習の一つとしても大事にしているというお話など伺いました。広富副町長はどこでだかは分かりませんが、私の講演を聴いてくださったことがあるようで、行間を読む深さに感銘を受けたと褒めてくださり(なんとうれしい!)恐縮しました。和寒町の子どもたちの人数を聞きましたら、ひと学年が20人ばかりとか。過疎の町の厳しさも感じましたが、それだけに郷土愛を持ってほしいという願いもひとしおのようでした。それで、
   「どうでしょう、私たち三浦綾子読書会は若い方々に三浦綾子さんの自伝『道ありき』をプレゼントする活動をしているのですが、和寒町の中学生のみなさんにプレゼントさせていただけないでしょうか?或いは『塩狩峠』の方がよろしければ、そうでも大丈夫です」
   と、勝手に話をすすめるのが、代表の悪い得意技。お二人とも喜んでくださって、
   「では、教育長と相談します」
   と、お返事いただきました。
   ということで、改めて、複数のフラッシュを浴びながら奥山町長と再度記念写真を。そして、新聞社からの取材も受けて、応接テーブルの上にあったお菓子も全部いただいて帰りました。大事なことは、遠慮しないこと、無作法などと思わないこと!そうです。珍しがって、褒めて、全部いただいて、紹介すればいいのです。
   帰りに、長澤さんがお勤めの地域交流センターに寄って、すぐ隣の和寒駅にも寄りました。鉄道が出来て今年は121年目で、駅舎の壁に古い貴重な写真のパネルが展示されていました。
   「ここで映画『塩狩峠』の一場面を撮影したんですよ」
   などと、知ったらしく近藤さんに話していたら、まさにその撮影の時の写真もあったのでびっくり!古い和寒駅、塩狩駅、そして塩狩付近を走るSLや峠近くの鉄道工事の写真まであり、とても勉強になりました。
   上の写真の注記には昭和48年頃とありますが、詳しくは昭和48年5月26日で、札幌駅での永野信夫と吉川修の再会の場面が撮られました。同映画は同年8月完成、12月15日に封切されました。
   それから、帰途は峠に寄って、塩狩駅と長野さんの碑、そして12月からは閉まっていますが塩狩峠記念館を外から見ました。
閉館中ですが館までの道もきれいに除雪されていて、感謝でした。帰途、峠を越えるとうっすら青空も見えました。

 

このブログを書いた人

森下 辰衛
森下 辰衛三浦綾子読書会代表/三浦綾子記念文学館特別研究員
 1962年岡山県生まれ。1992年から2006年3月まで福岡女学院短大および大学で日本の近代文学やキリスト教文学などを講義。2001年より九州各地で三浦綾子読書会を主宰、2011年秋より同代表。
 2006年、家族とともに『氷点』の舞台旭川市神楽に移住し、三浦綾子文学館特別研究員となる。2007年、教授の椅子を捨て大学を退職して以来、研究と共に日本中を駆け回りながら三浦綾子の心を伝える講演、読書会活動を行なっている。
 著書に『「氷点」解凍』(小学館)、『塩狩峠』の続編小説『雪柳』(私家版)、編著監修に『三浦綾子366のことば』『水野源三精選詩集』(いずれも日本基督教団出版局)がある。NHKラジオ深夜便明日への言葉、テレビライフラインなどに出演。